弘法大師空海は、19才の時 室戸岬の波打ち際の洞窟(御厨人窟みくろど)で「虚空蔵求聞持法」を修しました。この洞穴にこもり、虚空蔵菩薩への祈りを唱え続けていた真魚(空海)の口に、ある日突然“光り”が飛び込みました。明星が飛び込んだという口伝ですが、著者が言うには、この明星とは、現実の明星ではないというのです。
著者は、求聞持聡明法、三度目の修法の時、明星の秘密を発見したというのです。以下、ドキメンタリー風になります。
それはほぼ百日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。
真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに古代ヨガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨガの秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つのトレーニングで、私の体と大脳皮質と脳髄は、微妙な変化をおこしつつあることが感じられていた。
チャクラの開発も順調に進んでいた。
機が熟しつつあることを、私の第六感は感じていた。
夜明けーー。
まどろんだ様な感じであった。しかし、ねむりではなかった。しびれの感覚であった。
かるい失心、めまいに似ていた。没我の一瞬であった。
その刹那、
「ああっ!」と私は苦痛の叫びをあげていた。
脳髄の一角に電流がながされた感覚が走った。落雷があったと感じた。目の前を紫電が走った。次の瞬間、眼前でフラッシュがたかれたように、私の視野は真っ暗になった。失明!という考えがもチラリと脳裏をよぎった。と、そのときであった。
頭の内奥、深部に、ポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私の脈拍とおなじリズムで、しずかに、しずかにまたたきはじめた。
ちょうど、この修法をはじめる数十日前、山にこもって見つめたあのときの暁けの明星のように――
それは冷たく、黄ばんだ白さでまたたいた。
「そうか、これが明星だったのか!」
≪著者は幼少のころ剣道をしていたそうです。面をとられたとき、目からバッと火が出て、プ―ンときな臭いにおいを嗅いだ。本当に火が出る。この感覚は剣道の経験者ならば誰でも経験している。≫
その火なのだ。そのとき私の視野をかすめた閃光は―――。
「目がら火が出る」ほどのこの衝撃は、いったいどうしたというのであろうか?
外部から私の頭部を打ったものはない。すると私の内部でなにごとかがおこったというのであろうか。それとも何かの錯覚であったのか?
私は再び一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきと同じ場所に火を感ずるのである。同時に、頭の頭部にある音響が聞こえはじめた。
私はまたさっきの電撃に似た痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ少々「おっかなびっくり」にそれをやったのであったが、今度は全然痛みもなにも感じなかった。そうして頭の内奥の上部に「明星」が再びまたたいた。
視床下部の異変 
まさに――、私の脳の内部に一大異変が生じているのは間違いなかった。
しかし、それはどういう異変であろうか?
それは、一種の化学反応によるショックであったのだ。
脳の深奥「視床下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は視床下部にあった。ここが秘密の原点だったのである。
私が先に内分泌腺の機構を説明したのは。これを知ってほしいためであった。
ここが、ヨガでいうプラーマ・ランドラ(梵の座)であり、サハスララ・チャクラなのである。
視床下部は、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。それではなにをもって統御するかというと、それはもちろん「神経」である。したがって視床下部には重要な神経がたくさん集まっている。
私は古代ヨガの中から、この部分を動かすポーズとムドラ―を創案してここに強い力圧をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。
百日の間、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたる強いエネルギーを集中した。
その結果――、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。
その異変により、神経線維が異常分泌をおこしたのか、それともそこにある分泌液、神経液に変化が起きたのか、そのいずれかはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合しあって、化学反応を起こしたのだ。
あの火は、その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、網膜に閃光を走らせたのだ。
その衝撃はここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星をまたたかせることになった。
同時に私の脳の構造も一変した。
求聞持聡明法の成就である。
求聞持聡明法とは、脳の内部の化学反応による脳組織の変革であったのだ。
≪本では、生理学的な視床下部の説明がされていますが、割愛します。≫
視床下部の機能を生理学的にみてみると、「目の異常」と「人格の変化」が注目される。精神的症状という病的変化と「人格の変化」とは、次元が違う。
「人格の変化」は必ずしも病的なものとは限らない。
人格が変化する場所――、「変身の部位」であることを生理学も認めているのである。
密教は、サハスララ・チャクラとしてこれを用い、人格の変化に利用するのである。
密教は、「絶対の健康」「超人的記憶力」「グンダリ二―覚醒の原動力」という超人への転換の場としてこれを用いる。
≪余談≫
空海は、密教と出会う前に体験しています。
著者の体験は、事実だろうと思うし。彼の直観は正しいかもと思うのですが、それと空海が体験したことが本当に事実であったのかどうか、どうしても疑ってしまう私がいます。
この本が書かれた後、40年後だから客観的にみることができるのかもしれません。当時、この本を読んだ父にとっては、新しい知識と考えに感動したのかもしれません。
教団、出版社、食品販売、占いやカウンセリング。この本を書いた当初のころの求道の志とはちがった活動をしてきています。その教義の変化もしています。○○学会の名誉会長と同じように、名誉学位が大好きです。お金で買っています。
そこまで知った上で、この本の中にある?「真理の部分」を見つけてみたいと思い、本を読み始めました。もう少し我慢してみます。
グンダリ二―の覚醒 
あかあかとひときわ高く燃え上がる火焔に蘇油をそそごうと、檀上の大杓に手をさしのべた途端、私は、背中に、力いっぱいの鉄のかたまりでも、たたきつけられたような衝撃を感じて、声もなく、うしろにのぞけった。
つぎの瞬間、私は虚空をつかんで登高座から転げ落ちていた。
息つく暇もなく苦痛がたてつづけに襲い、私は胸をかきむしり、身をよじり、息も絶え絶えにあえぎにあえいだ。
一体何事が起きたのか、考えるいとまもなく、私の全身はうち震え、わななき、崩れた。
全身の血管は膨張し、苦痛に大きくみひらかれた瞳は血を噴いて飛び出すのかと思われ、息が詰まってあえぐ私は、ささくれだった堂内の板敷きを腹這いつつ拳で乱打し、私の拳は血にまみれた。
「食中毒」
しかし、私はこの山奥の堂にこもったこの三日間、断食を続けていた。
「誰かに毒を盛られたのか?」
「仏罰か?」
のどと胸をかきむしりながら、頭の中をきれぎれに声にならない言葉が走った。
深夜の護摩行、定にはいり、護摩の火を凝視しつつ、チャクラのトレーニングをしていた。
定にはいると、自然に手指が動き、あたらしい朱印がつぎつぎと生まれ、いうなれば「ムドラ―三昧」に入っていた。
その夜、新しいムドラ―が生まれていた。パドラ―・ムドラ―(と今は名づけられている)を組んだ瞬間、例の「明星」が、ふっと護摩の火の上に浮かんだ。それが、いつもと違って、常のようにまたたかず、静止したまま、しだいに明るさを増しつつ大きくなっていく。
ついにそれは、手のひら大になった。
次の瞬間、それは静かに回転しはじめた。ゆっくりと、同じテンポ、変わらぬリズムでそれは回る。頭の中ではなく、明白に護摩の火の真上の空間である。
頭の角度を変えると消えるが、目を閉じて、閉じたまま眼球をある角度に向けると、ふたたび明星は目の中に生ずる。その時、高く積んでいた壇木が焼け落ち、ひときわ高く火が燃え上がった。
蘇油をそそごうとして、檀上の大杓に手をさしのべたとき、私は背中に鉄の塊を力いっぱいたたきつけられたような衝撃を感じて、うしろにのぞけり倒れた。
じーんと強い電流が背骨を走った。
次の瞬間、全身に悪寒が走り、投資するぞと思った瞬間、今度は腹の底からカッと熱くなった。
交互にこれが数回起こった。
ふと、閃いて叫んだ。
「グンダリ二―だ。グンダリ二―の覚醒だ。」
その後、私は苦痛に身を任せ、喘ぎながら耐えた。身をよじりつつ制止を待った。それはおよそ、二時間ほど続いた。
夜が明け始め、すべてが終わり我に返った私は、ふっーと大きくため息をついた。
夢のような出来事のように感じたが、いまだかつてない爽快感。
私は生まれ変わっていた。
私の内なる何かが目覚めていた。すべてのものが明るく輝き、光が流れていた。
私の耳は、地球の発する巨大な轟音を聞いた。
その一瞬、私は時間も空間も超えていた。
―――これが、私のグンダリ二―覚醒の瞬間であった。
宗教とは、結局、「まず信じるかどうか」ですね。疑い出すと、きりがありません。
私(筆者)の場合、密教からヨガに入っていった。
まず、「求聞持聡明法」の修行から始めたのだが、様式化された真言宗の修法では何の変革も与えられず絶望した。
身を転じ、古代ヨガに入って行った。結果として、それがそのままヨガの奥義、グンダリ二―の覚醒に繋がっていたのである。
ヨガの「行法」に欠けたものを埋めるものが真言密教にあった。たとえば、サハスララ・チャクラの開発技術に求聞持法の九種の印明がある効果を発揮する。真言密教の九種の印明は、ヨガの技術といっしょになって、大脳皮質の開発に非常に良い働きをする。
同様に、軍荼利明王の五種の印明と観想が、グンダリ二―覚醒に大変重要な効果を発揮する。
このことは、ヨガの修行者、指導者の誰も知らず、真言密教の修行者、指導者の誰も知らなかった。数千年来、この橋はかけられぬまま、誰も渡るものがいなかったのである。私は、この体験をもとに、古代ヨガの技術を真言密教に取り入れて、独自の宗教システムをつくりあげた。
≪余談≫
二十代の始め、キリスト教学の先生と論争したことがありました。
東洋的な倫理観とどうしても合わない部分があるということで、論戦を挑み、結局疑問の行きつく先は、「キリストの復活」という奇跡でした。
この奇跡を信じているのが。キリスト教徒なのです。これを信じることができなければ、信仰は生まれないということがわかりました。
これを、私はどうしても信じることができないということで、論争は終わりました。
≪福音書の記述をみても、イエス・キリストの復活した場面を目撃した者は誰も記されていない。遺体がなく空になった墓の記述と、イエス・キリストが復活した後、多くの弟子に現れたことが記されているのみである。≫