Yochiの独り言

自己紹介

明るく楽しく美しく

今は、職業訓練の施設を経営していますが、本業は(自称?!)行政書士、経営コンサルタントです。
45才頃まで住宅の企画、販売、マンションの販売、リゾート開発、都市計画のプロジェクト開発、不動産業などの実務を経験しました。建築・土木・不動産全般に係わり、官公庁の許認可業務、事業計画、資金計画、企画プランニングの作成の仕事を専門にしておりました。バブルの崩壊とともに、なかなかうまくいきませんでした。この仕事にかかわる前は、分譲マンションの販売をしていましたが、会社が倒産してしまいました。時代の流れのままに今はITに係わり、経験を生かしてこの仕事をしています。20代のころから趣味でさわっていたパソコンが、今は仕事になっているわけです。

  私は、歴史が好きです。
特に中国と日本の古代史に興味があり、中国の春秋戦国時代、秦の始皇帝、三国志の時代、邪馬台国から古墳時代のころが大好きです。なぜか西洋史には興味がありません。興味のない人には「好きですね」といわれます。
このマガジンには私が書いた古代史の物語をいろいろと載せています。(随時追加予定)

◆孫子の兵法 1998

「孫子」十三編は、今から約二千五百年前、紀元前五百年頃の春秋時代に中国の斉(今の山東省)に生まれた天才的兵法家孫武が著したものといわれています。
「戦わずして勝つ」という孫子の兵法はいかに革新的な考えで優れていたのか、また、太平の世の中をつくりそれを維持していくことがいかに大変なことであったか、現代のわれわれが想像することもできないような時代に、その最も難しい「目標」を掲げてそのノウハウを著した書です。
「孫子」は中国最古の兵書であり、しかも必要にして十分な内容をもっています。
その後も多くの兵書がでていますが、孫子を読めばそれらを読まなくてもよいと言われています。もっとも優れた兵書であると思います。
 40歳のころに書いたものですが、1998年ごろに整理したものです。

◆小説 徐福伝説 2002(再編集の予定)

秦の始皇帝を騙し、日本の弥生時代を作った主人公、徐福は不老不死を求めて蓬莱に旅立ちました。その地こそ、日本であり、九州のこの地、有明海文化圏といわれている筑紫平野だったのです。
佐賀の諸富町には徐福伝説が残っています。いろいろと調べてみました。

◆阿曇磯良伝説 2013-04-15

「神功皇后は三韓出兵に際して、志賀島の阿曇磯良を召されました。志賀海神社にはその様子を描いた神功皇后出兵絵巻が残されています。」
四世紀の古代日本の歴史を「長編歴史小説」の形で書いてみました。

◆倭国伝説

≪新説、邪馬台国物語≫原文 :「遣塞曹掾使張政等因齎詔書黄幢拝仮難升米為檄告喩之 卑弥呼以死」=卑弥呼、それによって死す?張政とは何者か?

雑記帳

思いつくまま面白い話を集めてみました。

明るく楽しく美しく

◆ 企業であれ、職場であれ、家庭であれ、人が今いる場所を楽しい場所に変える事が大切であると思っています。

「今を生きることが人生である」と言う言葉があります。では、どうすればよいのでしょうか。

今という時間を楽しい時間にするためには、楽しい場を創らなければなりません。
今を楽しむのです。
「楽しい」という感情は、物で得ることはできません。
お金で得る満足(=欲)は一時的なものであり、際限なく肥大化し、同時にそれをなくす恐怖と不安が増大します。そこに感動や感謝もなく、仲間の存在も表面的であり、疎外感を味わいます。
奇跡的にすべてを手に入れても、命は有限ですから、死によって終わります。

しかし、「感動」と「感謝」は音楽や絵画のように、思い出、体験として永遠の命(価値観)を持つことができます。

感動と感謝は、何気ない出来事の中に存在しています。そして、それは心の中に美しい結晶としていつまでも残ります。
それが光の正体です。

自分自身が光となり、その場を輝かせることができるかもしれません。
そんな自分になれたら、楽しいでしょうね。


せっかくの人生、楽しんだものが勝ち

思い通りにいかないのが人生であり、思い出しても楽しいことばかりではなかった。
しかし、せっかくの一度しかない人生なのだから、楽しんだほうが良い。
こんな考え方ができる方は、楽しい人生を送ることができます。
そんなことはないと否定的な考えの方は、結局、楽しくない人生なのだから損をする。
つまり、自分の思い込みが人生を作るということになります。


私は傍役 ≪遠藤周作≫

 芝居には傍役というものがある。傍役は言うまでもなく、主役のそばにいて主役のためにいる役である。
 その勤めは主役と共に芝居の運行をつくっていくのだが、また主役を補佐したり、主役をひきたてるためにもある。
「あたり前だ。わかりきったことを言うな」とお叱りにならないでいただきたい。
 しかし、なぜ私がこんなわかりきったことを書いたかというと、我々は我々自身の人生ではいつも主役のつもりでいるからだ。
 たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役です。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。だが胸に手を当てて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
 たとえばあなたの細君の人生で、あなたは彼女の重要な傍役である。あなたの友人の人生にとって、あなたは決して主人公(ヒーロー)ではない。傍らをつとめる存在なのだ。
「あたり前だ。またくだらんことを言うのか」とまたお叱りを受けるかもしれない。
 だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れがちなものだ。たとえば我々は自分の女房の人生の中では、傍役です。身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞ってはしないか。
 5.6年前、あまりに遅きに失したのですが、女房をみているうちに不意にこのことに気がつき、「俺…お前の人生にとって傍役だったんだなあ」と思わず素っ頓狂な声を上げた。
「何が、ですか」女房は何もわからず、けげんな顔をした。
「いや、なんでもない」気づいたことを言っては損をすると思ったからそれ以上は黙った。
 しかし私はまるでこれが世紀の大発見のような気がして日記にそっと書き付けておいたほどです。
以後、女房にムッとしたり腹が立つときがあっても、「この人のワキヤク、ワキヤク」と呪文のようにつぶやくことにしている。すると何となくその時の身の処し方が決まるような気がする。
 夜、眠れぬとき死んだ友人たちの顔を思い出し、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、と考え、いい傍役だったかどうか考えたりする。もちろん、女房の人生の傍役としても良かったか、どうかをぼんやり思索もしてみる。
 こんなことに気がついたり、考えたりするのは私が人生の秋にさしかかったためであろう。
 最後に-この傍役の話は結婚式の披露宴に役立ちますよ。お使いください。


いい人生とはなにか

 誰もがいい人生を送りたいと思っています。まさか、いやな人生を送りたいと思っている人はいませんよね。 でも「いい人生」とは、どういう人生なのでしょうか。
「いい人生」とは簡単にいうと、「楽しい」「ウレシイ」「しあわせー」という気分でいる時間が多い人生ということです。そうでない人生とは、「イヤだなあ」「あーあ」「ちぇっ」「あの人はいいなあ」「私にはムリだよ」、「どうせ私なんて」「気がくるいそー」という時間が多い人生です。
 人生には、いいことも悪いことも起こります。人生なんて思い通り行かないものです。 その出来事をどうとらえるかでその人の人生が決まります。この難しい問題に答えは思いつきません。ただ、その人が「いい人生」であると思うことができれば、「いい人生」を送ることができます。次のような言葉があります。皆さんはどう思いますか。
 人生はつまらないものだと思えば、人生はつまらないものになります。
 だって、その人は人生をつまらないと感じているのですから、何事もつまらなく感じてしまうのです。
 人生を素晴らしいものだと思えば、人生は素晴らしいものになります。
 だって、その人は人生をすばらしいと感じているのですから、何事もすばらしいと感じてしまうのです。
 人生や苦しみに「意味がない」と思えば、人生や苦しみに意味はないものとなるし、人生や苦しみに「意味がある」と思えば、人生や苦しみに意味があるものとなります。
「今の苦しみには意味があることなのだから」と考えると、立ち向かう勇気がわいてきます。後で、あの苦しみがあったから今があると言うことができます。
 いい人生か、悪い人生か、自分で選択してください。
 その基準は、価値観は、自分の中に明らかに存在しています。


言葉のエネルギー

 多くの人はこの言葉の力を過小評価しています。
 人に聞こえないところで隠れて、ねたみの言葉を言っても、その影響は自分に跳ね返ってきます。
ねたみは他人の成功を否定する行動です。他人の成功を否定するという「表現」は必ずや、自分の成功をじゃまします。ねたみの言葉を吐いている人は、決して成功しないのです。
 当然、自分のことを否定する言葉を吐いている人も決して成功しません。
 自分は謙遜のつもりなのでしょうが、「いえ、いえ、私はそんなことできませんよ。」と言う人がいます。この人は、決して「そんなこと」はできません。
自分で否定しているのですから、間違いありません。謙遜している人も決して成功しないのです。

 良い表現、明るい表現、建設的な表現の後に、必ず「しかし、~」と否定的な表現をする人もいます。 この人も決して成功しません。なぜならば、せっかく建設的なことを言っているのですが、それを「しかし」でうち消して台無しにしているからです。
「しかし」という逆説の言葉は要注意です。前の表現よりも、後の表現の方が強調されるからです。

  言葉はエネルギーであり「物質」です。
水に例えます。
 水には、温かい水、冷たい水があります。
言葉にも温かい言葉や冷たい言葉があります。
濁った水、汚い水、まずい水は、飲みたくありませんから、マイナスのエネルギーです。清らかな水、透明な水、おいしい水は、プラスのエネルギーの固まりです。

人は水がないと生きていけませんから、水(プラスのエネルギー)を求めています。おいしい水(プラスのエネルギー)を求めているのですが、それを得られないと、まずい水(マイナス)でもいいから生きるために求めます。 「背に腹は代えられない」「ないよりまし」ということです。
親の愛情に不足を感じている子どもは、叱られてもいいから親がこっちを向いてくれることを願います。また、夫の愛情に飢えている妻が衝動買いをしたり、キッチン・ドリンカーになったりするのも、マイナスのエネルギーで挑発しているのです。
叱責や罵詈雑言でもいいから、「私に注目してほしい」というシグナルを出しているのです。

精神分析を背景にもつ「交流分析」では、これをストロークと言います。
ストロークとは、もともと「なでる、さする」など体を愛撫する意味の言葉です。
言葉で褒めたり、目で同意を示すといった動作や、もっと広く「私は、あなたがそこにいるのに気づいていますよ」「あなたは、かけがえのない大事な人なのですよ」と、相手の存在や価値を認めるようなさまざまな刺激をプラスのストロークと呼びます。


根拠なき自信

 私は、よく人に「前向きに生きよう」と言っています。単なる精神論だと笑われますが、この言葉は私自身に言い聞かせている言葉でもあります。
 人生は不確実性の連続です。
 先のことなど誰にもわからない。
 どんな出来事に出会うのかもわからない。
 その不確実性に対して前向きに闘う力が自信だと思います。
 事実、自信を持って不確実性に向き合うか、自信もなくビクビクと向き合うか。
 その結果は自ずと変わってくるものです。

 その自信の根拠は、なくてもいい。
 そんなものは後からくっつければいいのです。
 前向きに向かい合えば、自然にやる気が起ってきます。
 やる気が出てくれば具体的な目標も次々と生まれてくるものです。
 私はこの「根拠なき自信」が大切であると思っています。

 自信というものは、普通、何らかの成功体験から生まれます。
 つまり、自信には何らかの裏づけが必要だといわれますが、逆の発想をするのです。
「自分は必ずできる」「俺には自信がある」と勝手に宣言します。
「その自信はどこから来るのだ?」と聞かれても、そんな根拠はどうでもいい。とにかく自分には自信があると考えます。そうすると不思議なことに、自信を持って物事に取り組むことができるようになるのです。


大切なものは、いつも目に見えません

 だけど心で感じることはできます。

 目に見えないからと言って、それがないのではありません。
 目に見えないものであっても、心で感じることはできます。
 肌で感じることもできます。
 においや漂う空気や雰囲気でわかることもあります。

 感触で一瞬にして何かをとらえたり、感覚的に察知してしまうこともあります。そこから何かに気づいたり、理解したり、生み出したりすることもあります。
 つまり、この世の中は「目に見えるものと目に見えないもので成り立っている」ということです。
人の心や明日の希望も目には見えないけれど、とても大切なもので、人の人生に大きく影響しています。


オリジナルアルバム No.1

20代のころ、音楽にはまり、自作の曲を作って、ギターをひきながら歌っていました。才能がないことに気づき、25歳ごろには飽きてしまい、すっかり忘れていましたが・・・

 当時作曲していた曲をもとに、パソコンに打ち込みし直して、作り直しました。相変わらず、音楽の才能はないなとは思うのですが、「自分が楽しければよい」というコンセプトです。

01冬の日曜日          【歌付き】

02僕は旅人           【歌付き】

03何を悩んでいるわけでもなく  【歌付き】

04都会の冬に          【歌付き】

05過ぎ去って初めて       【歌付き】

06夜は嫌いさ          【歌付き】

07同じ朝            【歌付き】

08眠れぬ夜           【歌付き】

09四畳半の部屋で        【歌付き】