三韓征伐の後 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(1)

阿曇のイソラにとって、どんな気持ちだったのだろう。
小さいころから知っているスクネがすっかり大人の顔になり、政治の世界で活躍するようになり、そしてタラシ姫との出会いによって、政治に人生を翻弄されるようになっていく事を・・・。
イソラにとっては、仲哀天皇の死は衝撃であった。
確かに性格的に問題があるが、子供っぽいところがスクネは好きであった。
貴族としての甘さが、身を滅ぼす原因となったのであるから、宿命だったのだろうと思う。ため息しか出ない。

タラシ姫もスクネも、その後、別人のように変わってしまったと感じた。
あの事件の後、初めてスクネにあった時、あえて言葉は交わさなかった。

イソラはスクネを睨みつけたが、懇願するような目で見返してきたため、すべてを飲み込んだ。
神功皇后は、「もう後には戻れない」という気迫にあふれ、一気に「倭国の女王」となるべく動き出した。
スクネも命がけで姫を支えるという覚悟が見えた。
男女の関係になってからは、目立たぬように後ろに控え、もっぱら裏工作に徹していた。
「イソラ、私は玉を守る白龍となり、天空にかけ上るまで走り続けるつもりだ。障害物はすべて破壊する。」

 ・・・どんなに名分があっても暗殺は暗殺である。きれいごとで世の中は成り立っていないことは分かっていても、イソラは釈然としない思いが残っていた。
 阿曇一族やワニ氏にとっても、今後、神功皇后に従っていくことは、一族の存続にかかわる重大事であり、他の選択肢はない。
頭ではわかる。頭ではわかるが、・・・心が納得しない。

スクネに対する何かが薄れていくのを感じていた。
 ・・・海の大王になる・・・
 志を忘れたことはないが、陸の事にかかわることがわずらわしくなっていた。
 当初、神功皇后の呼び出しを渋ったのも、これが遠因であった。
 しかし、時代の流れに逆らうことはできない。

 阿曇一族の力によって、戦いらしい戦いもなく新羅征伐が終わり、その帰路からこの物語が始まる。

イソラが乗っている「大亀」の周囲を多数の大船が取り囲むように大船団を組み、一段となって、博多の東浜(奈多海岸)を目指していた。
倭国の歴史上初めての出来事であったろう。

大船には、神功皇后、スクネ、葛城ヒダカの他に、亡き仲哀天皇の弟、十城別王(トオキワケノミコ)と稚武王(ワカタケノミコ)が同船していた。
さらに、筑紫の水沼君である国乳別(クニチワケ)王、そして、壱岐の国造である雷大臣(イカツチノオウオミ)とその子、壱岐直真根子(イキノアタイマネコ)も同行していた。

船内は戦勝気分で高揚しており、皆笑顔にあふれていたが、イソラだけはどこか冷めたような顔をしていた。
イソラの部下のコウが話しかけてきた。
「今回の戦勝によって新羅が朝貢することになり朝鮮半島の平和がしばらくは保たれることになりましょうか。いささか心配ですが。」
「確かに、そうだろうな・・・。当面は静かになるだろう。」
「イソラ様、いかがなされました。何か気になる事でも・・・。」
「いや、大したことではない。」
・・・新羅との戦いばかりに目が向き、気がつけば神功皇后とスクネが筑紫の氏族たちを支配しているような構図になってしまっており、今は亡き仲哀天皇の事はすっかり忘れ去られている。

わずか半年ほど前の出来事である。
 イソラはこの半年ほどの出来事を思い出していた。

三韓征伐の後 (二)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(2)

あの事件の後、イソラはスクネに問いただしたことがあった。
「なぜ、このようなことになったのですか。」
あっさりとスクネは本音を語った。

「仲哀天皇は自分の力を過信されていた。
自分の存在は我ら筑紫の勢力の支えによって成り立っているということを忘れ、ただ自分の野望を実現しようとされた。
タラシ姫の力を信用せずに、ただ父親と同じことを繰り返すことで、ヤマトに凱旋し天皇になる事ができると考えられていた。

・・・熊襲さえ従わせれば、それができると思われていた。
ヤマトを無視して、天皇になり成務帝と両帝鼎立の状態になったことについても、内心は負い目を感じていたと思われる。
案外、気弱な方であった。
あのサニワの席では、今後の政治的主導権争いが繰り広げられたというのが事実である。」
スクネはフッーとため息をついた。
「あの時、天皇に鬼神が憑りつき、ものすごい形相で皇后に襲いかかるようなそぶりを見せられた。思わず葛城ヒダカが姫を守るために弓を放った。」
「・・・」
「実は、これは我らにとっても計算外の事であった。
実はここだけの話ではあるが・・・。

姫の体は天皇を受け入れず、天皇も姫と閨を共にしても、下半身がゆうことを聞かず、何もすることができないという不思議なことがあり、このままでは別の妃をめとる必要があるといわれていた。」
「天皇と皇后には、男女の関係はなかったということですか。」
「その通り、姫も悩まれていた。どうしても受け入れることができないと・・・。このままでは皇后になることもかなわぬ。」

どこまでが本当なのか、イソラには信じがたいことであった。
「このままでは正妃の地位を失うと精神的に追い込まれた皇后は、私に助けを求めたが、我らはあくまでも皇后を支える立場であり、一時的に天皇を利用していたというのが本音である。このままでは、天皇の立場が強くなることを恐れたのです。」
「それで、天皇を害しようと・・・。」

「いや、そこまでは考えていなかった。天皇が熊襲征伐に固執されるのを阻害するため、つまり政治的な力がないことをわからせるため、新羅征伐を先にという意見を述べた。
当方の勢力が強くなれば、熊襲は自然と取り込むことができるとの計算もあり、その自身もあったからである。ところが、意外なぐらいに激怒され、気分が悪くなるぐらい取り乱されたのだ。子供っぽいところがあるとは知っていたが、あれほどとは思わなかった。」
「それも計算の上?」

「イソラよ、私はそれほどの悪人ではない。あの事件の後、いかにドタバタしたか、その後処理にはほとほと苦労した。」

 事件を秘して、スクネが動いたいきさつについてはイソラは知っていた。
最初に不思議に思ったのは、「皇后はすでにみごもっており、その子が次の天皇になるとのお告げがあった」という話である。
 今、スクネの話を聞くと実際に男女の関係がなかったのに、皇后が妊娠するはずはない。
では、いったい誰の子なのか。
 「じつは、わしの子じゃ。」
 皇后がスクネに助けを求めたとき、姫に対して以前からひそかな思いを抱いていたスクネは、一計を案じた。
 薬で天皇を眠らせで、実際に寝屋での「こと」が終わったように思わせることであった。
天皇をだまして、「こと」が終わったように見せかけたのである。

そして、スクネは皇后のために、男女の関係になった。

三韓征伐の後 (三)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(3)

「しかし、断っておくが、我らが関係を持ったのはあの事件の後じゃ。当初は時間稼ぎのために天皇に薬を飲ませ、実際に伽をおこなったように偽装した。
そして妊娠したと嘘をついた。しかし、時が経てば実際にタラシ姫が天皇を受け入れるやもしれぬとも思っていたのだ。」
 スクネの告白は、続いた。
「イソラにだけはすべてを知っていてほしいからだ。
そして、予想外の出来事がサニワの席で起こってしまった。本当に天皇に鬼神が憑りついたのだ。そのままでも天皇は気死していたと思われる。その鬼神は我々の計画をすべて見抜き、それを暴いて妨害しようとした。それで事件が起こった。それまでの計画がすべて台無しになってしまった。」

「しかし、神功皇后にとっては、そうなることもすべて計算していたのではないですか。」
イソラは、神功皇后がスクネの気持ちを利用しているとしか思えなかった。
「そうかもしれぬ。実は、万が一に備えて、赤子の替え玉を用意せよと命じられていた。
もし生まれてくる子が女児だったら、計画がすべてが無駄になってしまう。
 「我が赤子は、『白鳥伝説』によって、ヤマトタケルの御霊をもった男児でなければならない」と言われた。

 初めての出会いよりタラシ姫の巫女としての言葉に間違いはないが、そこまで考えているのを知り、空恐ろしくなった。
しかし、もはや姫に逆らうことはできぬし、命を賭けて姫を守ると決めたのだ。そして、そのあと男女の関係になった。後は知ってのとおりじゃ。」

スクネは秘かに部下に命じて、同じころに妊娠したものを侍女として側においていた。
またスクネは、妃を娶った。

イソラは漠然とした不安を感じた。
これだけの因果を背負うことになるスクネには、将来何か不吉なことが起こるように感じたからである。
「イソラ、お主が言いたいことは分かっている。我もすべて覚悟の上である。自分の宿命であるならそれを受け入れるしかない。すでに運命は流れはじめたから、行くところまでいかないとこの流れは止められない。」
「新羅征伐までは、イソラ、たっての願いじゃ。力を貸してくれ。そしてこの争いが長引かず大した損害もなく終結するように動いてほしい。それ以後は、我らは別々の道を歩くようになる予感がしている。それも覚悟している。」

「スクネ様は、赤玉を追いかける龍神となって天空を駆け巡り、陸の王者になってください。私は海の王者となり倭国の平和につくしたい。」
イソラは、覚悟を決めた。

それから阿曇族のすべての力を使って、秘かに密使を新羅に送り込み、裏工作を始めた。実際に新羅征伐に向かうまでの半年余り、朝鮮半島の部族の長へわいろを贈り、協力を依頼した。
部族の者をたちを新羅国内に潜ませ、諜報活動もした。
 この時に拠点として整備したのが、対馬のワニツである。
将来、朝鮮半島との貿易の拠点として利用する思惑もあった。

朝鮮半島における工作の状況については、イソラはすべて秘密にし、唯一スクネにしか話さなかった。

三韓征伐の後 (四)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(4)

半年ほど前の出来事を思い出しながら、イソラは部下のコウに話しかけた。
「これで、終わったな。後は我ら独自の動きが始まる。」
すべての事情を知っているコウは、黙ってうなづいた。
自分の故郷である百済との貿易を拡大するために、動くように命じられていた。

イソラとコウが話しているのを聞きつけ、近くにいた壱岐真根子(イキノマネコ)が話しかけてきた。
戦の高揚感に包まれており、声も明るい。
「今回の新羅征伐に関しましては、天佑としか思われません。神功皇后の巫女としての能力のすごさを目のあたりにし、まさに卑弥呼様の生まれかわりとしか思われません。
我が壱岐氏は代々、卜占(ボクセン)を司りますが、それによりますと神功皇后が倭国の女王になるのは間違いないと思われます。」
「・・・そうですか。」
気のない返事である。
実はすべて裏で動き、段取りを整えていたのはイソラだったからである。

「うむ、イソラ殿は何か心配事でもおありですか。」
「いや、別に・・・。」

イソラが考えていたのは、戦後処理の事であった。外に敵が在る場合は味方は団結するものであるが、それが無くなると、内部での権力争いが復活するものである。
とくに心配なのは、神功皇后とスクネの勢力が強くなりすぎることであった。

新羅征伐の前に、反対勢力であった羽白熊鷲(ハシロクマワシ)と田油津媛(タブラツヒメ)を誅殺した。
今は権威を確立することが大切だったからである。

今回の新羅征伐が成功したことによって、神功皇后の神憑りの能力が証明されたことになり、筑紫の勢力がより強く統合されるであろう。
すると、旧仲哀天皇を支えていた勢力は、いずれ排除される・・・。

「今後、倭国はどうなっていくのでしょうかね。」
今回の仲哀天皇の即位は、ヤマトに対する革命である。
近畿の志賀高穴穂宮には、成務天皇が在位しており、両朝並立の状態なのである。
いずれ、筑紫の勢力は近畿に攻め上り、成務天皇に退位を求めることになるのは明らかである。
 ・・・また戦が始まる。

イソラにとって平和こそが何よりの望みであり、各地の交易によって倭国が豊かになる事が夢であった。
 今回の新羅征伐によって多額の戦勝品を得たが、それらは一時的なものであり、彼らもまたいつか反乱するであろうと思われる。
イソラには、それらの思いが心から離れず、単純に戦勝を喜ぶ気にならなかった。

香椎宮に着いて、今後の朝鮮政策についての話し合いが行われたが、その席で、イソラにとって驚くべき言葉が、神功皇后から出た。
一通りの戦勝の祝い品が各氏族に与えられた後の事であった。

「これからも朝鮮半島の情勢については油断ならない。そこで倭国の守りを固める必要がある。
特に半島に近い唐津と松浦に拠点を置きたいと思う。
・・・その守りを十城別王(トオキワケノミコ)と稚武王(ワカタケノミコ)にお願いしたい。
十城別王は平戸に、稚武王は唐津に、直ちに赴任してほしい。」

これでは、まるで島送りである。
この二人は仲哀天皇の兄弟だから皇位継承権がある人たちであり、皇后のお腹にいる赤子のライバルになる存在である。

 しかし、この二人は、神功皇后の前で反対する力も覚悟もなかった。

≪阿曇族ゆかりの志式神社に十城別神・稚武王が祀られている。置き去りにされた兄弟をイソラがしのんで、祀ったのかもしれないと想像している。
そう言えば、今回の小説を書き始めたきっかけは、まさにこの事実を知ったことがきっかけであった。≫

三韓征伐の後 (五)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(5)

香椎宮での会議が終わり、十城別王(トオキワケノミコ)と稚武王(ワカタケノミコ)をそれぞれ唐津と平戸まで送ったのがイソラであった。
 別れの席で、どのような言葉を交わしたのであろう。

近畿から、南海道そしてはるばる北九州と、兄である仲哀天皇に従って来たが、いつかは近畿に戻ることを夢見ていたはずである。

 まさか、このような運命になるとは・・・。

そして、それぞれの地で亡くなっている。
イソラは、その嘆きを目撃していたはずである。
こうして神功皇后は生まれてくる赤子のライバルになる二人を結果的に退けた。

イソラの大船は香椎から唐津、平戸を経由して、その後、長崎の方を廻って有明海に進入した。
この大船には弓頭大将となった筑紫の水沼君、国乳別命(クニチワケノミコ)も乗っていて、彼を送り届けるのも航海の目的の一つだった。

この時代の有明海は、大善寺あたりまでが入り海だったので、大型の海洋船でも、そのまま大善寺まで乗り付ける事ができた。
その時の話が大善寺玉垂宮のクスノキに船を係留したという伝説になり、残っている。

「人は変わるものですね。スクネ様とは幼き頃より共に遊んだ仲であり、その人となりは分かっていたはずですが、最近では、『自我が肥大している』というか、神功皇后との関係が強くなり、どうも私には別世界の住人となられたように感じます。」

 ため息をつきながらイソラは話しかけた。

「今後、ヤマトに戻られて、武力によって新政権を樹立されるのでしょうね。確かに、『陸の王者となる』夢は実現しそうな気がしますが、それがいったいどんな意味を持つのでしょう。最近の私は、そんなことばかり考えるようになりました。」

「これはイソラ様らしくない。」

「十城別王(トオキワケノミコ)と稚武王(ワカタケノミコ)と別れてから、ますます陸の上が嫌になりました。私の夢は、交易によって倭国をもっと豊かな国にすることでした。
誰が天皇になっても、我々庶民には関係ないことで、その権力争いのために殺し合いをするなんて、空しいだけだと思ってしまうのです。
私は今後、政治とはできるだけ関わらないようにしたいと思っています。」

こうして、阿曇のイソラは、歴史の舞台に登場しなくなった。
この小説でも、しばらくは武内のスクネが主人公となる。


 ≪余談≫

大川市に「おふろうさん」と呼ばれ親しまれている風浪宮(フウロウグウ)という神社がある。
神功皇后が新羅外征からの帰途、筑後葦原の津(現在の大川市の榎津)に寄せた際、皇后の乗った船の近くに白鷺がこつ然と現われ、東北の方角に飛び去った。
皇后は、この白鷺こそ勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身であるとして、白鷺の止まった所にお社を建てたのが起源だと言われている。

一隅には、阿曇磯良丸(アヅミイソラマル)を祀る「磯良丸神社」がある。
 社伝によると、神功皇后が御親征より御帰還の洋上で暴風の難に遭いながらも、少童命(ワタツミノミコト)の御加護を得て無事に葦原の津、現在の榎津(エノキヅ得えの津つ)に着かれたと言われる。
その折、皇后の御船のあたりに忽然と現れた白鷺を御覧になった皇后があの白鷺こそ我らを風浪の難から守護し給うた海神少童命の御化身なりとして、武内宿弥にその後を尾けさせられた。
 この白鷺は艮(北東)の方角に飛び立ってこの大楠の上に止まったので此の地を聖地として少童命を祀らしめ、海上指揮を仕え奉った安曇磯良丸をして、この宮の初代宮司として留めたと伝えられている。

境内解説板より    

大和政権奪取 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、怒涛編(6)

神功皇后はすっかり変わってしまった。
大人の女性になり、女王としての振る舞いも自信に満ちている。
息長氏や葛城氏が彼女を支え、スクネがお側で実務を取り仕切っていた。

神功皇后は新羅征伐から戻り、12月14日に誉田別王(ホムタワケオウ)を宇瀰(ウミ)で出産した。
予言通り、男の子であった。

≪宇美と蚊田について
出産地について、神功皇后摂政の巻では宇瀰としているが、同じ日本書紀の誉田天皇(応神天皇)の巻では「誉田天皇は皇后が新羅を討った年の冬12月に、筑紫の蚊田に生まれた。」となっている。宇美=蚊田説と別の場所説がある。
三歳で、立太子となり、応神天皇元年に71歳で即位、同41年に111歳で崩御と記されているが、即位までの時間が長すぎる。神功皇后が実質的に女王として即位していたため、崩御の後に即位したのであろうか。≫

スクネは歓喜して喜んだ。
タラシ姫の巫女としてのすごさというか、運の強さと言うか、これで「倭国の女王となる」という野望に一歩近づくことができる。

この勢いに乗って、一気に近畿ヤマトに攻め昇る必要がある。

スクネは直ちに熊襲の勢力との和睦に動いた。
具体的には、スクネの妃として熊襲の一族の姫と婚姻したのである。
当時は、氏族同士の婚姻は、当たり前の事であり、実力があればあるほど大勢の妃を抱えていた。
タラシ姫との関係を隠すという意味合いもあり、政治的な思惑であったが、内心、姫は面白くない。

その感情を振り切ったのは、姫の強さではあったが、この頃から二人の間に微妙な空気が流れ始めたと、私は想像している。
十三年後に、スクネの身に災難が降りかかることになった。

 筑紫王朝はこの男の子を次期天皇としてかかげ、大和へと凱旋することになる。
 新羅の最先端の武器なども手に入れ、筑紫の氏族たちの武力を背景に、いよいよ近畿へ凱旋して、近畿の成務帝から王権を奪取することにした。

 阿曇一族の同族であるワニ氏もスクネと行動を共にした。

その時に、大義名分として利用したのが、「ヤマトタケルの白鳥伝説」である。
ヤマトタケルの霊魂が、神功皇后に宿り、生まれかわり誉田別王(ホムタワケオウ)が生まれたという説である。
つまり皇系の正当性の強調であり、それだけ怪しげだったということである。

その時、大和には、仲哀天皇が大中姫(オオナカツヒメ)との間にもうけた?坂皇子、忍熊皇子が残っている。

『古事記』『日本書紀』によれば、新羅征討中に仲哀天皇が崩御し、神功皇后が筑紫で誉田別王(ホムタワケオウ)を出産したとの報に接した忍熊皇子は、次の皇位が幼い皇子に決まることを恐れ、兄の?坂皇子と共謀して、筑紫から凱旋する皇后軍を迎撃しようとした。

この部分の記述がおかしい。

記紀は成務天皇と仲哀天皇の両朝対立を隠蔽しているので、成務天皇のいる志賀高穴穂宮政権を打倒する戦いが抜けている。

もし成務天皇との内戦がないのなら、神功皇后が自ら新羅に攻め込んだのだから、新羅に居座って半島での支配の基礎固めをしたのかもしれない。
戦いが済んですぐに筑紫に戻って誉田別皇子を産んだのは、成務帝のいるヤマト政権が気になっていたからである。

おそらく新羅攻めの隙に、筑紫政権が攻められないように、畿内に潜んでいた仲哀天皇の皇子の香坂皇子と忍熊皇子が、ゲリラ戦や破壊活動を強めていたのだと考えると・・・。

 そして、革命が成功し、神宮皇后がヤマトに凱旋するとき待ち構えていたのは忍熊皇子らであった。

≪余談≫

ワニ氏について
吉野ヶ里歴史公園の北1㎞の所にある「王仁神社」には、「王仁(ワニ)天満宮」という石の祠が祭られている。
この祠は今から千数百年前、応神天皇に招かれて百済から多くの技術者をつれて渡来し、日本に初めて漢字の手本である「千字文(せんじもん)」と儒教の原典である「論語」を伝えた、王仁(ワニ)博士を祀ったものではないかといわれている。

和珥氏(わにうじ)
仲哀天皇の崩御後、武振熊(たけふるくま)が将軍として忍熊皇子の反乱軍を討伐したという逸話が残っている。
本拠地は奈良盆地東部「春日、大和国添上郡和邇(天理市和爾町)」である。
元来和邇氏は、阿曇氏、海部氏らと同じく海人族系とされた。

阿曇イソラの同族の一部が、神功皇后のヤマト征伐時に同行したと考えられます。
この地に七支刀(しちしとう)が収められている、石上神宮がありますが、百済との関係が強かった阿曇一族と関係があるのではないかと思います。

阿曇磯良伝説、怒涛編

古代史、大和朝廷の時代の物語です