Short Column

スピリチュアル的考察の紹介

 心理学を学んでいるとどうしても合理的に理解できない部分が出てきます。「霊性」という部分です。怪しげな考え方という人も多いのですが、私の考え方を述べます。

2010/05/05~

スピリチュアリティー 輪廻転生 前世での記憶 前世を知る 何かを学ぶために フラッシュバック 生命は永遠 私たちは一体である 執着からの自由 手放す 病気は教えてくれる 心の声を聞く サムシング・グレート

感謝とは

 感謝とは、ありがたいと思う気持ちを表すことです。
 この「ありがたい」を辞書で調べると、次のように書かれています。

あり‐がた・い【有(り)難い】
[形][文]ありがた・し[ク]《あることがむずかしい、の意から》
1 人の好意などに対して、めったにないことと感謝するさま。
2 都合よく事が進んでうれしく思うさま。
3 またとないくらい尊い。もったいない。
4 存在しがたい。珍しい。めったにない。
5 むずかしい。困難だ。
6 世に生きることがむずかしい。生活しにくい。

 この「感謝」がキーワードです。
 年をとり、自分というものがすこし見えるようになってきて、これまでの人生において、いろいろな間違いを犯してきたことに気づくようになりました。今まで自分が正しいと信じてしてきたことが、実は間違いであったと気がついたのです。これには、愕然としました。  最大の間違いは、「感謝」を忘れていたという事です。徳に両親に対する感謝がたりなかったなあと感じています。

  感謝 → ありがとう → 有り難い → 不思議 → 奇蹟


スピリチュアリティーとは「自分を見つめること」 

 スピリチュアリティーは「霊性・精神性」と訳されますが、これを言葉を変えて言えば、「自分を見つめること」です。自分とは何かを追求し自分と向き合うことで「自己成長を図ること」と言えます。それは自分の「心の内」に向かうことであり、この点、自分の「外」に絶対性(神)を求める既存の宗教とは異なります。そして、スピリチュアルに目覚めることができれば、この現実社会もうまく生きていく事ができるのではないでしょうか。
 21世紀という新しい時代を迎え、世界の流れが大きく変化しつつあります。私たちは「人間とは何か、自分とは何か」、「何のために生まれてきたのか」、というような問いかけに、真正面から取り組まなければならない時代を迎えているように思われるのです。

輪廻転生 

 輪廻転生という言葉がありますが、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言います。つまり、人はこの世に何度も生まれてくると考えます。 そして、それぞれの「生」で体験しなければならないことを体験し、そこから学び、次に向かって進んでいきます。
 このことを理解することで、いま自分が直面している問題を解く「カギ」が見つかったり、また、長い間、苦しんでいた問題や人間関係から解放されたり、時には、病気の原因が見つかることもあります。
 そして、「今の自分が理由があってこうしている」ということが分かれば、今まで抱えていた苦しみや悲しみも和らぎ、時として、問題そのものが解決に向うこともあります。過去生での傷を癒すことで、今の人生も変わってくるのです。
 この輪廻転生という考え方を、信じない人もいます。科学的ではないからです。科学的に証明することができないものは、信じないという立場です。その方にとって死とは、すべての終わりであり、それゆえに死を恐れます。その恐怖は、何よりも自分を縛ってしまいます。 そして、死に逃げることも考えてしまいます。死ねば、現世の苦から逃れることができると考えます。しかし、もし輪廻転生が真実であるなら、死によって苦から逃れることはできません。
 どちらが、当人によって都合がよいのでしょう。

前世での記憶 

以下、私のスピリチュアル的な考え方です。
 誰にでも前世はあります。前世が「あるとか、ないとか」 ではなく、まずは、「ある」と考えた方がいいと思っています。
 人は、この世に生まれてくるとき、前世での記憶を忘れてしまっただけなのです。そして、忘れることの意味もあります。
 ひと口に前世と言っても、この世に生まれた数だけの前世があり、人によっては、何百という前世の数になるかもしれません。もし、私たちがそのすべてを記憶していたら、現世を生きていくことが大変窮屈になります。
 今は善人であっても、ある前世では犯罪者だったかもしれません。自分が傷つけた人が、今は自分の親しい友人であるかもしれないのです。もし、そんなことを全部覚えていたら、人間関係がおかしくなってしまいます。

 人間の体は、単なる細胞の集まりではなく、そこには「意識」が宿っています。そこには、両親から受け継がれた遺伝子情報、さらには両親の親、さらにはその両親の親など、幾世代にも渡る情報が記録されいます。そして当然のように、私たちが思い考えたことも、記憶として蓄積されている。そのように考えれば、前世の情報も蓄積されていても何ら不思議ではありません。

 私は、そう考えています。

 細胞には遺伝子情報だけではなく、これまで経験した過去世のすべての情報も記録されているかもしれないのです。
 例えば、母親のお腹の中にいる「赤ちゃん」は、最初から「赤ちゃん」の姿ではありません。
 受胎後の最初の姿は「魚類」、次に「両生類」(メダカ・カエル)、その次に「爬虫類」(ヘビ・ワニ)、そして「哺乳類」へと成長し、母親のお腹の中で十月十日を経て、「人間の赤ちゃん」の姿へと成長して生れてきます。
 人間の体の細胞には、その進化の”記憶”が刻まれていると考える方が自然なのではないでしょうか。
 遺伝子情報の中には、両生類だった頃に水の中を自由に泳ぎまわっていた頃の記憶、飛び方を覚えて鳥になった際の知識も含まれているのではないでしょうか。
 赤ちゃん誕生の過程は、35億年の「生命の歴史」の再現であり、赤ちゃんは「DNA遺伝子」に宿る全記憶を再現しながら、この世に生まれてきました。
 人間の細胞には、「35億年の生命の歴史」が記録されている、これは驚きです。
 こんなことを考えると、人間に「前世の記憶」があっても何ら不思議ではないと思います。

今在る自分の不思議さを感じています。
奇蹟 → 不思議 → 有り難い → ありがとう → 感謝


前世を知る 

 人はこの世に何度も生まれてきます。そして、それぞれの「生」で体験しなければならないことを体験し、そこから学ぶことで「霊的成長」が可能になります。
 これを理解すると、現在、自分が直面している問題を解く「カギ」が見つかることがあります。そして、長い間、苦しんでいた問題や人間関係から解放されこともあるのです。
 では、あなたは、どんな目的、どんな課題を抱えてこの世に生まれてきたのでしょうか!!
 それは、現在の自分を注意深く見渡せば、自分がどんな課題を抱えて生まれてきたのか分かります。もしかしたら、いま抱えている問題・悩みが、自分が学ぶ課題かもしれませんし、前世で、浄化できなかった課題として、現世で取り組んでいるのかもしれません。
 親子の関係では、前世で親であった人が、現世では子供であったり、その逆の場合もあるかもしれません。それぞれ、立場を変えて学び、浄化できなかった課題に取り組んでいる場合もあるかもしれません。また前世で憎しみ合っていた人たちが、家族という関係を選んで、再び出会うということもあるのかもしれません。
 いくつかの人生では、愛する人と結ばれて、幸せにその生涯を終え、そして、いくつかの人生では、悲しみの中で人生に終わりを告げたかもしれません。
 争いで人を傷つけ、その犠牲者にもなったのかもしれません。
 遠い過去に、そのすべてを体験し、そのような経験をして、「今在る自分」になったのです。  かつては誰もが”善人”であり、また”犯罪者”であったかもしれません。
 悪を見て、あなたが責める他人は「かつての自分」なのかもしれません。
 かつては自分もそうだったかもしれないのです。
 何百、何千という輪廻の中で、人を殺したことがない人はいないでしょう。そして、それを乗り越えてきたのが、「今在る自分」なのです。
 ただ、前世を知ることはいいですが、これに囚われてはならないと思います。過去は過去であり、現世の自分とは、直接関係はありません。
 大事なのは「この今」です。
 この今を100%生きるということです。
 前世を知ることの意味は、そこから何かを学び、「前向きに生きていく」と言うことです。 この点をしっかり理解しなければ、もし前世を知ることがあっても、何らプラスにはならないと思います。
 例えば、前世が夫婦や恋人だったと、無理に関係づけようとしますと問題が生じます。たとえ、前世で「ご縁」があっても、お互いが別々の道を選んで、この世に生まれたかもしれません。それが前世からの約束であれば、当然、別々の道を歩むことになります。それが分かったとき、それが「実らぬ恋」であれば、現世で再会できたことだけでも感謝して、前に進みましよう。
 逆に、前世で、現世での再会を約束して、この世に生まれることもあるかもしれません。 このような関係を「ソウルメイト」 と言います。「ソウルメイト」とは、愛によって結ばれた人たちで、いくつもの人生で、何回も繰り返して出会います。そして、誰にも特別の人がいるそうです。
 時には二人、あるいは三人かもしれません。時間の海を越えて、再び出会うために、この世に生まれてきます。それは恋人・友人、あるいは両親・兄弟かもしれません。それは自分で引き寄せたのです。そして、あなたも彼らに引き寄せられたのです。理由があって。
 だから、この世には偶然はありません。何事も偶然に起こったりはしないのです。
 もし、過去世をのぞくことができれば、すべての出会いに意味があることが分かるはずです。
今苦しんでいる事、この課題を解決するために、生まれてきました。

何かを学ぶために 

 人はこの世に何度も何度も生まれ、そして、何かを学んで帰っていきます。スピリチュアルでは、それを学ぶために、生まれる環境さえも自分で選んで生まれてくると考えます。
 この世に生まれてくる時、人はすべてを選んで生まれてきます。自分が学ぶことや、経験することを自分で計画します。基本的な事柄、生まれた環境・場所、両親、兄弟はもちろん、自分の容姿さえも自分で選んで生まれてきます。

「鏡の法則」より
 あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡です。あなたが、その人から責められて悩んでいるということは、あなたが、誰か別の感謝すべき人に感謝せずに、その人を責めて生きていることが『原因』です。

人間関係は鏡のようなものです。
 相手のあなたに対する態度は、あなたの相手に対する態度そのものと考えてください。よく「わたしは友達運がない。不快な人とばかり出会う」といったいい方をする人がいますが、そういう人は、自分がいかに他人に不快感を与えているかに気づいていないのです。たとえ、自分の置かれている環境がどんな環境であっても、ほんとうは自分で選んできたものなのです。
 厳しい状況にある人には、ほんとに辛いことです。でも、それを学ぶために生まれてきたのです。

「鏡の法則」より
 人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こるんです。つまり偶然起こるのではなくて、起こるべくして必然的に起こるんです。ということは、自分に解決できない問題は決して起こらないのです。
 起きる問題は、すべて自分が解決できるから起きるのであり、前向きで愛のある取り組みさえすれば、後で必ず『あの問題が起きてよかった。そのおかげで・・・』と言えるような恩恵をもたらすのです。

 病気や事故で早々と人生を終える人もいます。体に障害をもって、この世に生まれる人もいます。それは両親にとって、残酷、同意しかねる理不尽なことですが、彼らは尊敬すべき人たちです。苦難を背負って生まれてきた人は、同情や哀れみではなく、勇気を讃えるべき人たちです。そして、私たちは彼らから学ぶべきことがいっぱいあります。
 逆に、恵まれた環境で生まれてきたはずなのに、身勝手に振る舞い、他人を傷つけ、悲惨な人生を送る人もいます。その人にとって、責任は、すべて他人にあります。
 独論ですが、彼らに共通することは、自分の「外」に絶対性(神)を求めることです。 金銭であったり、新興宗教であったり、「心の内」に満足を求めるのではなく、「外」に求めます。つまり、自分を信用していないのです。
 彼らからも、学ぶべきことがたくさんあります。

フラッシュバック 

 過去、心的外傷を受けた場合に、後々にその出来事が、突然に思い出されたり、夢に現れたりする現象、これをフラッシュバックと言います。元の意味とは少し違うかもしれませんが・・・。

 過去、自分がよく使っていた言葉を、自分の子供から聞きました。その時、三十数年前の自分と両親との会話がそっくりであることに驚き、衝撃を受けてしまいました。
 その言葉とは、「私を信用していないのか」という言葉です。
 親になって、子供から同じ言葉を聞き、始めて、当時の両親の衝撃の大きさを知りました。私としては、当時は、それほどの意味で使ったわけではないのですが、親としては衝撃だったと思います。その頃のことが、まるで鏡に映し出されるように思い出されました。
 親としては、心配でいろいろと干渉したくなるのです。決して子供を信用していないわけではないのですが、自律していく子供に対して、寂しさを感じていたのかもしれません。

「鏡の法則」では、「人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こる」といいます。今回の事件も、偶然起こったのではなくて、起こるべくして必然的に起こったと思います。
 そして、当時の両親も、今の私と同じようなことを感じていたのでしょう。取り返しはつかないのですが、本当に悔やんでいます。
 自分を変えることでしか、この問題は解決できません。自分自身が、今できることは何か。  母親との関係を考え直す必要があります。この年になって、体験しなければならないことを体験しました。
 長い間、苦しんでいた自分の母親との関係から解放されるかもしれないと感じました。言葉でいうのは、簡単ですが、言い訳している自分もいます。
「逆に、自分こそ、いろいろな心の傷を受けてきた。母親から受けた『値引き、どうせあなたは口先だけで、何もできない』などというような言葉を忘れることができません。」

 こちらが相手に対して抱いている否定的な感情を、何らかの形で相手に伝達することを「値引き」と呼んでいます。「相手を値引きする」場合と「自分を値引き」する場合があります。

 そうではないのです。他人と過去は、変えることができないのだから、自分の見方を変えることでしか、今の自分と未来の自分を変えることはできないのです。
 頭では分かっているのですが・・・。
 自分も両親を傷つけていたという事実に、今になって初めて気づきました。ダメな自分のいろいろな事件が、フラッシュバックされて、落ち込んでしまいました。お互いさまだったのです。


私を信用していないのか 

 娘との会話の中で、出た言葉です。私が若いころ、両親に対して、いつも思い続けていた言葉です。その言葉を聞いた時、心の底に衝撃が走りました。娘は、それほど意識していなかったのだと思います。若いころの私も、この言葉を聞いた時の親の衝撃に気づきませんでした。
 ある人にとっては、どうでもいいようなことが、別の人にとっては、自尊心や価値観などをひどく傷つける場合があることに、気づかなければなりません。
 私の場合は、いろいろな言葉で母を傷つけていたことに気づかされました。そのきっかけが、娘が私に言った言葉、「お父さんは、私を信用していないの」という言葉だったのです。
 その事実は、ある人にとっては、言ったか言わなかったかも忘れてしまうような、ささいな事実です。しかし、別の人にとっては、その小さな事実は胸にグサッと突き刺ります。そして、その人は耐えがたいほど傷ついてしまうのです。

 子供のころ、母によく言っていた言葉があります。自営業でしたから、母も仕事が忙しく、性格的にも家事が得意ではありませんでした。私は良く好き嫌いをしていましたし、食事がまずかったのです。
 食事が「おいしくない」とよく言っていました。
「おいしくない物をおいしくないといって何が悪いか」とも思っていましたが、言われた方はどんなに傷ついていたでしょう。
 娘の言葉に、なぜ自分は傷ついたのか。
「娘はなぜそのことを言ったのか?」
「それはその事実が娘にとっては、ささいなことだからである」
「そうであるなら、そのことで傷つくのは、自分の問題である」のです。

 母がよく言っていた言葉で、私が傷つけられていた言葉があります。
「どうせ、○○は、口先ばかりで、~できない。」
・・・なぜ、息子を信用しないのか? なぜ、認めてくれないのか?
 言われた時、いつも心の中で反論していました。

 食事の好き嫌いなどで、合理的な理由などを、子供のくせに親に浴びせ、それに対して反論できない時などに、言われていたことに気づきました。小さいころから、理屈が多く、体を動かさない子供でした。それに対抗して?、親も私を「値引き」していたのです。
 事実、食事はまずいのですが、他の兄弟は文句も言わず、好き嫌いもせずに食べていました。親に気に入られるために、「おべんちゃら」を言っていると思っていました。
 なぜ、自分はできなかったのでしょう。一言、おいしいという事ができれば、どんなに母は喜んだでしょう。どうして、そのやさしさが無かったのでしょう。
「どうして、あんただけ好き嫌いするとやろか。」母はいつも嘆いていました。

★値引きについてちょっと詳しく解説

 相手を殴ったり罵倒すると言った直接的な行為も含まれますが、むしろ、皮肉、嘲笑、からかいなど、間接的な手段を用いて相手を傷つけることを「値引き」と言います。
 例えば、「この子はダメだ」と相手の中に潜む力を認めようとしないなど、「相手を値引きする」場合と「自分を値引き」する場合があります。
「あの人にはできるけれど、私にはできない」と言う人。
 誰にも問題解決の力はあるはずなのに、「私はそんなことできません」と自分の力を無視してしまう、軽視してしまう人。これは、自分で自分を値引いています。
 私の場合は、自分の味方であるべき親から値引きをされていました。これを「禁止令」とも言います。一般的には、他人から受ける場合のほうが多いと思います。

 会社などにおいて、次のような事例があります。
①相手、あるいは相手の問題を無視する
 挨拶をされても、知らん顔をしたり、会議の席で、相手の発言の直後に、それとぜんぜん異なる話題へと話を進めます。

②相手、あるいは相手の問題の重要性を無視する
 相談を受けても、「そのうちに考えておこう」といって引き伸ばします。

③問題解決の可能性を否定する
「それができるくらいならやってみたまえ」など、皮肉に満ちたコメントなどを言います。
④自分の側の関心や、問題解決能力を否定する
 この場合、当人は相手の問題にも気づいており、その解決も可能であると信じています。 しかし、実際にそれを処理する段になると、自らの能力を値引き、誰か他の人に肩代りさせようとします。
「私はもともとこんな性格ですから、いまさら変えろといわれても無理な話ですよ。むしろ、こんな仕事は○○さんにたのんでみては・・・。」といった逃げ口上を言って、深入りするのを拒むのです。


生命は永遠 

 この世に別れを告げる時、人は「走馬灯」のように自分の人生を振り返えると言われます。終わったばかりの人生のあらゆる瞬間を、もう一度味わうそうです。
 嬉しかったこと、楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと。すべての行い、すべての言葉、すべての経験が、まるで、超高速で映し出されるビデオを見るように、自分の一生が一瞬のうちに、映し出されます。そして、死の瞬間に、さらなる生命に気づきます。生命は永遠に続き、終わりがないことに気づくのです。
 また、死の際に、人はこの人生で体験したことを、相手の立場に立って振り返ります。 それぞれの場面で、そのとき、自分がどのように思っていたか、なぜそうしたのか、さらには相手の立場に立って、まるで自分と相手が 「入れ替わった」ようになって、相手の思いを感じ取ることができます。たとえ、人を傷つけたとしても、その行為の「良い、悪い」の価値判断はないし、誰もそれを非難する人はいません。
 しかし・・・
 もし、誰かを傷つけ、虐待すれば、自分が虐待した被害者となって、その痛みを感じるのです。苦痛を与える者と、苦痛を受ける者の両方を体験するのです。そのすべてを感じます。  誰かを傷つけ、苦しむ人の顔をよく見れば、それが自分だったということに気がつくのです。それはまさしく自分なのです。それが死の瞬間に体験する事です。
 どうですか。もしこれが本当なら、人を苦しめて生きてきた人は、人から苦しめられて生きてきた人なのです。誰かを傷つけてきた人は、傷つけられてきた人なのです。私のように、過去、両親を傷つければ、子供から傷つけられるのです。
 仏教では、地獄に閻魔様がいて、人生についての審判が行われるそうですが、このことに気づくことが、審判そのものかもしれません。
 ある時は、失恋という報われない愛を感じる者になり、ある時は、争いで言い返せなかった人の悔しさを知ります。誰かを騙せば、騙された者となって、悔し涙を味わいます。誰かに何かをしたとき、それは自分自身にしていることなのです。このとき、「すべての人が生命の糸で結ばれている」ということを知ります。

私たちは一体である 

 人から受けたどんな苦しみも、悲しみも、お互いがそれを共有する”瞬間”がやってきます。そこでは、相手の苦しみを「自分の苦しみ」として感じます。
 誰かを傷つければ、それは自分を傷つけていたことになります。これは死の体験のとき、すべての人が体験します。他者などいないのです。逆に、誰かに何かを与えれば、それは自分に与えていることになります。
 人に与えるのではなく、実は、自分自身に与えているのです。だから、人に与えれば与えるほど、多くのものを受け取ることができます。
 たくさんの物を手にするのではなく、たくさんの物を人と分かち合う、そうすれば、たくさんの物を受け取ることができます。人は、いつかそのことに気づくでしょう。そのことが分かる時が、きっとやって来ます。私たちは一体、すべては「一つ」なのです。すべての人が目で見えない糸で繋がっているのです。自分に起こる体験すべては、自分自身の成長のためになることであり、学びです。
 私たちがこの世で生かされているのは、学んで体験するためです。これまでの失敗や誤りはそこから何かを学び、次に生かしていくため、一歩ずつ進んで行くための経験なのです。
 人が、人生を終えてあの世に帰るとき、持ち帰ることができるのは、たった一つ、この人生で得られた体験、感情の蓄積です。財産でも地位・名誉でもありません。人がこの世に終わりを告げるとき、この人生で「何を学んだか!」、それだけでです。
 過去の事実、出来事は、変えることはできません。しかし過去に戻って、そこから学ぶことはできるはずです。これは再構築(リフレイミング)と呼ばれるもので、過去に舞い戻って、過去に起きた出来事を理解し、それに対する「反応」を変えます。
 過去の出来事で、それに対して、強い怒り・恨みという反感を持ち、その出来事がトラウマ、心の傷になっているのであれば、その時点に戻って、今度は、その出来事を「愛・許し・理解・共感」という態度で受け止めるのです。それは、ある出来事で起きた「怒り、不安、悲しみ」、また、「人から裏切られた強い思い、人間不信」かもしれない。そして、過去の出来事を理解し、それと向き合うことで、現在の状況も変わってくるのです。
 不思議です・・・

 知識としては知っていますが、自分が当事者の場合、「ゆるす」ことがなかなか難しいです。過去にとらわれていて、自分を変えることを阻害している自我がいます。このエネルギーは侮れないもので、少しずつ、少しずつ、努力するしかありませんね。


執着からの自由 

 人はあらたな経験、新たな環境、あらたな場所、新たな人、新たな考えに触れることで、成長し、進化していきます。そして、それを阻むのが「執着」です。
 自分たちの場所、自分の愛する人、自分の物、自分の考え、思い出・・・・それらに執着します。そのようなもろもろの執着から自由になり、別の状態へ、別の幸福へと進むための、たった一つの道が肉体という衣を脱ぎ捨てることです。それが「死」です。

しかし、死んでもその執着から逃れられない場合もあります。自分が死んだことに気がついていなったり、その執着から離れることを拒んだりする場合もあります。自縛霊などと言われています。自殺などは、その執着から逃れることができなくて、普通よりも長い期間、苦しみが続くといわれています。

 一般的には、肉体が滅び、死を迎えたとき、ようやく人は執着から逃れて、新たな状態に入ることができます。しかし、その代わりに、かつての人生のことは何一つ覚えていません。 どんなに愛着あるものも、愛する人のことも覚えていないのです。
 しかし、本当は、一人ひとりの心の奥底に、これまでの過去世の記憶はすべて、ひっそりと眠っているのですが・・・。

人はなぜ、執着するのか

 ちょっと話がそれますが、人はなぜ、執着するのでしょうか。人は自我があるかぎり、執着するといわれています。
 カウンセリングでは、よく「執着を手放しましょう」という表現を使います。これは今の自分を苦しめている感情を手放すことで楽になりましょう、という意味なのすが、言うは易し、行うはナントカですね。
 私たちは、怖れ、辛さ、苦しさ、痛み、自信の無さ、罪悪感などのネガティブな感情にしがみついています。このしがみついていることを「執着している」と言います。
 また、それが一見感情ではないようなものに対しても、そのモノを通じて感じているネガティブな感情にしがみついている、と見ることができます。
 例えば、恋人(別れたらどうしていいか分からない不安や怖れ)、会社(クビになったらどうしよう、という不安や怖れ)などのように。
 執着している状態というのは、ちょうど恋人という名の小鳥を鳥かごに閉じ込めているようなものだそうです。その小鳥はいつもあなたの近くにいてくれますが、あなたは小鳥が自分の意志でそこにいるとは感じられません。
 つまり、恋人が近くにいてくれていたとしても、それは自分が彼(彼女)を縛り付けているから(閉じ込めているから)、そこにいてくれるような感覚を持ってしまいます。その感覚が強い分だけ、彼(彼女)に愛されているような感覚は全然しません。つまりは彼(彼女)の愛情を受け取れなくなってしまいます。
 その小鳥を手放して自由にして空に放してあげたときに、自分のところに舞い戻ってきたらどうでしょうか?そこで初めて「小鳥の意志」を感じることができます。それは即ち、彼(彼女)の愛情を感じて、本当に喜べるわけです。でも、それはとても怖いことです。私達は小鳥を手放したら逃げて二度と戻ってこないに違いない、と思っていますから。だから、私達は手放すことよりも、より執着してしまいます。小鳥の自由よりも、小鳥を逃がさないようにより強固なカゴに閉じ込めようとするように。

手放す 

 手放すというのはちょうど心の中に陣取っていたネガティブな感情を解放することになります。手放せた分だけ心にスペースが生まれることになります。そのスペースには悪いものを新たに入れることも出来ますが、良いものを入れてあげることもできます。
 どちらが良いですか。
 例えば、もと彼への執着を手放したら、その彼以上に魅力的な人に出会ったり、会社への罪悪感を手放したら、やりがいのある仕事が手に入ったりします。

 具体的な訓練方法について、紹介します。
 胸のあたりにある真っ黒な執着というものをイメージします。
 ほんとにきたなくて、早く取りさりたいですね。
( 実際に、ジェスチャーをしてみます )
 自分の両手で、そのものをつかみ「よいしょっ」と言いながら、その物体をとりだして、机の横に置きましょう。そして、エイと言いながら、それを吹き飛ばすのです。
 その後、汚れているその手を気のすむまで洗ってください。
 これで執着が、あなたから離れました。
 信じてください。そう、思い込むのです。

 手放すというのはとても大切なことなのです。ぜひ、学んで皆さんの毎日に生かしていただきたいと思います。

◆手放しを妨げる要因について

①寂しさ、孤独、惨めさを感じることに対する怖れ

 恋愛やビジネス上の関係ではこの感覚が一番強いです。好きな彼氏・彼女に振られてしまったら、とても辛いし、寂しいものです。でも、私達は「寂しさ」「孤独感」「惨めさ」という感情が大嫌いですから、その感情を感じないように色んな努力をします。
 例えば、遠距離恋愛だった場合、日常生活での変化は、意外なほど少ないものですから、たとえ別れてしまったとしても、付き合っているときと同じ気分で毎日を過ごしてしまいがちです。そうするとついつい彼氏がいるような態度をとってしまったり、そんな気分になっていたりして、ずっと引きずってしまうことがあります。
 普通に付き合っていた間柄でも、別れた後に彼のことを「傷つけられた」「恨んでやる」「悲しい」というネガティブな気持ちで繋がろうとします。そうすることで心の中にいつまでも彼の存在を残しておくわけです。だから、ここで彼を手放そうとすると「本当に一人ぼっちになってしまう」という不安と怖れが出てきます。
 それから、リストラにあったり、会社が倒産したり、あるいは何らかの事情で退職しなければいけないような場合にも同じような感情が出ます。会社や社会を「恨む」「悲しむ」ことで、いつまでも引きずってしまうのです。この場合、幸せな状態からは離れてしまいますし、前に進むことも出来なくなります。

②変化することへの怖れ

 例えば、あなたが長年あるコンプレックスを抱えていらしたとします。それをなんとかしたいけど、どうすることも出来ずにいたとします。そうすると、私達にはその状況に適応する能力が備わっていますから、そのコンプレックスを持っている状態が“普通の自分”になってしまいます。つまりは、コンプレックスを感じて、それを責めたり、隠したり、悩んだりするのが“私”と思いこんでしまうわけです。
 そうすると、そのコンプレックスを手放してしまったとしたらどうなるでしょう?まるで“私”が無くなるような気がしてしまうのです。これは手放して、自分が変化する怖れを象徴しています。確かに苦しいわけではないけれど・・・幸せでもありません。

③誰かへの復讐のため

 あなたを十分に愛してくれなかった誰かがいたとします。それは元彼でも、親でも、先生でも。でも、あなたはそのことが許せない、でも、表立って暴れたり、傷つけてしまえば、自分が逆に攻撃されてしまうかもしれません。そのときに私達は、その痛みにしがみついて、その自分を傷つけだ誰かに向かって「私がこんなに辛いのはあなたのせいです」というメッセージを送りつづます。
 この時、「この痛みを手放したら、彼を許さなきゃいけない!」という感情が心の中を占めてしまいます。でも、・・・少なくとも幸せではありません。

④誰かの助けを求めるため

 上と似ていますが、自分が潜在的に依存している人に対して「私はあなたじゃなきゃだめ」という状態になることがあります。だから「あなたが助けてくれるまで私はこの痛みを手放さない」と。
 この場合は他の人が手を差し伸べたとしても、その手を払いのけて、その痛みにしがみつきます。これは潜在的な癒着も一口絡んでいるようです。少なくともその人があなたを助けるまでは痛みにしがみついてしまうわけです。

 手法を紹介します。自分を苦しめているのは何か、その苦しみを手放しましょう。

◆手放すことを選択する

 今の状態を受け入れ、それを手放すことを選択しましょう。
「よし、いつまでこんな状態でも仕方ない。手放そう!」と思うのです。しかし、ここで先に挙げたような“手放せない理由(=執着しているもの)”がうじゃうじゃと出てきます。怖れだったり、恨み・辛みだったり、罪悪感だったり。そのマイナスの力に引っ張られるとせっかくの決意も水の泡になってしまいますから、ここは選択しつづけること(コミットメント)が必要です。

 理屈では分かっているのですが、自分自身を振り返ると、これがなかなかできません。今の自分の現状を、何か他の物のせいにすることで、自分を守ってきたという事実があります。これを手放すことは、今までの自分を否定することになります。選択できるのは、自分しかありません。勇気が必要です。


①自分を受け入れ、許す

 手放すものがあるということは、現状に何らかの問題が発生しているということです。先に挙げた「手放せない理由」にしがみついている状態です。多くはそんな自分を嫌らったり、相手がいる場合は相手を攻撃したりしてしまいます。
 でも、ここでは自分を受け入れ、許してあげることが大切です。自分自身の痛みを感じることは惨めだったり、寂しかったり、恐かったりします。でも、そこでは自分がより良くなるためです。

②目標を設定する

『どうして手放すのか?』という目標を設定しましょう。
≪紙に、箇条書きで良いですから、書いてみてください。≫

 ここでは自分の心に素直になってみる必要があります。この段階で「心の支え」があるか無いかが成功のカギになります。だれか、支えてくれる人の存在があれば、心強いと思います。
 ここが上手にできると、希望の光が見えてきて、わくわく・どきどきする感覚が芽生えてくるはずです。自信があまりなくて、恐る恐る目標設定することになるかもしれませんが、それでもかまいません。何よりも何らかの目標を設定することが大切なのです。そして、もしその目標が間違っていると感じたら、その時にまた修正すれば良いのです。

③決意する(コミットメント)

 その目標が曖昧でも見つかったら、改めて「手放し」を決意します。
「執着を手放そう。自分が幸せになるために」と宣言してください。
 ここでは「勇気」がとっても大切です。
「腹をくくる」という言い方がありますが、「覚悟を決める。いかなる事態にもひるまないよう心を固める。」ということです。
≪実際にその決意を、紙に書き、目に見える場所に貼り付けると良いと思います。≫

④演じる

≪イメージしてください。心の中にある鳥かごの中に、あなたが手放さなければならないものがいます。バカみたいに思われるかもしれませんが、演じてください。≫

 いよいよ、鳥かごから「そのもの」を取り出して手のひらの上に乗せます。
「あなたはあなたの生き方を選ぶ事が出来ます。だから、あなたを自由にします。」
「あなたがこのまま私から去っていこうが、戻ってこようが、その選択をあなたに委ねます」といった、言葉を胸に「そのもの」をのせた手を広げます。空を見上げて、しばしの間、その感じを味わってください。

 ここで最大の恐れがやってきます。この恐れを乗り越えることが出来たらもうほとんど手放しは完了したも同然です。人を手放すのであれば人を、仕事を手放すのであればその仕事や残していく人達を信頼する必要があります。
 実はこれは手放すモノに対する信頼を与えることと同じです。だから、あなたはこの段階で「信頼する」ことも学んでいます。そして、誰かを信頼するということは、同時に自分自身を信頼する事にもつながります。

自分を信頼すること。そうです、それを「自信」と言うのです。


⑤感謝

 感謝は手放しを行う際の最大の潤滑油となります。心の痛みを解放し、人を許し、そして、自分を許すことが同時に出来てしまうほどの強力なツールです。 心から感謝できるようになるためには何度も何度もチャレンジすることが必要かもしれません。
 自分が執着していることを手放すことは自信と成長を約束してくれる行為です。そして、手放せば手放せるほど自分が自由になり、楽で、今までよりももっと素敵な良いものが手に入ることを体験することができます。

病気は教えてくれる 

 病気はいろんなことを教えてくれます。考える機会を与えてくれます。健康ということが、どんなに有り難いことなのかも、気づかせてくれます。病気になってはじめて、人の優しさ・思いやりに触れ、そして、自分が苦しい思いをしたことで、人の痛みが、分かるようになり、回りの人にも、自分にも”やさしく”なっていく。もしかしたら、病気はそれを教えるためにやって来るのかもしれません。
(先天的な病気、突然の病、子供の病気など、「例外」もありますが)、多くの場合、病気は自分で作っていることが多いです。
 心の中の怒り・憎しみ、嫉みや批判などの「ネガティブなエネルギー」は、細胞レベルで自分の体を攻撃し、病気となって現れてきます。私たちの思考の一つひとつが、肉体の波動に影響を与えるのです。
 私たちの体は、起きているときも、寝ているときも、心臓を動かし、血液を運び、食べ物を消化してエネルギーを作り、片時も休まず働いてくれます。考えてみれば、本当にありがたいことです。ですから、健康を願うのであれば、まずは、自分の体に「ありがとう」という感謝の気持ちが大切になってきます。
 人は何かに深く悩んだり、心配したりして、それが続くと、胃が痛くなったり、胃潰瘍になったりします。精神的ショックが大きいと、一晩で髪の毛が「まっ白」になることもあります。
 このように、体は精神状態に反応します。人間の想うことは、これほどまでに自分の体(細胞の遺伝子)に「ダメージ」を与えるのです。
 逆に、余命数ヶ月と言われた人が、奇跡的に回復するような事もあります。信念、想いの力です。
 つまり、「心で想うことは脳から体(細胞)へと伝わり、DNA遺伝子に影響を与える」ということなのです。ネガティブな想いは、自分の体に大きなダメージとなるのですから、まずは自分の体を大切にしましょう、いたわってあげましょう!自分の体に、やさしい言葉をかけてあげましょう!

 自分の体に「感謝」することが大切です。
 生まれてこれまで、人には、いろんなこだわり、つらいこと、いろんな悲しみ、苦しいことがあります。そして、私たちがどんな姿勢でいても、何をやっていようと、体は休むことなく働き、命を支えてくれます。体は、あらゆる苦しみ、あらゆる悲しみ、その思いを全部受け止めてくれます。
 ですから、まずは自分の体をいたわってあげましょう。
 体にどこか悪い所があれば、その個所を心からいたわってあげましょう。「いつも、いつも、ありがとう」と、「今まで、どうもありがとう」と言いましょう。
 胃腸でしたら胃腸を、肝臓でしたら肝臓を。その感謝の思いは一つひとつの細胞に伝わって、細胞はエネルギーを高めます。
 人が何かに感謝する時、それは何にもまさる崇高なエネルギーです。そのエネルギーに包まれれば、どんな病気やトラブルからも解放されます。心も体もパーフェクトに自らを癒していきます。
(これが、自分で自分を癒す『セルフヒーリング』という考え方です)。

 この「セルフヒーリング」という言葉で、検索してみますと、いろいろなホームページがあります。そして、それが怪しげな世界に繋がっているものが多く、危険な感じがしています。スピリチュアル的な考え方は、大切ですが、石などのものに頼ったり、遠隔ヒーリングや金銭が絡むセミナーなどの紹介のホームページなどは、用心してください。


心の声を聞く 

 人のDNAは、2本のらせん状のテープになっており、そのテープに4つの科学の文字の様々な組み合わせによって表される情報が書いてあります。1個の細胞に含まれる遺伝子の基本的な情報は約30億の科学の文字で成立しています。すなわち、千ページの本を3千冊積み上げたほどの情報量が、肉眼では見ることもできない小さな細胞に詰まっており、それが、60兆も集まって人の身体はできています。

 私たちの体は60兆個の細胞からなり、1秒間に50万個の細胞が生まれ変わると言われています。皮膚の細胞は四週間で新しくなり、胃の内膜は五日ごと、肝臓の細胞は六週間ごと、骨格の細胞は三ヶ月ごとで入れ替わり、一年もたてば体のほとんど細胞が替わると言われています。
 そして、心で思うことが体に影響を与えるならば、毎瞬毎瞬、私たちが思ったり、感じたりしていることが、新しい細胞に影響を与えていることになります。
 もし、その時、「自分の病気は治らない」というマイナスの思いであれば、その思いを受けて、細胞は分裂を繰り返すことになります。
 体は、自分の”心の声”を聞いているのです。
 例えどんな病気であっても、その細胞自体は日々「新しく入れ替わっている」という事実は、明るい希望ではないでしょうか!
 とすれば、必要なことはポジティブな思いです。「自分の体は日々よくなっている」と意識して、その思いを体の細胞に伝えることです。

 今の自分、生きている自分に対する感謝の気持ちを、体の細胞に伝えることです。

 精神状態によって、人が胃潰瘍になったり、髪の毛が抜け落ちたりするなら、長年、心の中にため込んだ「憎しみや怒り、不満、ねたみ、劣等感、悪口」などのネガティブなエネルギーが、自分の体を痛みつけて、それが病気となって現れてきたとしても、なんら不思議ではありません。そして「憎悪」は、いちばん破壊的な精神状態です。
「憎しみ」のエネルギーは体内で”毒素”を作り、自分の体に大きな害を及ぼします。また、不安や恐れは「体の働きを弱め」、精神的・肉体的にも大きな影響を及ぼします。こんなとき、人は病気になったりするのです。
 怒り・短気・貪欲、批判などのネガティブな思いが、細胞レベルで自分の身体を攻撃し、病気となって現れてくるのです。
 気功では、過度のストレスは、肝臓や腎臓に障害を起こし、「怒り」は体内で毒素を作り、肝臓に障害を与え、「恐怖」は腎臓に、「悲しみ」は肺に害を与えると言われています。 そしてポジティブなエネルギーは、気血の流れをよくし、免疫力を高めて体を健康体に保つと言われています。

 糖尿病というのは血糖値が通常よりも高い病気ですが、この高い血糖値が笑いによって下がるという実験がありました。大学の教授による糖尿病についての講義を聴くと、血糖値が上がり、漫才師の公演を聴くと血糖値が下がりました。

 心の中が悲観的、否定的になっているときは、体も悲観的、否定的になります。そのようなときは、体の中にさまざまな「悲観的物質・否定的物質」が形成され、それがDNA遺伝子を傷つけ、細胞の働きを弱めます。そして、免疫力も低下し、その結果、病気になったりします。だから、健康を保つためには、まずは精神的に健康であることが大切なのです。

 楽しい・うれしい・感動・喜びなどのポジティブな感情がいい遺伝子のスイッチをオンにし、悩み・苦しみなどのネガティブな思いが悪い遺伝子のスイッチをオンするのではないかという説もあります。また、祈りのような非常にスピリチュアルな感情も、私たちの遺伝子のスイッチのオンとオフに関係するのではないかと思っています。

サムシング・グレート

 約60兆の細胞からなっている人間が生きていることはただ事ではありません。60兆とは地球全人口60億の1万倍ですが、それが毎日けんかせずに寄り集まって活動しています。
 細胞は自分を生かしながら、他の細胞の働きと協調して臓器の働きに協力します。臓器も自分の働きを保ちながら個体を生かします。
 心臓なら、一生一日足りとも休まず、文句も言わずポンプ作用を打ち続けているのです。これは遺伝子にプログラムされているからですが、この遺伝子のプログラムはどうやって作られたのか、ということについてはわかりません。
 例えば遺伝子暗号は4種の塩基配列、つまり4つの文字でできています。ゲノムではこれが30億個並んでいるわけです。でたらめにこれを並べるとすると、4の30億乗の組み合わせがあり、天文学の範疇を越える数字となります。ですから、単にでたらめに並べるだけで、人間のような精巧なものが生まれる確率はものすごく低いと思います。これは、単なる偶然でしようか。

 ヒトゲノムの30億塩基対というのは、4文字で30億だと750Mバイトに過ぎなくて、CD-ROM1枚に入る程度の情報量になります。遺伝情報30億は1000頁の辞書の何千冊分に当たり、今のところ生物がもっている情報はこれしかありません。ただし、人間の可能性というのは遺伝子だけでは決まっておらず、文化などの遺伝子外情報でかなり動かされています。遺伝子と遺伝外情報が互いに相互作用しながら、その人の人格とか行動とかを決めています。
 動物の場合、行動はすべて遺伝情報に支配されている、つまり固定したプログラムで行動しているといわれています。一方、我々は環境に応じてプログラムを変えることができ、そこに人間の進歩があります。つまり遺伝外情報をたくさん使っています。

 生命の設計図は、でたらめに書けるものではないと感じています。そうであれば、意思のようなものがあったかもしれません。これを証明しろといわれたら、科学的には証明できません。遺伝子情報がコンピュータで解読できるとか、遺伝子の情報がスイッチ・オンになったりオフになったりするとか、生命にはデジタル的な性格が強いという感を抱きます。
「サムシング・グレート」という存在が、そんなデジタル情報を書いたのではないでしょうか。
 妻が腰が痛いと言った時、ふと思いついて、ネットを検索してみました。

腰痛の謎

「意識」(いしき)とは、「いし(意思)+き(気)」ということを意味し、「意思+気(エネルギー)」のことです。もし、人の意識が否定的・悲観的になっていれば、ネガティブエネルギーによって体も否定的・悲観的になり、それは健康にとって最大の敵となります。 腰痛、肩こり、関節痛などの身体的痛みは、「心の痛み」から来ているという説があります。 この理論の提唱者、「ジョン・E・サーノ博士」は、体の痛みは、単に体の構造的な異常ではなく、心の苦痛を無意識に抑えることによって発症しているといいます。
(腰痛にもいろんな原因があると思いますが、原因の分からない腰痛などの場合、その原因が案外ここにあるかもしれません)。

 心のストレスが腰痛の引き金になるのは、「医学的実験」でも証明されています。
 一般の腰痛(腰に原因がある場合)、脳の「視床下部」が反応して痛みを感じますが、原因不明の腰痛は、高度な精神作業をする「前頭葉」が反応することが分かってきました。ストレスから来る腰痛は前頭葉で感じているそうです。
 実際、家庭や職場でのストレスを解消したことで、腰痛が治った事例も見られるそうです。
 いずれにしても、古いネガティブなエネルギー(怒り、憎しみ、悲しみ、不安など)を溜め込むと、それが体に現われ、時として、腰や背中の凝りや痛みとして出ることもあり、それが慢性的なストレスになって、不眠やウツの症状になる場合もあるということです。
 人間が持つ思い・思考の力は、偉大なエネルギーですから、ネガティブに作用すれば、病気を引き起こすエネルギーになり、ポジティブに作用すれば病気を修復するエネルギーになります。
 自分の負のエネルギーが「遺伝子」に変異を与え、病気を作ってしまったのであれば、その同じ力で遺伝子の働きを正常に戻すことです。
 繰り返しなりますが、病気になったということは、「あなたの生き方に問題があるよ」と体が教えているからです。 人が三日間、生死の境をさまようと「聖者」になれると言われます。大病は、それくらいの経験をすると言われます。別に、聖者になる必要はありませんが、病気になったら、なぜこうなったのか、これまでの生き方・考え方を見直すことです。そうしないと、単に痛い、苦しかった辛い思いだけで終わってしまいます。そこには何も残りません、残るのは辛い経験だけです。
 そうではなくて、そこから何かを得ることです。そうすることで苦しかったことの意味もあり、病気の回復も早まります。
 病気だけではなく、一見して不幸と思えるような出来事も同じです。原因を他人や周囲のせいにしているかぎり、いつまでたっても解決策が見つからず、苦しみが続きます。しかし、「原因の一端を自分で作っている」ということに気づけば、何をどうしたらいいか、分かってきます。問題の解決も早まってきます。早く気づくことが大切です。
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