回天 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(1)

2017年4月公開

タラシナカツ彦王子は、タラシ姫との出会いによって回天が起こった。
回天とは、「時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと。」という意味である。
吉備武彦が捕えられたと聞いたとき、それまでの希望がすべてなくなったと感じた。
それがタラシ姫によって全く別の流れに変わり、今動き出している。
数日前には考えもしないような行動をしていることが不思議でならなかった。
神輿に乗せられて担がれているような感覚であるが、これ以外に道はないことも分かる。
今は、それなりの力を蓄えなくてはならない。尾張国を目指して歩いていた。
「自分にとっての救いの女神であり、自分が天皇になった時に皇后としてふさわしい女傑であると思うがどうか?」 吉備カモワケに尋ねた。
「さようでございます。ただ、そばにいた武内スクネはどうも好きになれません。あれほどの天才的な頭脳の持ち主は見たことがございません。しかも、人柄も申し分ありません。大改革の方策などは、武内スクネがいなければできなかった改革だろうと思います。そこが怖いのです。」
「なるほど、しかしタラシナカツ彦という存在がなければ、新しい王朝は築けないのだから彼らはすり寄ってきたのであろう。そこは割り切って利用すればよい。」
「さすが王子。私も同じ考えでございました。」

スクネが言うように、確かに纏向に戻るのは危ない。尾張は父ヤマトタケルのゆかりの地であり、安心できる。そこで巡幸の体制を整え、草薙の剣を借り受けて南海道を目指した。
途中、伊勢にも立ち寄って、今は亡き倭姫命にも祈りをささげた。
神宮の巫女にご神託を仰いでくださいというタラシ姫の言葉を忘れていたわけではないが、元々ご神託など気にしていない。そのまま南海道に向かった。
日本書紀によると、「天皇の巡幸には、二~三人の卿と官人数百人とが従たがい、徳勒津宮(トコロツノミヤ)に居られた。」と記載されている。

この機会に一気にと意気込んでいた物部トオチネ大臣は、スクネの時と同じように、またしても思惑が外れた。
タラシナカツ彦王子の性格を考えれば、纏向に戻どり、怒りにまかせて暴発するものだと読んでいた。だからこそ吉備武彦を屋形に幽閉し分断したつもりだった。参謀と言える吉備武彦がいなければ、策略を考えるような力もないはずである。
ところが、元々ヤマトタケルとゆかりの深い尾張国を頼って落ち延びたらしいという情報を得た。
「思いのほか、腰抜けであったかの。そのうち朽ち果てるに違いないが、悪運だけはあるらしい。」
子の物部イクイに言った。
まさか、息長タラシ姫や武内スクネがタラシナカツ彦王子に助言をしたとは、思ってもいなかった。

「父上このまま、捨て置いてよろしいのでしょうか。」
「尾張の宮簀媛(ミヤズヒメ)が王子のことを助けるであろうが、尾張国主が王子を支えるとは思えない。父ヤマトタケルの時代ならばともかく、今は代がわりしているからそれほどの恩義もないし、むしろ関わりたくないのが本音であろう。タラシナカツ彦王子に人徳がないのが致命的である。その地に留まることもできず、蝦夷地でも向かうしか生き残る道はない。」
「さようでございますな。ヤマトタケルほどの英雄にはなれなかったということですね。」
「これで成務帝にとっても、邪魔者がいなくなったということだし、我々にとっても良い結果となった。自ら都を離れたということは、自らの罪を認めたということになるし、なにか後ろめたいことがあったと言われても仕方がない。戦わずして勝つことができたということだ。」

 結果が良すぎて、トオチネ大臣はその裏を考えなかった。
後で、悔いることになる。

回天 (二)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(2)

タラシナカツ彦王子を送り出した後、タラシ姫は敦賀の気比の宮に移った。その地にはスクネもいる。そして、いつでもスクネと会える。

ある日、気比の宮にスクネが尋ねてきた。
「今日は、何事ですか。」
「はい、実は九州に戻ろうと思い、ご挨拶にお伺いいたしました。」
「それは・・・、さびしゅうなる。」
タラシ姫には予感があったから、それ以上は何も言わなかった。

自分の運命は動き出しているし、その準備はスクネしかできない。
「半年もすればまたお会いできましょう。それまでに姫をお迎えする準備を整えておきます。」
「・・・どういう計画になりますか?」
「はい、場所としては交通の要所である穴門(関門海峡)あたりが良かろうかと思っております。その地に宮を建て、姫とタラシナカツ彦王子をお迎えしたいと思います。その地であれば、筑紫と日向の往来も便利ですし、瀬戸内を挟んでヤマトに動くにも便利な場所でございます。」
「スクネ様のお力がなければ、この計画は動きません。よろしくお願いします。ただ・・・。」
その先は聞かなくてもスクネにはわかる。自分に対するしぐさや目つきなどを見れば、乙女の匂いがしてくるからである。
しかし、ここは我慢しなければならない。自分の宿命に従う時が来るとしても、それはまだ早く、今ではないというのも分かる。
お互い、顔を見ればその思いが伝わってくる。
だからこそ、自分が先に九州に戻り、タラシ姫と離れていなければとスクネは思った。

そして、タラシ姫はタラシナカツ彦王子の事が嫌いであることも良く分かる。政略のためとはいえ、男女の感情は全くないし嫌悪感さえ覚えているのだろう。
しかしなぜか、自分の運命とって必要な人間であり、その関係は長くは続かない気もするが、関わらざるを得ない存在であることも感じていた。
自分の運命は自分だけのものではない。

「今は、我慢の時です。」それだけを言って、お互いにうなづいた。

≪余談≫
『古事記』の仲哀天皇の記述は、いきなり、「帯中日子天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)(第十四代仲哀天皇)は穴門の豊浦宮また筑紫の訶志比宮(香椎宮)で天下を治めました。」と始まる。
 この記事の不自然さは、その地がヤマトではなく北部九州であることであり、成務帝の志賀高穴穂宮と離れすぎていることである。
全く別の政権であることが分かる。
 『日本書紀』では、即位の後に、敦賀の気比の宮に行宮を建てタラシ姫をその地に残し、南海道に巡守し、「紀伊国においでになり、徳勒津宮(トコロツノミヤ=紀伊川の河口)に居られた。このとき熊襲が叛いて貢をたてまつらなかった。天皇はそこで熊襲を討とうとして、徳勒津(トコロツ)をたって、船で穴門(山口県)においでになった。
その日使いを敦賀に遣わされて、皇后に勅(ミコトノリ)して、『すぐそこの港から出発して穴門で出会おう』といわれた。」という記述になる。

つまり、タラシナカツ彦王子は筑紫に逃れて臨時政府を樹立する前に、敦賀に逃れたと考えるのが自然である。
畿内に居られなくなった何らかの事情があり、敦賀に潜み、紀州などの南海道の海人の勢力と結託して抵抗勢力の基盤を作っておいてから、熊襲退治だといって筑紫に移ったということだと思っている。

そして、神功皇后はこの南海道の拠点からヤマトに攻め上ることになる。
なぜ敦賀の気比の宮に行宮を建てたかと考えると、タラシ姫の母方の先祖が新羅の王子の天之日矛で、列島に渡来後敦賀に拠点を築いていたし、葛城氏一族は敦賀に拠点をもっていたからである。

南海道 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(3)

時は少々遡る。
敦賀の気比の宮でスクネとイソラは別れを告げ、イソラとコウとユウトの三人は敦賀の阿曇族の拠点に戻り、そこから志賀島に向かって出航した。
イソラは、スクネを死地から助け出すためにヤマトに来て、タラシ姫と初めて出会った。タラシ姫の口から「海の大王」という言葉を聞いたとき、必然の出会いを感じた。
タラシ姫が『海神の子』であることが本当ならば、倭国の新たな女王になる・・・。そんな予感はした。
帰りの航海の途中、もっぱらタラシ姫の話題であり、それほど強烈な印象が残った。
・・・ただ、自らは自由でありたい。
「陸の上はいろいろと面倒なことばかりで、人の卑しさが目に付く。海の上にいると落ち着く、やはり私は海に生きたい。」
イソラはそう思った。
五日ほどの航海であったが、志賀島には、父阿曇王だけでなく、奴国王も待ち構えていた。
スクネの無事を伝え、ヤマトでのいろいろな経緯を話すと二人とも安心した。
「本当にご苦労であった。その息長タラシ姫という巫女は、恐ろしいほどの能力を持っているな。まるで卑弥呼様の生まれかわりではないのか。」
阿曇王がスクネに尋ねた。
「卑弥呼様とは、つまり天皇家の皇祖『アマテラスオホミカミ』、そうかもしれませぬ。
一つ驚いたのが、その席で、『倭国の国々が祀る神、綿津見の神、住吉の神、日向の神』という名が出たことです。これらは我が邪馬台国連合の神々の名でした。九州の神々に縁がある姫であることは間違いないと思われます。」

「しかし、スクネが無事で何よりであった。」と奴国王が言った。
「しばらく敦賀に潜み、ヤマトの情勢を見てから、近いうちにスクネ様も戻ってこられるものと思います。別れる時に『我が奴国や阿曇族の将来にも大きく関わるだろう。』と言われました。」
阿曇王がイソラに尋ねた。
「イソラはこれからどう動く?」
「はい父上、私は予定通りこれから日向国に向かいます。大船建造の様子が気になります。
そしてライキに会うのが楽しみです。氏上として活躍していますし、子供も生まれたと聞きました。
その後、南海道の紀伊国へ参り、その地を我が阿曇族のヤマトにおける拠点の一つとして整備しようと思っています。そこに大船の拠点ができれば、日向と難波津との中継基地になります。瀬戸内の航路を利用するよりも短くなります。」

イソラにとっては、陸の事にはあまり関心がない。
自分は「海の大王となる」という目標に向かって行動するだけである。阿曇一族がその目標のために一丸となって動き出していた。そして、自分はその中心にいるのであるから、若さにまかせて突き進めばよいと単純に考えていた。

「陸の事は、スクネ様に任せておけばよい。我は海によってく国と国を繋ぎ、交易によって倭国を豊かにしたい。」
こうして、イソラは再び志賀島から旅立った。

南海道 (二)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(4)

イソラの乗った大船が、ドラを鳴らしつつにぎやかに諸県の港に入ってきた。
港にはライキが待ち構えていた。
「おう、イソラ王子・・・。」
たくましい若者となったイソラを見て、涙が流れ、次の言葉が出てこない。
五年近い歳月が流れ、すっかり隼人族の氏上として落ち着き、大船の建造で忙しく働いていた。
イソラと共に各地を動いていたコウとユウトにとっても久しぶりの故郷である。
「やはり日向国は太陽の明るさが違う」そう言って喜んだ。
イソラは諸県王の屋形を訪ね、挨拶をした。
「イソラ王子、立派になられた。」
我が孫の成長を諸県王は喜び、いつものように一族が集まって大宴会が始まった。
阿曇族の大船のおかげで、ここ数年間、日向とヤマトとの交易も盛んになり、実際に多くの人が集まり港もにぎわっている。
諸県王は交易が豊かさをもたらすということが良く分かった。
イソラ王子が、以前言った言葉は今も覚えていた。
「この海には国もなく境界もない、倭国も朝鮮も中国もなく海全体が一つの国だ。イソラはこの大海の王となるのだ。海に生きる民すべてのために、人と物とを繋ぎ、お互いが豊かで平和に暮らせるような海の王国を創る。」
 この言葉に感動し、全面的に王子を支えることに決めたが、それは間違っていなかったと思っている。
「イソラ王子は、この後どうするのか」と諸県王は尋ねた。
「はい、南海道の紀伊国に拠点を作りたいと思います。」とイソラは答えた。
元々その地には、隼人族も多く住み、関係は深い。

こうして、イソラは日向国がら東に向かい、黒潮を利用して紀伊国へ向かった。
この地で一年ほど過ごす予定であったが・・・。

阿曇族は、倭国の各地を海の道で繋ごうとしていた。
南海道の紀伊国に拠点を置くことが、今回イソラの航海の目的である。これによって、瀬戸内を通る航路と南海道の航路を確保することができる。

紀伊半島、淡路島、四国は、古来南海道と呼ばれ、紀伊国(紀州、和歌山県,三重県南部)、 淡路国(淡州、兵庫県淡路島,沼島)、 阿波国(阿州、徳島県)、 讃岐国(讃州、香川県) 伊予国(予州、愛媛県)、 土佐国(土州、高知県)が含まれている。

紀伊国は、当初木国(キノクニ)と言われていた。
名称の由来として、雨が多く森林が生い茂っている様相から「木国」と命名された、という説や、今の和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であるから「紀の国」というようになった、という説もある。
実際に、律令制以前の紀伊国は紀伊国造の領土のみであり、熊野国造の領土(牟婁郡)を含まなかった、と書かれている。
また、ヤマトへの古道も整備されており、荷物を運ぶにも適した場所でもある。

紀氏について調べてみると、「記紀などの所伝によれば、孝元天皇の子孫で、武内宿禰の子である紀角宿禰を始祖とするが、この2代はともに母方が紀伊国造家の出自であったとされており、この関係から紀氏は早くから武門の家柄として大和王権に仕えたらしい。」と書かれてあった。
この物語の主人公の一人である武内宿禰が、紀氏の一族の姫との間に子をもうけ、その子が始祖とされているということであり、別の書には、「紀氏の祖は、武内宿禰であると言われる由縁である。」とも書かれてあった。
この物語では、まだ後の話となる。
応神天皇によって河内王朝が成立したころ、スクネが紀氏の姫と婚姻し姻戚関係になったということであろう。

≪余談≫
紀伊国は、武内宿禰と縁がある場所であることは間違いないのですが、阿曇族は隣の志摩国と関係が深い。
「阿曇・住吉系はしばらく北九州海域を根拠地とし、後、瀬戸内海中心にその沿岸と島々,さらに鳴門海峡を出て紀州沿岸を回り、深く伊勢湾に入り込み伊勢海人として一大中心点を構成し、さらに外洋に出て東海道沿岸から伊豆半島ならびに七島の島々に拠点をつくった。それより房総半島から常陸沿岸にかけて分布した。彼らは航海に長じ,漁労をも兼ねる海人集団とみられる。」

南海道 (三)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(5)

イソラが南海道の紀伊国で、拠点づくりと大船の建造に携わっていた時、数十人の供を従えてタラシナカツ彦が紀伊国にやってきた。
ヤマトの物部氏の追っ手を避けるように、尾張国から伊勢、志摩国を海沿いに巡幸したということになる。
巡幸というと、聞こえはいいが実際はみじめなものである。
地方の豪族は中央の貴族との関係を保つことによって一族の繁栄を保証してもらおうとの考えで、タラシナカツ彦王子一行をそれなりにもてなしたが、ヤマト政権内部のゴタゴタについては、いろいろと噂話が伝わって来ていた。
下手にかかわると危ないかもしれないという気持ちもある。その微妙な態度は、何となく感じるものである。
時の経過とともに当初の意気込みもなかなか続かない。

紀氏の本拠地は、今の和歌山市あたりであり、奈良盆地へ南海道が開けており、意外と近い場所にある。
スクネは今の南紀白浜、田辺市のあたりに拠点を築きつつあった。紀氏の本拠地よりも百キロほど離れている。太平洋と紀伊水道の分岐点に位置しているために、便利が良い場所である。
最南端は串本であるが、そこはさらに百キロ近く離れている。このあたりは、朝鮮半島南部の伽耶・新羅地方の渡来人によって築造されたが、その道案内をしたのが阿曇氏ではなかったかと想像している。

南海道の有力氏族である紀氏はヤマト政権との関係も強いし、タラシナカツ彦の勢力に取り組むことができるのかは不安であった。
紀伊国から熊野、志摩国一帯に幅広く住む海人族である隼人の一族を味方としなければならないが、彼らは閉鎖的な氏族であり、なかなか思い通りに動こうとはしなかった。
阿曇族は、タラシナカツ彦にとって最後の望みである。
スクネから聞いた阿曇のイソラという若者に会い、その助けを借りることができれば、次の目標が見えてくると思っていた。
吉備カモワケが自分に言い聞かせるように言った。
「タラシナカツ彦王子、あと少しの辛抱でございます。スクネの申した阿曇のイソラを味方につければ、海上を自由に動くことができるようになります。この地は、ヤマトを征伐した初代の神武天皇が拠点とした場所ですし、縁起も良い地です。きっとうまくいきます。」

イソラの屋形にタラシナカツ彦王子が、突然やってきた。
イソラは、タラシ姫とは会ったことがあるが、その婚姻相手のタラシナカツ彦王子とは初対面である。
上座にはタラシナカツ彦王子が座り、イソラが拝するような形で挨拶した。
タラシナカツ彦王子もイソラに会ってびっくりした。
・・・まだ子供ではないか。この者に我が未来を託すのか・・・。
吉備カモワケが、初めに挨拶した。
「阿曇族のイソラ様でございますか。私は吉備カモワケ、こちらはタラシナカツ彦王子でございます。こちらに突然参りましたのは、武内スクネ殿の勧めによります。」
「このような田舎にまでお越しいただきありがとうございます。タラシナカツ彦王子とお会いできるとは、我が一族の喜びでございます。」
イソラは丁寧に挨拶した。
タラシナカツ彦王子が、どのような考えで自分の元を訪ねたか、スクネの名前が出たときにある程度察していた。

スクネがイソラを訪ねるように言ったのは、タラシ姫の意向であり、タラシナカツ彦王子の血統を利用しようということなのだろう。
新しい政権を樹立するためには、必要な人間だという冷静な計算をしているはずである。

スクネ様はすごい人だ・・・。

南海道 (四)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、回天編(6)

上座に座っているタラシナカツ彦王子は少し緊張しているように見える。
どのような言葉を発するのか、ここが勝負どころである。

スクネ様はすごい人だ・・・。
挨拶をしながらイソラはそんなことを考えていた。
問われる前に、相手が喜ぶような言葉を言えばよい。
今は、彼らの思惑のままに動いてみよう。
「私は若輩者ですが阿曇一族の王子であり、倭国中の阿曇族が私の指示によって動きます。つまり、タラシナカツ彦王子が私に命令くだされば、すなわち阿曇一族すべてが王子の命令に従い動くことになります。」
「ななっ、なんと・・・。」
「スクネ様とは幼少の頃から共に生活し、同じ志を持つものです。スクネ様の望みと私の望みは同じでございます。」
突然の申し出に、タラシナカツ彦王子と吉備カモワケは、顔を見合わせて驚いた。
初対面で会ったばかりなのに、いきなり「我に従う」とこの若者はいう。
 その笑顔には、何の影も見えない。
「なるほど、スクネ殿がイソラ殿に会うように言った意味が分かりました。我らの思いはすでに伝わっていたものと思われます。」
吉備カモワケが王子に言った。
「これはありがたい言葉である、うれしく思います。スクネ殿やイソラ殿の力を借りれば、我らの願いは必ずや叶うような気がする。」
タラシナカツ彦王子も素直に喜んだ。

まさかこのような厚遇が与えられるとは思っていたなかったために、それまでの緊張感が一気に緩み、この若者に対して身内の様な親しみを感じた。
タラシ姫と同じ歳だという。歳は若いが、とてつもない器の大きさを感じる。タラシナカツ彦王子はすっかり気に入り、つい心を許して本音を言った。
「これからどのように動くと良いのだろうか。」
「スクネ様はなんと申されましたか?」
逆に、スクネが尋ねた。
吉備カモワケは、地方で実力を蓄えてヤマトに凱旋すればよいというスクネの考えを説明した。
「父ヤマトタケルの偉業を引き継ぐことこそ、王子の宿命です。」という、タラシ姫の話も付け加えた。
そして、そのためには、「倭国一の勢力を味方につける」必要がある。
それが阿曇一族の事であった。
「タラシ姫とは我が正妃となる約束をしているが、その巫女としての能力は素晴らしいと聞いている。そしてイソラ殿も同じような能力を持っていると聞きました。」
吉備カモワケがイソラに尋ねた。
「私は、巫女ではありませんし、スクネ様のように鬼道を勉強したこともありません。自分がそのような能力を持っていると考えたこともありません。」
「とにかく、この地に一定の勢力を保つ必要があります。ぜひ助けていただきたい。」
吉備カモワケは頭を下げた。

「ヤマト王権に対抗できるだけの勢力を作るには、この地だけでは無理です。九州の邪馬台国連合を勢力下におけば、対抗できる勢力になります。ヤマトタケル王子は、熊襲征伐によってその実力を認められました。タラシナカツ彦王子が、父の偉業を引き継ぐということは、再び熊襲征伐を行えばよいのではないでしょうか。」
「なるほど、北九州の勢力をまとめることができれば、ヤマト王権は何も言えない。九州に巡幸し、その地のどこかに宮を建て、敦賀のタラシ姫とスクネ殿を呼び寄せて基盤を作れば、一大勢力になる。その力を背景に成務帝に皇位の禅譲を迫れば、自然と我は倭国全体の天皇になる事ができる。」
 タラシナカツ彦王子は、自分で思いついたような気になっていた。

「私の考えでは、王子がそのように考えられるのを先読みし、スクネ様はすでに九州に戻り、動かれているのではないかと思うのですが・・・。」
「なんと、それは確かですか、それは驚きだ。」
「自信はありませんが、そう感じます。」とスクネは答えた。

イソラは時期を見て、一度海路で九州に戻ろうと考えていた。
その時に、タラシナカツ彦王子の一行を九州に案内してほしいというスクネの意向は、すでにイソラに伝わっていた。
こうして、タラシナカツ彦王子は、イソラの大船で、九州に巡幸することになったのである。

≪説明≫
古事記の記述では、「帯中日子〔タラシナカツヒコ〕天皇は穴門之豊浦宮及び筑紫訶志比宮において天下を治めた。」とある。

阿曇磯良伝説、回天編

古代史、大和朝廷の時代の物語です