Short Column

思い出のブログより

面白い記事を再編しました。

 2010/09/14~


Short Column No.01 


ダークマター(暗黒物質)とダークエネルギー

 原子や分子とは異なる謎の物質、存在することはわかっているが、正体がわからない未知なる素粒子、これをダークマター(暗黒物質)と言います。
 そして、ダークエネルギー (dark energy) とは宇宙に存在するエネルギーの半分以上を占めるとされるが正体が明らかでないエネルギーのことです。

 昨夜、NHKの「クローズアップ現代」で放送されましたが、なぜか、わくわくするような興奮と感動を覚えました。宇宙や素粒子のことですから、天文学者や物理学者以外の一般人にとっては、なんのことやらさっぱりわからない事かも知れません。
 光も電磁波も出さない不思議な物質が存在し、私たちが知っている物質を構成している元素は、全体の2割足らずしか、私たちは知らないという事実。私たちは宇宙については、ほとんど「わからない」というのが正しい答えなのです。

 その「ダークマター」の種類ですが、少なくとも三つは存在しているように感じます。
 プラスのエネルギーとマイナスのエネルギー、そしてその中間にあるゼロのエネルギー。
 このゼロのエネルギーとは、「宇宙を支配している絶対的な摂理」であり、分霊として一人一人の人間に存在している「神」のイメージです。
 そして言葉を変えると、「陰と陽」のエネルギー。このエネルギーが変化の全てを支配しているのであれば、宇宙の進化、時間の経緯、そして身近なところで、私たちの心が揺れ動くことも説明できるかもしれません。
しかし、「未知なるもの」というのは本当に興奮します。

Short Column No.02 


ゆらぎを感じる

 突然ですが、自然界に存在する「1/fゆらぎ」の法則は有名ですね。自然界に存在する全ての物質は、この「ゆらぎ」の法則に支配されています。形而上学的に存在は、人工物だけです。
 自然の多様性はこの「ゆらぎ」によって説明できますが、自然の一部である人間の人生も、この「ゆらぎ」という視点で考えてみると面白いのではないかと感じます。
 原因が一つでも、全く同じ結果にはならないという不確実性、これが「ゆらぎ」です。一つの原因から、いろいろな現象が広がり多様な結果をもたらします。

 私たちの未来は、決まった一つの結果ではなく、どうなるかはわからないというのが自然の法則なのです。それを、人間は決まったものとして、「不安」になったり、絶望したりしてしまいます。どうして、人間は決めつけてしまうのでしょう。 そして、変わり続けることが当たり前なのに、どうして変わらないことを望むのでしょう。

 キャリアコンサルタントの現場で、失業者の相談者が、悔やまれている話を聞いていると、上記のようなことを考えてしまいます。
『あの時、こうしたからこんなになってしまった。どうしたらよいでしょうか。』終わってしまったことを悔やみ、涙を流されます。もう二度と、元には戻れないのに、明日のことを考えることもできず、現状の自分に固執し、変わることを恐れ、前向きに行動することを拒絶します。私たちは、いろいろな人生を経験することができます。それを決めるのは自分です。
 楽しい人生を歩みたいと思うのなら、「人生は楽しい」と考えればよいだけなのです。だって、その人は「人生は楽しい」と考えているのですから、どんな出来事があろうと「人生は楽しい」と考えることができるからです。
 自分の想いが人生を創ります。

≪言うのはたやすいのですが、なかなか・・・できませんね。≫

Short Column No.03 


自分の都合

 誰でも自分の都合で動いています。ところが社会では、他人の都合に合わせて生きてゆくことが必要となります。これを我慢して、相手に合わせることができるか、これが大人のコミュニケーションかもしれません。
 自分の思い通りに、(身勝手に)生きてゆくことができたら良いのですが・・・。これを続けますと、満足が得られません。  不思議なのですが、自分の思い通りに生きていると、虚しさを感じるのです。一時的に達成感を味わうことはできるのですが、さらに願望を達成したいと感じ、終わりがありません。そして、それを失う恐怖心や不安に悩まされるようになります。心の平安は訪れません。
 なぜ、こうなるのでのしょう?
 それは、すべての人間が持つ自分の神性に背くからです。

 自分のことだけを考える「自我」は、自分だけの事に執着しようとしますが、心の内面にある「神」は自然の摂理に従っていますから、全て公平に物事を考えます。
 この「神」が人間の生命の源であり、幸福を生み出すことのできる唯一のエネルギー源ですから、この想いに沿って生きることが、本当の幸福に繋がります。
 この世では、自我の欲求を満たす事が、幸福だと勘違いをしている方が多いです。しかし、それでは真の満足は絶対に得られません。

 ではどうすればよいのか?
他人のために生きる視点を持てば良いのです。
他人を活かすためにはどうすればよいか。
他人の役に立つには何をすればよいか。

 私は、自分が儲かるために仕事をするという考え方を止めました。人を「育てる事に喜び」を感じています。他人を育てようとする行為は、自分を育てることになるという真理に気づいたからです。
 このことだけ忘れなければ、心はいつも平和ですし、日々の生活も楽しいものになります。

Short Column No.04 


いじめっ子

 他人にいじめられて自殺する事件が、ニュースでよく取り上げられていますが、実は次のような事実があります。いじめっ子の自殺も多いのです。
 子供のころ、他人をいじめた経験のある人は、30代40代になって自殺する比率が高いというのです。
 自己否定感が強い人が、その反動として人をいじめると言われています。人をいじめる人は、他人に対して否定的な感情を持っていますから、他人からも否定的に見られる傾向になります。
 自己否定感に対する不安が、他者否定になります。つまり、他者否定する人は、自己否定することにつながるわけです。
 なぜ、こうなるのでのしょう?
 それは、すべての人間が持つ自分の神性に背くからです。
 繰り返しますが、他者を否定する「自我」は、自分だけの事に執着しようとしますが、心の内面にある「神」は自然の摂理に従っていますから、全て公平に物事を考えます。
この「神」が人間の生命の源であり、幸福を生み出すことのできる唯一のエネルギー源ですから、この想いを否定することは、自己破壊につながるのです。
 人を傷つけると人から傷つけられます。簡単な自然の法則です。人の痛みを感じることができる人間になりたいものですね。

Short Column No.05 


自分の神性に気づく

 私たちは全て、自分の内部に「神」を持っています。
 この素晴らしい考え方が前提になりますが、これを否定すれば、以下の文章は成り立ちません。人生を素晴らしいと考えない人に、人生の素晴らしさを説いても同じです。すべて、個人の価値観に左右されます。このこと自体が不可思議だと思いませんか。
「なぜ、自分はそのように考えるのだろうか?」
 何の根拠もなく、気が付いたらそのように考える自分が存在しているのです。

 すべての人間が持つ自分の神性とは、一体なんでしょうか。よく良心と言われますが、辞書で調べますと、「良心とは、自身に内在する社会一般的な価値観(規範意識)に照らして、ことの可否ないし善悪を測る心の働きのこと」です。
 自分の心の中に「内在」しているはずの「心」のことであり、その「心」は「宇宙の摂理」と繋がっていると考えています。
 この事実を忘れ、自我という身勝手な意識にとらわれ、自我の肥大を招き、その自我によって苦しんでいるのが、今の私たちの姿です。いつになったら、私たちは気づくことができるのでしょう。
 簡単な法則なのです。
 今、自分が存在している事実に感謝することだけです。「有り難い」という気持ちで、他人のために生きることです。これに気づくことで、私たちの内部にある「神」が輝きだします。
 この「神」が人間の生命の源であり、幸福を生み出すことのできる唯一のエネルギー源ですから、この想いに沿って生きることで、本当の幸福に繋がってゆきます。
 他人を活かすためにはどうすればよいか。他人の役に立つには何をすればよいか。このことを考え続けることが、大切ではないかと思っています。

Short Column No.06 


人を喰らう

ちょっと怪しげに思われる話になりますが・・・。

「霊止」と書いて、ヒトとなりますが、この「霊」の中心にある「神」まで喰われるとどうなるか。ヒトではなくなり、「人でなし」になってしまいます。独特の雰囲気を持つようになります。モノに執着し、時間に縛られ、人を傷つけるような言動、そして人を信用しなくなります。

どのような摩物が、人を喰らうのか?

 摩界のエネルギーなのですが、いろいろな動物に例えられます。  一番怖いのは爬虫類で、代表的なのはヘビです。ヘビのように「ネトッとした」目つきになるので解ります。
 キツネやタヌキのような動物系の摩界エネルギーは、本人に対してのみ、ちょこちょことイタズラをする程度から、人生そのものを破壊してしまうような程度に影響を与えたりしますが、全体的には、爬虫類系にくらべてそれほどの被害は与えません。
 本人以外の他人に影響を与えるのは少ないのですが、爬虫類系の摩界エネルギーは要注意です。その毒素によって、次から次に爬虫類のヤカラを広げようとします。

 新興宗教の教祖、独裁者などは大物です。占いやセミナーの講師などは、キツネやタヌキのレベルが多いと感じます。人の心を喰らうのですから・・・。そしてお金を巻き上げ、依存させ、コントロールしようとします。
「腐りかけの肉はおいしい」とか言いますが、この摩界の誘惑は魅力的なもので、同じような波動を持っている人を引きつけます。怪しげな雰囲気の飲み屋街などのほうが、ドキドキして楽しいというあの感覚です。
私は、めったにそのような人と出会いませんが、外見がどんなに立派で肩書が素晴らしくても、この「ねとっとした雰囲気」を感じる人とは、まともに話さないようにしています。どんなに言うことが素晴らしくても、聞かないようにしています。相手は、なんとか私を説得しようと試みますが、すぐに性根を見抜いてしまうことができるようになりました。
これも、以前、大失敗した経験が生きています。自分の良心を信じ、我欲を捨てれば簡単な事なのです。欲のない人間をだますことはできません。

私たちは全て、自分の内部に「神」を持っています。

その「神」に影響を与えるのは、摩物だけではありません。低級の「神」と崇められる動物神もいます。有名なのはお稲荷さんです。一覧表を作りました。

いろいろな眷属神たち

  • 伊勢神宮…ニワトリ←天の岩屋戸事件の際の長鳴鳥(ながなきどり)。
  • 石清水八幡宮…ハト←宇佐八幡からの分霊に際して、舟のマストに金鳩が出現。
  • 熊野大社…カラス←神武天皇東征に際して、険路で3本足の大烏が先導。
  • 稲荷神社…キツネ←御饌津神(みけつかみ)から御狐神(みけつかみ)へ。 または白狐の精であるダキニ天。
  • 春日大社…シカ←祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から神鹿に乗って遷座。
  • 北野天満宮…ウシ←道真の牛車の牛と農耕用の牛が結びついて広く普及。
  • 調(つき)神社…ウサギ←通称「つきのみや」にちなむ。
  • 日枝神社…サル←比叡山に住む猿に由来。大山咋神(おおやまくいのかみ)の妻の化身(雌猿)とも。
  • 大豊神社…ネズミ←大国主命との神話に由来。
  • 出雲大社…ヘビ←「龍蛇」が出雲大社(大国主命)の神使とされる。眷属としてのヘビは弁天様にお仕えする。

≪鳥系、動物系。眷属神(けんぞくしん)を辞書で調べると、大きな神格に付随する多数の小神格。摂社。末社とあります。一般的には、狐や狸などの動物霊のことですが、最高位の眷属神である龍神や、龍神がある理由により、角や手足をもがれて同体だけになった蛇神は別格です。≫

 いろいろなエネルギーが人間に影響を与えています。その特色を「動物に例えて」表現しているものと考えられます。
 これらのエネルギーに影響を受けますと、特殊な能力を持ちますし、顔つきや雰囲気まで変わってゆきます。普通の人間と違って、目立ちますし、魅力も増します。うまくバランスをとり、コントロールできれば、素晴らしいのですが・・・。

鳥系の眷属神たち

ニワトリ、ハト、カラスなどに例えられるエネルギーです。

 天の岩屋戸事件の際の「常夜の長鳴鳥」(ながなきどり)は、有名なアメノウズメノミコトの踊りに先立ち、高らかに鳴かせ、高天原の夜がまだ明けぬ間に夜明けを告げさせました。「常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめ」 たというのは、闇が消え、再び光が満ちることを予感させるという意味がありました。
 日本には 「予祝」 という伝統があります。よい結果が現れるに先だって、予め祝っておくのです。田植えの前に豊作を喜ぶ祭りをしてしまうのはそれです。
「祈願」 というより、先取りして祝っているのは、「喜ぶ心」 が 「良き結果」 をもたらすという直観があります。
 ちなみに、神社の入り口にあるゲートを 「鳥居」 というところからみて、どうも 「鳥」は、「この世」 と 「霊界」 を行き来する特別な存在であり、さらに、「結界」 を司る能力があるとみられていたようです。夜と朝の結界を鳴いて知らせるのも、そうした力ということのようです。

≪先日、伊勢神宮の外宮を訪問した時、第一鳥居をくぐった瞬間に緊張感が走り、汗が噴き出したことを思い出しました。内宮の場合、宇治橋を渡るときは、ほっとするような温かいエネルギーを感じ、第一鳥居をくぐると、目に見えるのは森なのに、海を感じました。明らかに内と外では、世界が違いました。なお、鳥系の霊界エネルギーは、人間に悪い影響を直接与えることはないと思われます。≫

≪余談≫
 八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏です。熊野三山において烏はミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)として信仰されており、八咫烏は単なる烏ではなく太陽の化身と考えられています。「方向を示すもの」、良い結果を予見させるものというイメージです。

動物系の眷属神たち

 一般的に動物系の眷属神との付き合い方は難しいです。なぜ難しいかということですが、眷属の狐や蛇もこの世界では眷属神として崇められている存在であり、それなりに神威があるからです。


 現に一流企業などは、商売繁盛のため、敷地内や社屋の屋上などに稲荷神社を祀っています。
 眷属神を守護霊としてお持ちの方は、シッカリとした目的意識を持ち、揺るぎない意志があります。実効力に富み、人を引きつける魅力があります。しかし、眷属である狐などは、神の世界においては、まだまだ修行の身です。一般的に茶色い野狐は千年の修行を積んで白弧になり、白狐は更に千年の功績で黒狐になると言います。
 狐は修行を積むために、求めを必要としている人に付き成果を挙げて伸びようとしています。その様なことをよく理解した上で、守護神の一神としてお付き合いすればあまり心配もありません。そして、眷属神は動物霊のため当然のごとく見返り(お礼)を要求してきます。

≪旨くいえませんが、まあどちらかといえばまだ修行の身のため、気性が荒いと言った方がいいのかも知れません・・・・。≫

 狐はこの世では見えないもう一つの世界(幽界など)を見えるようにしたり、次元は低いですが耳元で聞こえるようにする霊験を持っています。そのため狐が付いた人は、シッカリとした目的意識と意志を持たない限り、狐の霊力に振り回されてしまう人が多いのです。ですから、もしその様に見える能力を持っていても、これは現世のものではないとシッカリと判断出来き、振り回されなければ何の問題もありません。
 低いレベル(マイナスイメージ)に波動が合ってしまうから低級霊がみえてしまいます。
 逆にもう少し高いレベル(プラスイメージ)の波動に合わせて、神社仏閣などに行き神様や仏様のお姿や神宝を見せて欲しいと念じれば、その狐の段階にもよりますが自分の修行のために見せてくれます。
 声が聞こえたりもします、どちらかと言えば狐は、その人の心の持ち方や生き方など、まして修行の事等の指導的な事(ほとんど厳しいこと)などは話しかけて来ません。
 逆にその人の心の中を読んで都合のいいことや雑談のようなことを話しかけて来るのが特徴です。ほかの眷属もほぼ同じです。ただレベルの高い眷属でしたら少し違いますが・・・・。
 よく見えるようになった、聞こえるようになったと大喜びで話される方がおられますが、大概の方が眷属の霊力に振り回されてしまっている人です。

≪実は教祖といわれている方や、占い、ヒーラーなどを商売にしている方には、この低級な眷属神が憑いている場合が多いのです。≫

 自分がシッカリとその事実に向き合い、見極めることを忘れず前向きに高いレベルに合わせることを心がければ、ある程度よいパートナーになるかもしれません。

Short Column No.07 


龍神様について

 神霊が直接、人間に働きかけることはありません。

≪次元が違いすきます。波動の波長が違いすぎて低級な人間には、認識できません。≫

 そのため、自然霊の象徴である龍神を動かします。地震や天変地異、台風や豪雨などは、そこに何らかの必然を感じてしまいます。

≪「本来、龍神とは、神の世界の最高位の称号を現すもので、この大宇宙の中であらゆる問題を解決なされるお力をお持ちである神様のことを龍神とお呼びします。」と幣立神宮、東御手洗の由緒にありましたが、その意味で、神霊そのものであるとも言えます。≫

 いろいろな龍神さまがいます。

◆青龍は、中国・朝鮮・日本で、伝統的に、天の四方の方角を司る霊獣である四神の1つで東を示します。

≪四神とは、東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武≫

 青とは、青山(せいざん)・青林(せいりん)のように緑色植物の色であり、太陽が輝く緑の豊かな大地のイメージです。

◆白龍は、特に空を飛ぶ速度が速く、これに乗っていれば他の龍に追いつかれないともいわれます。ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいることもあるそうです。空をイメージさせます。

◆黄龍は、四神の中心的存在、または、四神の長とも呼ばれています。四神が東西南北の守護獣なのに対し、中央を守るとされていて、中国では皇帝の象徴です。中国最初の王は『黄帝』です。

◆赤竜は、名前の通り、火のイメージです。

≪前漢を建国した劉邦には、眠っている母の体の上に赤龍が乗った後に彼が生まれた、つまり赤龍の子だという言い伝えがありましたね。≫

◆黒竜は、災いをもたらす邪悪の化身として描かれる事が多く、白竜等の竜とは敵対関係にあったと言われている。 霊界の邪悪なエネルギーを象徴しています。

「竜」は、元来人間に危害を与えることはありませんが、喉元の「逆鱗」に触れられることを非常に嫌うため、これに触られた場合には激高し、触れた者を即座に殺すとされていました。人間は、この龍神の怒りを買わないようにしなければなりません。「逆鱗」に触れてはいけないのです。

「神霊が直接、人間に働きかけることはありません。次元が違いすきます。波動の波長が違いすぎて低級な人間には、認識できません。」この考え方を少し説明したいと思います。


Short Column No.08 


人間の霊的レベル

スピリチュアリズムの考え方


 霊的な世界は、幾層もの段階に分かれているという考え方です。

≪スピリチュアリズムでは、次のように考えています。神界、霊界(幽界とか摩界も含まれます)、人間界に大別されますが、それぞれの界にも無数の階層が存在しています。神界と人間界は、階層が離れすぎていて、直接交信をすることができないと考えられています。≫

 霊界には、さまざまな次元の異なる世界(界層)が重複して存在しています。
 それぞれの界層は、波長が異なっています。高い界層であればあるほど波長は精妙になり、低い界層であればあるほど波長は粗雑になります。幽界は、霊界の最下層の世界であり、人間界に最も近い界層と言えます。
 ちょうど、電波の波長を合わせて、ラジオの音を聞くのと同じように、波長が違えは音を認識することができません。
 幽霊と言われる「人間の念」などは、人間界に近いため波長が合いやすく「感じる人は感じる」ことになります。
 その人の霊的レベルによって、見える世界が異なってきます。

 私が説明している「内在神」は神界と繋がる高い波長を持っているのですが、その周りを取り囲むように、無数の階層があり、1番外側にある「自我意識」は、この真理を自覚することはできません。

≪心の中に宇宙があります。≫

 この「内在神=神界」を意識することが、「霊的成長」であり、それを求めることが人間の本性であるという考え方を私はしています。
“類は類をもって集まる”といいます。霊界の下層には、魂の成長レベルの低い霊が集まることになります。
 この人間界でも、似通った霊性を持つ者同士が共同生活を営むようになります。

 このスピリチュアリズムの考え方、どう思われますか。よく考えると、何の根拠もありませんし、証明することも不可能ですね。
 信じるか信じないか。
 私は、「そうかもしれないな」と感じているだけです。

Short Column No.09 


ヨガの哲学

ヨガの考え方


 「意識」とは、自分の存在や思考や環境などを認識したり、気づいたりすることです。この認識や気づきを持てるのは、私たちが明確な「意識」体を持っているからで、霊的なものを指し、私たちの存在の根源ともいえます。
 動物の場合は、単純な本能に沿った活動をしていますから、その活動を認識できるレベルまでしか意識は発達しません。しかし、人間はその「意識」によって、自分の存在を意識し、他人の存在、感情を意識することができます。高い意識を持つことは、その「意識」の質が高いからであり、意識を高め発達させることで質の高い「意識」を持つことができます。

 ヨガの哲学によると、私たちは三つの要素で構成されています。
 一つは、物質的・物理的な肉体としての要素です。
 二つめは、精神的・心理的な心としての要素です。
 そして、三つめは、霊的な魂としての要素です。

 これらの要素は、別々のものではなく、いくつもの層が重なるように、連続して存在しているといわれています。その肉体と魂の間にある心は五つの層に分かれており、心の層をさかのぼるに従って、もっと喜びにあふれた、広がりのある高次な存在へと目覚めていきます。
第一の層では、物質的・物理的な欲求に対する心理的な活動が行われます。
「何か食べたい」「眠りたい」「長生きをしたい」

第二の層では、精神的・霊的な事柄に関する知的な活動が行われます。塾考したり、分析したり、さまざまな喜怒哀楽などの経験を求めます。
「この自然はどうなっているのだろう」「英語が話せるようになりたい」

第三の層は、物理的な制限や知的能力の限界を超えた無限の存在を感じ、認識し始める層です。
「神は存在するのか」「私はどこから来て、どこにいくのだろう」

 ほとんどの人は、前の二つの層だけで活動をしています。

 人は、前の二つの欲望を追いかけていくことの疑問を感じたり、精神的にも肉体的にも辛い思いをしている時に、その人の心の奥から生まれてくる第三の層からの精神的渇望感を感じることがあります。

 なお、第四の層は、特別な智慧の層といわれ、テレパシーなどの超能力の世界、
 第五の層は黄金の層です。

 その存在の核となるのが、「 内在神 = 真我 = 宇宙意志 」です。

 ヨガの哲学では、この意識は光源体であり、太陽のようにその光を四方八方に放っており、その光の筋が一人ひとりの第五の層(黄金の層)に反射することで、私たちの「意識」と「神界」と結びついていると考えます。


Short Column No.10


心と水

私は、心とは「水」だと思っています。

 水は確かに存在していますが、その大きさは測れません。形が無いからです。H2Oが元素記号ですが、この集合体が、水なのでしょうか。まず形状として、気体、液体、固体に別れますが、通常、液体を水と言っています。実は、気体とは何か、液体とは何か、固体とは何かという答えもよくわかりません。その水には、H2O以外にもいろいろな物質が混ざっています。 人間の体を構成している70%程度は、水です。
≪乳幼児の場合は90%程度が水です。≫

 この水が心の正体ではないかと思っています。
 水ですから、その状態は常に変化していますし、混ざり合って濁ったり、外部から取り入れて、浄化したり、排出したりしています。 心と一緒だと感じるのです。
 生命は水から生まれました。全ての生命は、水から誕生し、水によって生命を保っています。逆に考えると、水によって生まれた生命にはすべて「心」があるということになります。
 植物にも動物にも「心」があるのです。
 少なくとも縄文時代の人々はそのように考えていました。当然、その水によって全ての心は繋がっていると考えていました。その繋がりは、時間と空間を超えて、形を変えながら永遠に繋がり続けています。
 私たちが土や鉄から作りだした物質には心はありません。
 自然現象は、すべて秩序から無秩序の方向に流れます。
 どんな花瓶でもやがては崩れ、粉々になり、最後は土に戻ります。花瓶という秩序は、最後には無秩序の粉になってしまうのです。これを「エントロピーの増大の法則」といいます。
 ところが、「心」をもつ生命だけは、子や孫というように世代の交代が起こりますが、生命現象には終わりがないのです。それぞれの固体には、死が待っていますが、種の連続性という点では、終着点がないのです。
 さらに、この世代交代のプロセスでは進化が起き、形態や機能がより複雑、高度なほうに変化していきます。
 他の自然現象はすべて、均一化という無秩序の方向に向かっているのに、『心』をもつ生命だけは秩序を維持し、しかも進化によって、より高度な秩序を実現しています。

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