Transactional Analysis 03

交流分析

ストローク

ストロークとは、「あなたはかけがえのない大事な人なのです」という気持ちを、言葉、目つきや態度で伝えることです。例えば、スキンシップ、誉める、認める、ありがとうなど、相手の存在や価値を認めるようなさまざまな刺激をストロークと呼びます。


No.1 ストロークとは 

もともと「なでる、さする」など体を愛撫する意味の言葉です。

これに精神的な意味を加えたものを、交流分析ではストロークといいます。
 言葉で褒めたり、目で同意を示すといった動作や、もっと広く「私は、あなたがそこにいるのに気づいていますよ」「あなたは、かけがえのない大事な人なのですよ」と、相手の存在や価値を認めるようなさまざまな刺激をストロークと呼びます。

 ストロークを与えたり、もらったりする手段には三つの種類があります。
 まずスキンシップです。
 子どもを抱きしめたり、なでたりする行為がこの代表ですが、成人の間でも握手をしたり、肩を叩き合うという形で行われます。また、身体的な接触という意味で、性行為もこの種のストロークになります。
 次に、言葉によるストロークです。
 相手に挨拶したり、話しかけたりして、その存在を認めるのです。褒めたり、励ましたりすることが、この種のストロークの代表的なものです。

最後に、身体的接触や言葉を用いない手段があります。
 まなざし、うなずきなどで相手の存在を認めるというものです。何もいわずに、じっくり相手の話に耳を傾けることも、十分なストロークといえます。
 人間はなぜ、人を求め、コミュニケーション(交流)したがるのでしょうか。それはストロークを交換するためなのです。言い換えれば、自分本位の時間を与えられず、十分にストロークをもらえない人間は、うまく人生を歩めないといってよいでしょう。


≪忘れられない体験≫ 

 数年前9月のある日の夜7時ごろ、熊本の職業訓練施設で夜間講座があり講師の私が近くの食堂で食事をしていた時のことです。
 茶髪の若い20歳代前半のおかあさんと、3歳ぐらいの女の子、それに2歳ぐらいの男の子が食堂に入ってきました。夕食なのでしょう。彼女は、うどんを注文していました。
 カウンターで母親が注文している時、母親に隠れてなんですが、その女の子が男の子の頭をげんこつで殴るのです。一度ではなく、繰り返し繰り返し何度も。母親が見ると、知らん振りをします。男の子も、慣れているのか、泣き出しません。反撃することもありません。母親の足にしがみついてむずがっていました。母親は気がついているのかいないのか、ぜんぜん気にせず、「うるさいわね」という感じで、店員に注文しています。
 私はびっくりしてしまいました。その時の女の子の表情、怒るでもなく、表情がないのです。2歳の男の子は、必死に我慢しています。母親は何を考えているのか、家庭内でも日常のことなのでしょう。
 私は、心の中で叫びました。「父親は、夜の仕事をしているのかもしれない。しかし、あなたは母親だろうが。なぜ、家で食事を作らずに安い食堂で外食するのか。なぜ殴っている子供、殴られている子供に関心がないのか。なぜほっておくのか。なぜ・・・。」
 生活に疲れているからかもしれませんが、子供に対する愛情を感じなかったのです。つい、日頃の家庭での生活を想像してしまいました。
 私は、ショックで呆然としていました。今でもその時の情景が目に浮かびます。「この子供たちの人生は、どうなるのか、どんな大人になるのか」と考え、その時は涙が止まらなくなっていました。

 交流分析では、人は肯定的なストロークを得られない状態が続くと、否定的なストロークをその代用として求める行動を取るとされています。
 たとえば、子どもが親から肯定的なストロークをもらえないと、ことさら人がいやがるような事を言ったり、行ったりして関心をひこうとします。そして、「うるさいわね」とか「なんでお前はいつも・・・・」とか否定的なストロークを得るようになります。
 子どもにとって否定的なストロークをやり取りする状態が止まらないと「ゲーム」に発展してしまいます。交流分析でゲームというのは、日常生活、職場、あるいは家庭生活などいろいろな場面で繰り返される人間関係の悪循環のようなものです。


≪百本のバラの話≫ 

団塊の世代が定年を迎えると離婚が増加するという熟年離婚の問題

 定年退職を迎えた、ご主人が家に帰ってきますと、奥さんが待ち構えています。ご主人は、てっきり「あなたお疲れ様でした」とねぎらいの言葉があるものと思っていると、突然に、思いもよらない言葉を言われるのです。
「あなた、離婚してください。退職金の半分をください。」
「なぜだ、俺は今までお前や家族のために一生懸命働いてきた。なぜ・・・。」ご主人にはまったく訳が解りません。いろいろと話しますが、会話がかみ合わないのです。
 奥さんは、すでに引っ越すアパートを予約しており、それぞれに独立して自分の家庭を築いている子供たちにも話していて、納得ずみなのです。知らなかったのは、ご主人だけだったのです。
「今から、○年前、あの時あなたが言った言葉が忘れられない。」とか、「私は今までずっと我慢してきた。これ以上、一緒にいることが耐えられない。」
「あなたと同じ墓に入りたくない。」
 仕事第一で、家庭を顧みなかったご主人。今まで自分の言う事に反論せず、従ってきた妻が突然反乱を起こしたのです。訳がわからず、「勝手にしろ!!」と怒鳴り散らしてしまいました。
 奥さんは、次の日から、アパートに移って、家には誰もいません。
「どうせ、すぐ後悔して謝って来る。」とたかをくくっていましたが、これまで家事をほとんどしたことがないご主人は、ほとほと困ってしまいました。
 何日かの後、さすがにご主人もたまらなくなり、反省する点もあるかもしれないと考え、思い直して、手に百本のバラの花束を持ち、アパートを訪ねました。
「俺にも悪いところがあった。もう一度やり直してくれ。」と謝ったそうです。
これに対して、奥さんは次のように答えました。
「私は、身勝手なあなたに従ってずっと我慢してきました。私の人生は、あなたに従うだけの人生だったのです。これからは、私の人生を歩んでいきます。」
そして、最後にこう、言われたそうです。「いまさら、百本のバラの花束をもらってもうれしくありません。毎年、一本ずつでもバラの花束がほしかった。」

 どちらがどうだという意見はあると思いますが、条件付ストロークの怖さがわかりましたでしょうか。女性は、進歩していますが、男性は、旧態然とした価値観にとらわれ、家庭や家族、自分を支えてくれる奥様に対する考え方など遅れているのかもしれません。
 家族を守るために、いやな仕事も我慢して、働いてきた。定年になれば、海外旅行をしたり、趣味に没頭したり、だいたい貯金ができていて、年金も保障されており、寿命が来るまで、自宅で家族の世話を受けながら生活し、一生を終える。これが本来の人生だったはずです。
一昔前までのそんな当たり前の家族像が壊れて、核家族化が急速に進み、すっかり様変わりしてしまいました。現在は、ある程度の収入や貯金もあり、孫の世話をしてすごすはずの時期がありません。今自宅で、子や孫に看取られて人生の最後を送れる人はわずかです。
「こんなはずではなかった」「何のための人生だったか」「果たしてこんな人生でよかったのか」「もっと別の人生があったのではないか」など「惑い」の気持ちが心の中に湧き上がってきます。人生の意味は何なのかと考えざるを得ない時期でもあります。


No.2 ストロークの
法則 

◆まず、人は肯定的なストロークを欲しがります。
 しかし、これを十分に得られない場合は、否定的なストロークを求めて行動します。

 「背に腹は代えられない」「ないよりまし」ということです。
 親の愛情に不足を感じている子どもは、叱られてもいいから親がこっちを向いてくれることを願います。また、夫の愛情に飢えている妻が衝動買いをしたり、キッチン・ドリンカーになったりするのも、否定的なストロークで挑発しているのです。叱責や罵詈雑言でもいいから、「私に注目してほしい」というシグナルを出しているのです。
 また、条件つきのストロークは、しつけや社会化にとって欠かせないものですが、これだけを与えられ続けると、自分は真のストロークを受けるに値しない人間だと感じるようになります。
 常に他人の価値評価に左右され、本来の自分のあり方を見つけられなくなるのです。成績や偏差値で愛の増減を体験してきた子どもが、受験に失敗して自殺したり、大学に入って無気力症になる例にこの法則が見られます。条件がはずれた時、取り除かれた時に恐慌が起きるのです。

◆ストローク経済の法則

 ストロークの扱いの難しさというものが、ご理解いただけたでしょうか。このうえに、ストロークには「貧しい者はさらに貧しくなり、富める者はますます富を増す」というストローク経済の法則と呼ばれるものがあります。
 ストロークの蓄えは、銀行預金にたとえることができます。
 他人と交換するストロークは、当然、収支があります。プラスの肯定的ストロークを与えすぎて預金高が底をつく状態になると、疲労感や憂うつな状態に駆られ閉鎖的になります。もはや与えることをやめてしまうので、見返りとしての肯定的ストロークが入って来なくなります。子育てに疲れ果てた母親が家に閉じこもっている姿を想像していただければいいでしょう。早晩、彼女は限界にきてしまうでしょう。
 しかし、ストロークの蓄えが75~80%以上もあれば、生き生きとして楽しい気分でいられます。「私は愛されている。私は大事な存在だ」という気持ちのストックがあるのですから、事に当たるとうまくいく場合が多く、その結果さらに自信が増すのです。そして、他人から認められる機会も多くなり、さらに預金が増えるという仕組みになります。
 ゲームは肯定的ストロークが不足しているため、否定的ストロークでそれを補うことが習慣になってしまった人によって演じられる行動です。したがって、ゲームをやめる最も基本的な方法は、相手に対してもっと肯定的ストロークを増やすことなのです。

◆人は肯定的ストロークを受けたことへの反応として、変化・成長する。

 気持ちのよい肯定的なストロークを日常のあらゆる場面で交換できるよう心掛けたいものです。
 人は「あなたという人間が大事なのよ」という無条件のストローク、無条件の肯定的関心(尊重)で変化、成長する。

「どんな気持ち?」「話して」「わかりたいよ」とじっくりと相手の立場に立って、わかってあげる。
次のような練習をしてみましょう。
 1)実際に相手の立場になってみよう。
 2)分かったことを相手に伝え返して確かめてみましょう。

 人は分かってもらえると、愛されていると感じる。
「言ってきかせる」「指示する」「説明する」「叱咤激励する」「説教する」「アドバイスを与える」「教える」などは肯定的ストロークではないのです。肯定的ストロークを活用して訓練することで、自分自身のストロークを増やすことができます。

 肯定的ストローク(受け取って気持ちが良くなる)か、否定的ストローク(受け取って気持ちが嫌になる)かの判断は、受け取る側が決定します。
 一人ひとりに物事のとらえ方考え方があり、相手や、時と場合により変わります。また、ストロークは肯定的がよく、否定的は悪いというのでもありません。指導的な立場で「叱る」「忠告をする」「いさめる」他を受けて嫌な気持ちになっても、成長と言う目標、目的を達する上では有効である場合があります。
 「不快になることは悪いこと」的な考え方は要注意です。
 不快になることは確かに葛藤を生じる辛い状況ですが、この状況を乗り越えることも大変重要です。幼い時にこのような困難や葛藤、不快感など自分に不都合なことを克服する体験を持たないと、自分だけに不幸なことが起こるとか、克服する力、耐える力が自分に無いように感じてしまいます。


No.3 肯定的
ストロークの練習 

◆与えるべきストロークを他人に与える

 上司、同僚、部下、妻(夫)、子など、身近な人を選び、身体、言語、非言語の三つの種類のストロークを与える具体的なプランを立てて下さい。
 たとえば、上司に対して、明るい声で「おはようございます」とか、「はい、わかりました」と挨拶や返事をする。奥さんに対して「その服似合うよ」とか「今日の料理はおいしいね」という具合です。
 非言語的なストロークの例としては、子どもと一緒に遊ぶ、同僚の話を聞いてあげる、妻(夫)に小さなプレゼントをする、などがあげられます。
 もしグループが構成できるのであれば、ペアを組んで交互に上司になったり部下になったりしながら、与えたいストロークの練習をするのもよいでしょう。
 こうした役割演技の他に、グループの一人ひとりに、その人にふさわしいストロークを与えながら一巡する方法もあります。「私はめったに人を褒めない方針だ」とか「言わなくても分かっているだろう」といった考えの持ち主は、この際、思い切ってストローク・パターンを変えてみてはいかがでしょうか。

◆欲しいストロークは相手に要求する

 私たちは「欲しくても、それを求めるのは端(はした)ないことだ」と考えますが、求めないのに、相手が期待に応えないと勝手に恨むのはもっと不健康なことではないでしょうか。
 求めて断られるのを恐れたり、求めるのを遠慮するのは、幼時から身についた古い感情生活の習性です。自分の中の頓知(とんち)を使って、賢く楽しく要求するプランを立ててみてください。
 女性であれば、夫の無関心を嘆いてばかりいないで「どう、この服似合うかしら」とか「来週の水曜日は、私たちの結婚記念日ですわね」と、一言発言するようにするのです。

 では、身近な人を何人か選び、その人から与えて欲しいストロークを具体的に書き出して下さい。
 次にあなたの中の頓知と相談して、どうやってその要求を相手に伝えるか、いろいろと方法を工夫してみましょう。
 グループであれば、メンバーの一人ひとりを回って、五円玉、十円玉といった小銭を下さいと頼んでみてはいかがですか。これは要求の練習としてなかなか効果があります。
 直接個人の財布から出すのは抵抗がある場合があります。各自、10円玉を10個ずつ配り、言葉を出す練習をします。
「すみません。十円ください。」なれないと意外と難しく言葉が出てきません。どう言えばもらえるかを考えるのも訓練します。

◆欲しいと思っているストロークは受ける

 まず、肯定的ストロークを受け取らない、あなたの癖に気づきましょう。
 たとえば「なかなかいいネクタイですね」と褒められると「いいえ、たまたまバーゲンで安く手に入ったものです」などと答えていませんか。
 「よくできましたね」といわれると、すぐに「いいえ、運がよかっただけです」とか、「いつもは、こううまくできないんです」と弁解するのもこの類いです。
 たしかに日本社会では、本心を隠して秘密にしておくことが奥ゆかしいと考える風潮がありますが、健全な人は内心で十分に喜んでいるものです。
 では、今まで身近な人々から与えられた肯定的ストロークを思い出して下さい。
 自分を軽蔑したり、卑下したりするのをやめて、「ありがとう」「そうおっしゃっていただくと嬉しいです」「あなたからそう言われると元気が出ます」と受け入れて、いい気持ちになってみましょう。
 グループで練習する場合はグループの真ん中に立って、各メンバーから自分についての肯定的ストロークをもらいます。ストロークがうまく受け取れたら、グループが喝采するとよいと思います。

◆欲しくないストロークは上手に断る

 まず、これまでに身近な人々から何か言われて、嫌な気持ちになった体験を思い起こして下さい。また、自分に与えられる否定的ストロークのうちで、特に嫌いなものをリストアップしてみて下さい。たとえば、次のようなものです。
○お前は何の取り柄もない人間だ。
○君は常識が足りないねぇ。
○どうせまた、ミスをするでしょうけどね。
○その服には、そのネクタイは全然合いませんよ。センスが悪いなぁ。
 こうした否定的ストロークには、こちらを陥れようという意図が隠れていますから、冷静に受け止めることが肝心です。先にあげた、あなたの嫌いな否定的ストロークを断る方法を考えて下さい。あくまで中立的な立場を守り、静かに事実を確かめるようにしてみます。たとえば、次のような応答はいかがでしょう。
○君にはそう見えるんだね。
○あなたはそう思うのね。
○なるほど、そうかもしれない。じゃ、どこがおかしいのかな。
○あなたにはそう映るんですね。では、私はどうすればいいのかな。
 否定的なストロークが来た時、それをまともに受けて、「売り言葉に買い言葉」になる喧嘩(ゲーム)をしたり、一人、部屋の壁に向かってじっと悔しがるといった反応をするのは、望ましいものではありません。

◆ストロークが不足したら自分で与える

 まず、自分について褒めていい点、これまでの成功体験、その他何でも肯定的なことをリストアップして下さい。それを鏡のなかの自分に向かって読み上げてみて下さい。
 グループであれば、リストを誰か他のメンバーに渡して、読んでもらうのもよいでしょう。そして「はい、その通りです」と受け入れて、いい気分になるのです。
 自分自身をストロークするのはあなたの中の養育的な?の部分です。あなたをいたわりねぎらうプログラムをこしらえて下さい。

 次のような例を参考にしてみたらいかがでしょう。
○ある心身障害児の母親は、月に一度、子どもの世話をヘルパーに任せて、自分は一日ゆっくり旅行したり、ホテルで過ごします。時には、香水を入れたバス・タブに昼間からゆっくりつかることもあります。これがまた、来たるひと月のエネルギーの供給源になるといいます。

 遠藤周作氏は、自分を大事にする方法として、一流の洋服店に言って、飛び切りいいスーツを一着こしらえなさいとすすめています。自腹を切って最高級の洋服を着ると、無意識のうちに自信が蘇ってくるのです。また、次にボーナスが入った時、高級レストランでフル・コースを食べなさいともいっています。これも目に見えない力を自分に与えることになります。

 もともとストローク不足で育った人は、実の親とは別の、愛情と理解に満ちた他の親に育てられたら、どういう自分になったろうかと想像します。次に生育の過程のストローク欠如の場面を一つ一つ取り上げて、もう一度、肯定的ストロークを与え直します。どんなふうに扱われたら、もっと豊かな自分になれたかを考え、その時に欲しかった言葉、受けたかったストロークを、今、この場で自分に与えるのです。これを「自己再養育療法」(M・ジェイムス)といいます。
 自分のストローク銀行を常によい状態に保ち、他人に惜しみなくストロークを与え、かつ自分も満たされる。これが健全な人間関係のあり方ではないでしょうか。それを実践するために、以上のようなストローク・プランは、きっと役に立つことでしょう。

種類肉体的な領域心理的な領域言語的領域
肯定的
ストローク
(肌のふれあい)
・ なでる
・ さする
・ 抱擁する
・ 愛撫する
・ 握手する
(心のふれあい)
・ ほほえむ
・ うなづく
・ 相手の言葉に耳を傾ける(傾聴)
・ ほめる(承認)
・ 慰める
・ 励ます
・ 語りかける
・ 挨拶をする
 傾聴、うなづき、アイコンタクトの技法を自宅で実践してみました。
 妻が「○○のスーパーの野菜が安くてね、・・・」と話しかけてきたので、傾聴の姿勢をとり、「ほう、それはよかったね。いつも大変だね。」と応えました。いつもは、新聞から目を離さず、「ふーん」と言うだけです。
 「いくらだったの」と質問もしました。
 「98円だったから、多めに買って来たの」
「ふーん、なるほど」などとあいづちを打ちながら、傾聴を続けました。
 妻は変な顔をして、「あなたどうかしたの、今日のあなた、ちょっと変よ」と言いました。(ばれたか) しらばっくれて、30分ほどやってみましたがへとへとになりました。
 人にえらそうなことを言っておきながら、自分ではなかなかできません。
「私は偽善者だーーー。」
私はカウンセラーに向かないことを実感しました。

No.4 時間の構造化 

 私たちはストロークが不足すると、いろいろと工夫してストロークを得ようとします。
 誰もが良い気持ちになる肯定的ストロークを受け取りたいと望んでいますが、私たちは日常生活の中でどのようにストロークを受けたり与えたりしてすごしているのでしょう。
 ストロークの状況により次の6つに分類することができます。交流分析では、この時間のすごし方のことを「時間の構造化」と言います。

①閉鎖

 ストロークを他人からもらったり、他人に与えることを拒み、自分の殻の中に閉じこもり自閉している状況を言います。
 たとえば、子供が親かや周囲の人たちにストロークを求めても、その求めに応じてもらえなかったり、一人ぼっちにされていたりすると、自分自身の中でストロークをやりとりしてストローク不足を解消しようとします。
 このようなことを繰り返しおこない、慣れて癖にしてしまうと大人になっても夢や幻覚の中に居続ける時間のすごし方をして、他人とのかかわりに支障をきたします。仕事などで、研究、読書、熟考することは、後述する「活動」になります。

②儀式

 定型化された他人とのやりとりである「挨拶」「祝賀会などでのスピーチ」「隣人への声かけ」などをおこなう時間のすごしかたです。
 相補的コミュニケーションのところでも説明しましたが、私たちは日常、次のような形式的なやりとりをしています。
A「おはようございます」
B「はい、おはようございます」、今日もいい天気ですね」
A「ええ、本当に。どちらまで?」
B「はい、ちょっとそこまで」
A「じゃあ、また」
B「はい、じゃあ、また」

 この種の挨拶は、余程のことがないかぎり、これ以上、お互いに深入りすることはありません。
 両人とも、表面では情報の交換を目ざしたやりとりをしていますが、それは形式だけのものと心得ています。
 相手が簡単な用事をすませにいくのではないと思っても、あえて、それ以上の質問をすることを控えます。
 ある意味では、この種の儀礼的な挨拶は表面だけをつくろった不純な手続きと言えないことはありません。しかし、当人は直感的に、この儀式の枠から逸脱しないほうがよいことを感じ、また、そう努めるのです。
 何かの行き違いで、お互いの感情がもつれてストロークの交換が途絶えているような際の好ましくない感情を発散し、整理する働きもあります。
 たとえば、夫婦喧嘩をしていても、夫のためにおいしい食事の準備をして席に着く。気まずい雰囲気でも「いただきます」と言葉を発することにより、「さっきはごめんね」と会話のきっかけになったりします。
 年間行事式典などは、社会生活家庭生活を営む上での精神面を支えていることがわかります。

③雑談

 趣味や日常の出来事など、無難な話題で表面的な対話を行い、ストロークを交換する時間のすごし方をいいます。
 「井戸端会議」「ノミニケーション」など、仕事帰り、買物の帰りなどに居酒屋や喫茶店で雑談というストロークを交換して、創造力の活性化につながり仕事がうまくいったり、男女の結婚への一過程になったりします。「親密」への橋渡しもします。
 雑談の中にお互いの人間関係がこじれないためのヒントが隠されていることもありますし、いきなりホンネの会話、打ち解けた会話が難しいようなときには、雑談により親近感を感じて核心に入るようなこともできます。
 一方、時間の無駄遣いという批判や能率を阻害するという意見もありますが、なぜ人は雑談をするのか、それはなんのためなんだろうと考えることも大切なことです。

④活動

 活動は、人を対象とするよりも生産的な活動、創造的な活動を媒介にして、ストロークを得るために時間をすごすことをいいます。
 仕事を成し遂げる。勉学に励む。目標を達成するための活動の結果、達成感、満足感、成就感、自己存在感、自己重要感を味わいます。誉められる、喜ばれる、高い評価を受けるなどのストロークを得ていることになります。
 これらの活動によって得たストロークには、自分自身の能力を発揮し目標を達成し充実した時間を主体的に創造的にすごしたという自己評価としてのストロークと、その仕事の結果に対する他人の評価によるストロークがあります。

⑤ゲーム

 前述しましたが、ストローク不足を補うために私たちは肯定的なストロークを求めていますが、信頼と愛情に裏付けられた真実の交流がないためにそれを素直に表現せず、どちらかというと否定的ストロークを受け取るように行動する時間のすごし方です。
 他人を操り後味の悪さは残りますが、自分の存在を相手に認めさせるという目的は達成しますので否定的であれストロークは得ることができます。

⑥親密

 信頼と愛情に裏付けられた真実の交流により、時間をすごすことで、コミュニケーションの理想のです。親密を深めることは純粋な生きる喜びにもつながります。


【哲学する時間の使い方】

 人はストロークや生きがいを求めて時間をすごしているという観点からすごし方を考えてみると、「哲学する」「生きることの意味を探る」という時間の使い方も大切だと考えます。
 これは人間が人間であることの意味を探るという最も本質的な問いかけであり、「気づき」の大切さを説くことがこの講座の目的でもあるからです。
 私たちは今生きています。悩みがある人は過去の自分にとらわれ「今に生きず」に今の時間をすごし、そして、そのことに気づいていません。今の自分が過去を悔やみ悩み、その時間を繰り返し繰り返し考えています。
「過去は変えられない」のに・・・。
 また、未来に対する不安で今の時間をすごしています。まだ起ってもいない事を考えそのストレスで苦しい「今」の時間をすごしています。今を楽しく過ごすために次のような言葉があります。

「過去を許し、現在を認め、未来を信じる」


No.5 基本的構え

交流分析では、幼時に親とのふれあいが主体になって培われた人間と人生に対する態度を”基本的構え”といいます。

心の中に線を引く

 心の中に、一本の線を引いて見ます。すると、その瞬間に物事を自分で無意識のうちに分類してしまいます。横に一本の線を引くことで、上下という概念が生まれます。

「もっと頑張らなければならない。」「自分はダメだ」「なぜこれができないのか」というのは、自分がきめた線に達していないという感情ですから、線の下に自分がいます。その基準は、自分が創り出しているのです。
 但し、もっとお金がほしい、もっと幸せになりたいなどという感情は、線を引くというよりも、ただ現在の不満を述べているだけですが・・・。
「解った」か「解らない」か。「できる」か「できない」かなど、自分で作り出した基準よりも上だったら、OKであり、まだだと思うとNotOKになります。勝つか負けるかも相対的なものであり、失敗か成功かも本人の考え次第になります。
 また他人を判断する場合、良く右か左かで分けます。右派とか左派とか言います。右寄りとか左寄りとか、区別して、判断しがちです。このように、自分という人間をどのように考えるか、また、他人をどのように考えるかは、その人の価値観と密接に関係しています。
いずれにせよ、その基準を創り出しているのは自分です。

ちなみに、その一本の線の上に、それより長い線を書くと「士」という字になります。
 今、考えうる基準の線のもう一段上に今よりももっと長い線を描くのです。その線の上を目指す心が「士」という言葉の意味です。
 心に「士」を持つと、「志」になります。ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。心の持ち方。信念。これが志です。
 より以上の目標を設定し、そこを目指すことが「士」なのです。人が「士」を持つと「仕」となります。仕える(つかえる)という意味ではなく、人が志を持つ事が「仕事」ではないでしょうか。
 皆さんはどちらの「仕事」をしていますか。
 こうありたい自分と、現状の自分を一致させることができたら、「士」を合わせることができたら、しあわせですね。

 線を引いているのは、あくまでも「自分」であり、自分自身の価値観が表れます。「できる」か「できない」かも、自分が線を引いています。やってみないとわからないのに、「できません」と口癖のようにいう人がいます。
 自信がないということは、理性ではなく、感情です。言葉でうまく説明できません。
 なぜそう感じるのかを考えると、以下に述べる自分に対する基本的構えが関係していることがわかります。

基本的構えは三歳までにできる

 交流分析では、私どものP、A、Cの基礎がどのようにしてできるかについて考えます。
 自然の心(C)、人間らしい理性(A)、思いやり(P)などが育つための基礎工事は、大体3才位までに終わります。
 俗に”三つ子の魂百まで”といわれるように、その頃までがとくに重視される理由は、人間の脳の発達の基礎工事ができるのが、大体3才までだからです。
 子供はみな不安な状態にあります。産まれたばかりの動物の子供達は、放っておいても自然に育ちますが、人間の子供は母親の愛情、母親とのふれあいが絶対に必要です。
 母親が、一心同体の愛情を注ぎますと、子供の心には「こんなに大事にされる自分は大切な存在に違いない」という、自分への信頼が起こります。母親という人類の代表を通して、自分の価値、他人や世界の存在の意味を感じとるのです。
 子供は、母親から大事にされる自分はOK(大事な存在)である、また自分以外の人や自分をとりまく世界も、きっとOKに違いないと感じることになります。
このような自他に対する信頼の基礎になる体験を”基本的信頼”といいます。
 自分を信頼し、人を信頼できるという状態の時に、私どもは一番心が安定した状態になります。このような条件のもとでは、P、A、Cのバランスのとれた成長が一番起こりやすいわけです。

 人間は幼い頃に、自分と他人に関して、その人独特な物の見方を身につけます。それは、人生に関する、自分なりの結論といってもよいでしょう。そして、この結論は大きくなってから得る生活上のいろいろな結論よりもはるかに強い影響力をもつのです。
 たとえばある人は、”私は価値のない人間だ”あるいは”男はみな獣だ”という結論を得て、人生をそのように見る立場をとることに決めた人があります。そしてこの立場に基づいて、自分の人生ドラマにふさわしい、ある種の役割を演じる人々を選んでいくのです。
 このように、人が自分自身についてどう感じているか。また、他人についてどう感じているか、ということを、人生に対する”基本的構え”と呼ぶわけです。子供は、生まれ落ちてから、学校に入る頃までに、さまざまな体験を通して、次の四つの基本的な構えのどれか一つを身につけるのです。
1) 自分はOKでない、他人はOKである。
 これは、自己卑下、劣等感、抑うつに悩む人達の心境です。
2) 自分はOKである、他人はOKでない。
これは、独善、他罰主義、他人不信などの心境で、攻撃的、反社会的な言動になりやすい構えです。
3) 自分はOKでない、他人もOKでない。
これは虚無的な心境で、人生に絶望した自棄的な生活や、自殺などを招きやすい構えです。
4) 自分はOKである、他人もOKである。

基本的構えでいう”OKである”あるいは”OKでない”をいう言葉や感じの意味は、具体的には次のようなものです。
OKである
安心感がある、愛されている、いい人間だ、生きている価値がある、正しい、強い、楽しい、美しい、できる、役に立つ、優れている、やればうまくいく、自己を実現している、など。
OKでない
安心できない、愛されるに値しない、みにくい、弱い、子供っぽい、無知である、意地が悪い、できない、バカである、のろまである、失敗する、何をやってもダメ、劣る、自己を実現していない、など。

 人生早期に芽生える自他に対する”基本的信頼”は、将来の人間関係に際しての安全弁となり、自他肯定(私もOKで他人もOK)の基本的構えを形成して行きます。ところがもしこの基礎工事に欠陥がありますと、その後の周囲に対する関係のあり方に、ゆがみをもつことになります。
 たとえば、本来何らかの優れた素質をもった子供に、親が不適切な、あるいは拒否的な養育態度(おまえはOKではない!)で臨みますと、その子の人格は(Cが主体)否定されたことになり、その子のCの人格の発展(A、Pへの発展)が阻まれることになります。その結果、当人は成人してからも、その性格のアンバランスに苦しむことになる可能性があります。

 交流分析では、これらのアンバランスは、次の3つの基本的な構えの”ゆがみ”となって現われると考えます。
 交流分析が目指す健康な人間像は、”私も他人もOKである”という構えをもつ人です。
 この構えの人は、自分のストレスを解消するために自殺したり、閉鎖的になったり、あるいは他人を排斥するような手段を用いません。しかし、この構えは、人がその成長過程で必然的に辿りつく状態ではなく、時間と労苦をおしまずに、自己を訓練することによって培ってゆくものです。
 この上記の表を「心理学のOK牧場」と言います。


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