阿曇族の抬頭

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(1)

2017年4月公開

イソラが初めての船旅から戻り、各地での出来事や、今後の考えなどを阿曇王に報告した時、阿曇王はイソラの顔つきを見て驚いた。
たった数か月で、我が子が別人になったように、たくましく大きく成長している。
父が思いもしなかったような大きな志を掲げ、周りの者を巻き込むほどのカリスマ性を持つようになっている。
 諸県王がそれほどわが子にほれ込み協力するという事は、信じられない思いである。
しかし、もし自分が諸県王で、イソラの話を聞けば必ず協力するであろう。それほど阿曇一族にとっても、日向隼人族にとっても魅力ある話であり、夢ではなく実現可能な計画であると思ってしまう。
その考えをイソラに教えたスクネも同族のようなものであり、幼いころより人となりを知っていて信頼できる人間である。
 阿曇王は一族の主な氏族の長を集め、イソラの考えを話した。
 まずは、中国船を買付けるか、大型船の建造が必要である。倭国の各地にある阿曇族の拠点を整備し、土地の豪族たちとの関係を良好に保ち、交易を拡大しなければならない。
 すなわち、一族の繁栄につながる。
「おーー、」思わず、皆から声が上がった。
「船を使い大海を渡ることは、我ら海人の最も得意とするところであり、各地の氏族たちも喜ぶことは間違いない。その地で手に入らないようなものが交易によって手に入るのであれば、ある地方で作物が不足しても補うことができる。飢餓に苦しむことも少なくなくなる。我らが航路の安全を保つことができれば、安心して交易が可能になる。」 一族の長老がいった。
「これでは、まだまだ老いぼれるわけにはいかぬ。倭国の津々浦々に、わが一族の旗が立つ日が来るまで、死ねないぞ。」

こうして、イソラの忙しい日々が始まった。
この後、三年余りの間、イソラは「大亀」に乗り、中国の江南地方から朝鮮半島を経由して、北九州までの航路を何度も往復した。
 コウとユウトももちろん一緒である。
 倭国のコメは中国との重要な交易品となる。
ヒスイやゴウホラ貝なども中国では貴重品であり、それらによって中国の大型船を購入するのが目的である。また、中国の船大工などを倭国に誘い、日向の諸県で大型船の建造にも取り掛かった。これは、諸県王の姫を妻にしたライキが指導している。
この計画には奴国王も協力し、兵士の育成のために武術の訓練などをしている。
彼らの原動力は、危機感である。

新羅や高句麗の勢力が増し、倭人が住む伽耶諸国が助けを求めている。各地で小競り合いが続いている。このままほおっておくと、倭国まで攻め入ってくるかもしれない。奴国にとっても自国を守るためである。
 中国は、三国志の時代の後、ようやく再統一したのが晋の司馬炎であったが、統一後はだらしなくなり、女色に耽って政治を省みないようになった。
その死後に即位した恵帝は暗愚で知られる皇帝であり、八王の乱と呼ばれる内乱を勃発させたため、国内は大騒乱となる。その後、五胡十六国時代になり、分裂した状態で安定していない。
それが、朝鮮半島にも影響を与えていた。

大改革 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(2)

スクネが志賀高穴穂宮に来てから、三年の月日が流れた。
まだ十八の若輩者であるが成務帝の信任は厚く、毎日のように宮殿に上がり帝と直接話をしていた。
スクネは若いのに博学で、中国語や朝鮮語も話すこともでき、もちろん書もできる優秀な官吏であった。顔だちも良く、振る舞いもさわやかである。
名門の王子であり、「・・・しかも琴も奏でることができるそうじゃ」などと、都でも、宮中の女官たちの間でも評判になっていた。

当然、他の氏族からは、嫉妬されたり、やっかみがある。特に景行帝の頃からの旧臣たちにとっては、若造が重用されるだけで面白くない。
成務帝にとっては、年も近いし、生まれた日も同じスクネは実弟の様な親しみを感じていた。それ以外には、実母の弟、五百城入彦皇子(イオキイリビコノミコ)ぐらいしか、信用できる者がいない。
あれこれと本音を語り合えるほどの関係になっていた。

 内心面白くないのは、朝廷内での最大の実力者であり成務帝即位のときからの大臣、 物部十千根(トオチネ) である。
物部氏は、河内にニニギノミコトよりも前に天孫降臨したとされるニギハヤヒミコトを祖先と伝えられる氏族で、神武天皇によりヤマトを制圧されるまで、近畿地方の大王であった。古来より朝廷の中枢にいる。

トチオネ大臣はスクネが九州よりヤマトに出てきたときから、その若さと聡明さにまぶしさを覚えていたが、めきめきと頭角を現している。成務帝との関係も良く、他の氏族の覚えも良い。
そして、新しい国造りの計画を提案してきた。

スクネは、最初にトチオネ大臣に自分の考えを打ち明けた。
「大臣、今や朝鮮半島の情勢は、一刻の猶予もならないほどに緊迫しています。伽耶諸国の倭人たちから、助けを求める声が大きくなっており、わが父、奴国王も、兵を朝鮮まで繰り出して新羅の侵入を防いでおりますが、うまくいっておりません。」
まず、国防の話から入った。
「それと、お主の計画とどのような関係があるのか。九州の氏族にとっては、同族の危機であり、助けたいのは分かるが・・・。」
「これは、一地方の問題ではございません。新羅の目的は、朝鮮半島全体だけでなく我が国でございます。温暖な気候でコメ作りにも最適な我が国に、必ずや攻め入ると思われます。現に、伽耶諸国や百済から倭国に逃れてくる民が多くなりつつあり、各地でいさかいも起こっております。」
「それは解っておる。各地の豪族からの訴えもある。」
「彼らの中に、新羅からの兵士も含まれているやもしれませぬ。」
「なに、それは本当か。」
「はい、来たるべき時のために、先兵として乗り込んできている可能性があるのです。父の話によれば、渡来人たちの素性を調べているが良くわからず、どう見ても百姓や漁民とは思われないような顔つきの武人がいるとのことでございました。」
「・・・。それでどうせよと言うのじゃ。」
「まず、朝廷の力を強くする必要がございます。国の境を確定し、各氏族の財政を安定させれば、租税の見込みも立つようになります。さらに各部族の兵士たち朝廷のもとに集め、帝の指揮のもとに一致協力して国の備えとすれば、新羅もうかつに手を出せないことを知ると思われます。」
 トチオネ大臣は、この若い臣の言うことを完全に信用したわけではない。しかし、その考え方は斬新で、視野が広いということは解った。そこで、次のように指示した。
「確かにお主の言うことは理にかなっている。具体的な方策をどうするのか、良く考えてみよ。我が息子、物部胆咋(モノノベノイクイ)にも、お主の考えを話してもらいたい。次の世代の中心となってもらわなければならないからな。」
こうして、改革案は前に進みだした。

大改革 (二)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(3)

この年の春、物部胆咋(モノノベノイクイ)と同時にスクネは大臣(オオオミ)に抜擢された。
わずか十八歳で、政治の中枢に参与できる立場となったのである。
物部イクイは、スクネよりも年上であるが、まだ二十代の若者である。スクネの行動を監視せよというのが父の密命であった。

そのことは、当然スクネも解っていて、まずイクイを自分の味方にしなければならないと思っている。あれこれと細かなことを相談し、あたかもイクイの考えた案のような形で計画案を作成した。
「父上、スクネは純粋に朝廷のためを考えてあれこれと計画しております。邪心は感じられません。」とイクイは、報告していた。そして、スクネよりもこの改革案にのめり込み、国造りのためと、スクネと共に活動しだした。
この後、二年ほどの期間をかけて、スクネは以前から考えていた国造りの計画を進めることになる。
あのイソラとの航海の途中に思いついた革命を・・・。

国の境を明らかにし、国に国造、郡に郡長、県邑に稲置という長を朝廷が任命し、豪族たちを縦組織に序列化しようとする大改革である。
その本当の思惑は、まだ誰にも話していない。急いで断行すれば、氏族間で内紛がおこることは明らかである。それを抑えるだけの権力は成務帝にはまだない。

そこでスクネは策を考えた。
当時、成務帝が悩んでいたのは、あまりに多すぎる兄弟の問題であった。朝廷の負担も多く、その生活をどうするかという提案である。
成務帝には同母弟が五人、同母妹が五人、異母兄弟にヤマトタケルなど六十八人いる(うち名が伝わっているのは四十六人)。『古事記』によれば記録に残っている御子が二十一人、残らなかった御子が五十九人、合計八十人。
なお、父景行帝は、それらの皇子たちをそれぞれの国や郡に封じたが、成務と五百城入彦皇子とヤマトタケルの三人だけは封じなかったと、日本書紀に書かれている。そのうちヤマトタケルは熊襲征討に行かせたことから、五百城入彦皇子は万一、成務帝に何かあった場合の予備だったと考えられる。

さらに、この時の成務帝には、妃は三人いたがまだいずれも子がいない。このことが成務帝の最大の弱点であった。
「帝には子種がない。ヤマトタケル王子の怨念かもしれない。」などと、氏族の間では陰で噂になっていた。
なおこの後、成務帝は弟の百城入彦皇子を皇太子に立てようとしたが、有力氏族の反対にあい、断念している。

多すぎる兄弟は何かと問題が起こる。
特に後継者争いでは、亡くなったヤマトタケルの子、タラシナカツ彦のことが成務帝にとっては最大の気がかりである。 そこで、他の兄弟たちを、地方の国造として名誉・地位と食い扶持を与え、都から遠く離してしまおうという考えである。
有力氏族なら反対するのは明らかであるが、地方の一豪族であれば、飾りとして帝の兄弟を受け入れさえすれば自分たちの地位は上がり、一族の領国を安定して支配することが保証される。

こういう大義名分を考えてスクネは帝に説明した。
朝廷内の他の大臣にもこの考え方を説明したが、スクネの思惑に誰も気づかなかった。
名を改めるという形式的なことであっても、その仕組みができて動き出すと、気分的な違いや役割などが変化してくるものである。
「地位が人を創る」という言葉があるが、それほど、名という言霊は力がある。
スクネがそこまで意識していたかどうかはわからぬが、少しずつ国の形を変えるという改革は動き出した。

帝が変わっても、一度創られた制度は残る。
そして、仕組みが政治を動かす。

大改革 (三)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(4)

「成務天皇紀」は『日本書紀』『古事記』のいずれも極めて短く、治世の要諦しか記録されてないが、成務帝は、後世の廃藩置県に近いような大事業を進めていたことがわかる。
 このことが記紀に記されている。

建内宿禰を大臣として、大國小國の国造(クニノミヤツコ)を定めたまひ、また國々の堺(サカイ)、また大縣小縣の縣主を定めたまひき。----『古事記』
諸国に令して、國、郡に造長(ミヤツコオサ)を立て、県、邑に稲是(イナキ)を置いた。ともに盾と矛をさずけて表とした。そして山河をへだてて、国、県と分け、(中略)邑、里を定めた。----『日本書紀』
この事実は、『風土記』にも記載されていて、以下のように、具体的な国境、国造関係に限って名が挙げられている。
・・・(常陸国/多珂の郡) 斯我(シガ)、高穴穂宮大八州照臨(シルシメシシ)天皇(成務天皇)のみ世に、建御狭日命をもって国造に任じた。
・・・(播磨国/印南の郡) 郡の南の海中に小島がある。名を南●都麻(ナビツマ)という。
志賀の高穴穂の宮に天の下をお治めになった天皇(成務天皇)の御世に丸部(ワニベノ)臣らの始祖比古汝茅(ヒコナムロ)を遣わして国の境界を定めさせた。
その時、吉備比古・吉備比売の二人が出てきてお迎えした。

『先代旧事本紀』は物部氏の家記であり、平安時代初期八五〇年頃に編纂されたものだが、それによると、一三五ヵ国の国造の内、なんと六一の国造が志賀高穴穂朝の御世に任命されたと、国名、任命された国造個人名、その国造の祖先神が記されている。
 これによって当時の日本は、一三五ヵ国に分かれていたことが分かるし、そのすべての国に国造という官吏がいたわけではないということも分かる。

 ある程度は、改革が成功し、またうまくいかなかったとも言える。
成務帝にとっては、スクネの改革は国造の任命権者である自分の権威を高めることができるし、財政も安定する。それはつまり有力氏族の力を削ぐことになる。
さらに、帝の兄弟に対しては地位だけ与えて実権は地元氏族が持っているのだから、後継者争いの問題も解決する。一石三鳥とはこのことである。
帝も当初はスクネの改革を支持していた。
 スクネの提案した制度がそれほどの改革であることに気づかなかった有力氏族たちも、これはこのままではまずいぞと思うようになっていった。
何かと、官吏が口を出すようになってきたのである。有力氏族があらかさまに不満を言うようになっていた。
「今回の政策は、あまりにお主ら氏族の意向を無視しているのではないか、帝だけに富が集中してしまうし、我ら氏族の内情が知れてしまう。」
以前から、成務帝とタラシナカツ彦の関係は微妙であった。
スクネの大改革をきっかけに、タラシナカツ彦を担ぎ出そうという勢力が生まれ、朝廷内での影の権力争いが激しくなっていった。
大改革を初めて二年ほど過ぎた頃、その争いが少しずつ表面化しだした。
彼らが成務帝の対抗馬として考えたのが、ヤマトタケルの第二子、足仲彦(タラシナカツヒコ)である。成務帝が即位のとき、タラシナカツ彦はすでに三十歳を過ぎていたから、すでに三十五歳になっていた。
すでに大中姫命(オオナカツヒメノミコト)と弟媛(オトヒメ)という二人の妃を持ち、 大中姫命には、?坂皇子(カゴサカノミコ)、忍熊皇子(オシクマノミコ)、弟媛には誉屋別皇子(ホムヤワケノミコ)という子があった。(なお、古事記によると、誉屋別皇子の母は、神功皇后になっている。)
 景行帝の最初の纒向日代宮跡を守って住んでいる。
 小さいころから、母の嘆きを聞いて育った。
「あなたの父、ヤマトタケル王子は、景行帝より嫌われていました。ヤマトタケル王子があまりにも武勇に優れかつ人望があったので、自分の王位を奪われないかと恐れたのです。何と言っても王子は皇后が産んだ子ですし、当然、次の王は、王子がなるべきだったのです。成務帝の母、八坂入媛命(ヤサカノイリビメノミコト)が、景行帝を煽って、謀反の疑いがあると盛んに吹き込んだに違いありません。そして王子は暗殺された。タラシナカツ彦よ、そなたは王子の無念をはらすためにも王位につくべきです。成務帝の弟、百城入彦皇子にその資格はありません。」
 当然、母の言葉を信じていたはずで、必ず次の王には自分がなると自分に言い聞かせて成長したはずである。
 今の成務帝は自分よりも年下であり、このまま歳を重ねていいのかと焦っていた。
 そんな時、成務帝が朝廷の力を強めるような改革をはじめ、有力氏族が不満を募らしているということを知った。
「成務帝に対抗できる王族は自分しかいない。」それは事実である。
 いわゆる抵抗勢力がタラシナカツ彦に密かに誘いをかけてきた。
「あなたはヤマトタケルの息子だから父の遺志を継いで政権奪取に決起しなさい。決起されれば、お味方につきます」というような言葉を使ったのであろう。

策略と政略 (一)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(5)

タラシナカツ彦は、纒向日代宮に住んでいる。
景行帝の頃はこの地が政治の中心であり、多くの臣や兵士、氏族などが集まり、都としてにぎわっていたが、今は人口も減少しさびれかけていた。
 その屋形にタラシナカツ彦と、父ヤマトタケルが生きていたころからの老臣、吉備武彦とその息子の鴨別(カモワケ)の三人が集まって話し合っていた。
「今回の改革は、若くして大臣に取立てられた奴国の武内宿禰というものが考えたそうだな。なかなか頭の切れる優秀な者のようだ。」
「さようでございます。驚くべき改革案を考えたものでございます。帝の権威を高めるためには効果的な方法だと思いますが、旧体制を守りたいと考えている者にとっては、目障りな存在です。」
「そして、我らも成務帝の権威が高まるのは困ります。」
カモワケが言った。
「まず、その改革をつぶすことを考えてみよう。」
「いっそ、スクネを暗殺するとか・・・。」
「これ、カモワケ、軽々しいことを言うでないぞ、真っ先に我が王子が疑われてしまう。」
「ヤマトタケル王子も彼らに暗殺されたに違いありませんし、これは仇討でございます。何としても、この機会を逃さず一気に勝負すべきではありませんか、父上。」
「早まるでない。スクネ一人を殺めても何も変わらぬ。それに、九州の氏族を敵にまわすことになる。武力は最後の手段だ。」
「父上には、いい考えがありますか。」
「最終目的は、我がタラシナカツ彦王子が成務帝より帝の位を禅譲されることであり、そうせざるを得ないように、帝の政治力を奪うことだ。」
「なるほど、わしが帝になり政治の実権を握れば、父の思いが息子の時代に叶うことになる。これにはそれなりの名分がある。」
「そのためにはまず、我が方に加担する氏族たちを増やさねばならない。今の帝に不満の氏族は多いはずだ。」
「父上は、どこをお考えですか?」
「そうだな、まずは葛城氏だ。古くからの名門でもあり、ヤマトタケル王子とも親しかった。」
「葛城王か、この地からも近いし、一度鷹狩か何かを名目に河内を尋ねてみるか。」
「王子自ら動かれるのは、まずうございます。私めが動きましよう。そういえば、葛城王の姫は息長宿禰王に嫁いでおりまする。確か娘がいたはずです。」
「それはいい考えだ。お主ら吉備氏と葛城氏、息長氏が私に力を貸してくれれば一定の勢力になる。成務帝もうかつに動けなくなる。」
「父上、高額姫には娘がいると聞きましたが・・・、しかし、まだ年は十四か十五のはずで、幼すぎます。」
「姫の歳は関係ない、どうせ名目だけの政略結婚である。そうだ、まだ王子には正妃がいません。その姫を王子の皇后として迎えるというのであれば、乗ってくるかもしれませぬ。 彼らも、我らの思惑はすぐわかるはずです。今の成務帝の朝廷では、冷遇されていますから、次の王位継承者として王子が最右翼であると言えば、可能性があります。」
「そううまくいくかどうかわからぬが、動いてみる価値はあるな。」
「葛城王に会い、まず葛城王を説得して、葛城王から息長宿禰王に話させるようにすれば。うまくいくのではないかと・・・。」
「さすが、吉備武彦である。わが父が信頼していただけのことはある。」
「ヤマトタケル王子は武力だけで英雄となられたわけではありません。そこには数々の策を用いておられます。女人の姿をして敵をたぶらかしたり、非情なだまし討ちもされました。戦には勝たねばなりません。どんな手を使っても。まず策略が必要です。」
「父上、私は何をすればよいでしようか。」
「カモワケは志賀高穴穂宮に行き、武内宿禰に会って参れ。」
「えっ、会ってどうするのですか? 刀で脅してみますか。」
「バカを言え、丁寧にあいさつをして贈り物を届けろ。お主はスクネと年も近いし、話が合うかもしれぬ。武内宿禰がどのような人物か見て参れ。」
「武彦、これはどういう策だ? わしには良くわからぬが・・・。」タラシナカツ彦が尋ねた。
「これは、秘策でございます。後は私めにお任せください。」

この吉備武彦は、ヤマトタケルが蝦夷征伐に行ったとき、唯一、伴として最後まで王子を支えた兵士である。この吉備武彦の娘はヤマトタケルの妃となっている。王子亡き後も、息子のタラシナカツ彦を支えている。
自分が生涯をかけて支えたヤマトタケルの無念をはらすために、どうしても息子のタラシナカツ彦には、ヤマトの大王になってもらいたいと思っていた。
そして、吉備一族のためにも。
こうして、タラシナカツ彦側も成務帝に対抗する勢力を集める裏工作を始めた。

策略と政略 (二)

≪歴史小説≫阿曇磯良伝説、青雲編(6)

 三輪王朝以来の有力者である息長氏、河内の葛城氏などは、元々ヤマトタケル王子の支援者であったことから、タラシナカツ彦とは親しかった。どちらかというと成務帝の方が関係が薄い。
成務帝側の勢力とタラシナカツ彦側の勢力がどちらも不穏な動きをしているというのは、いまや公然たる秘密となっている。
有力氏族である葛城王の動きを探るため、両方の勢力から使いの者が葛城王のもとを密かに訪れ、当方に味方するよう説得しようとしていた。
どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、お互いに腹を探るような会話だけである。

 葛城王は、悩んでいた。
側に控えていたのは、葛城王の右腕ともいうべきヒダカであった。
「ヒダカ、お主はどう思うか。今日、難波津に用事のついでに挨拶したいという名目で、タラシナカツ彦側の吉備武彦が葛城王の屋形を訪れた。挨拶程度と言うことであったが、昔から相当の策士であったから油断はできない。その会話の中でタラシ姫の話が出たのだ。幾つになられたかとか巫女としての評判が高いとか、タラシナカツ彦が興味をお持ちのようだというのだ。」
「それは怪しゅうございます。わが一族や息長氏を勢力に取り込むために、姻戚関係を結ぼうというのかもしれませぬ。」
「わしもふとそう感じたから、まだ子供であると話をそらして別の話をした。それ以上は吉備武彦も話さなんだ。しかし、もしタラシナカツ彦側につくとすれば悪い話ではない。」
「しかし、先日、物部氏の使いの者が来ていましたが、まだ成務帝側の勢力のほうが大多数であり、危険すぎるのではありませんか。」
 「今、朝廷内ではわが一族は冷遇されている。成務帝には子がなく、次の王位争い次第でこの世は大きく変わる。それは分かる。それは分かるが、・・・。」
 どちらも信用できず、うかつに動けないのである。
「タラシナカツ彦王子は確かに血統は優れているが、性格が荒々しく侍女や警備兵からも怖れられておる。粗暴と言うほどでもないが、人望はあまりない。どれだけの勢力が結集するかわからぬ。一族を守るためには、勝ち馬に乗るべきであり、負け戦はできぬ。」
「もしタラシナカツ彦側が権力を握るようなことになれば、成務帝と違い強い大王になる可能性があり、それは葛城氏にとっては好ましくないのではないでしょうか。」
「確かにそうじゃ。しかし今の帝に次の後継者を決める力はない。いずれにせよ争いが起きる。」
ヒダカが答えた。
「今、ふと十五年前の高額姫の神憑りの出来事を思い出しました。あの時、大白鳥が高額姫を襲おうとしておりました。」
 当時の出来事は二人だけの秘密であり、今でも鮮明に覚えている。
高額姫が息長宿禰王に嫁ぐ前日、鬼神に憑かれたように叫び声をあげて湖まで走っていった。ヒダカと葛城王が後を追うと、大白鳥が、今にも姫に襲いかかろうとしていた。
ヒダカがその大白鳥に向かって弓を射て、事なきを得た。
白鳥は「先祖の魂を運ぶ霊鳥」であり、それを射殺すということは人には言えない。
密かに埋めて弔った。
「鬼神が姫に取り憑いたかもしれぬ・・・と巫女に問うと、ヤマトタケル王子の御霊が取り憑いたと言った。わが一族の血を引いた赤子が、次の時代の王となる・・・と思ったが、赤子は男子ではなく女子であった。」
葛城王が言った。
「私はあの出来事を忘れたことはございません。きっと何かの予兆であると今でも信じております。そして、高額姫の子タラシ姫を見て感じたことがございます。」
「それはわしも感じている。タラシ姫は普通の女子ではない、特別な何かを持っている。」
「もしあの出来事が予兆であるとすれば、巫女が話した、わが一族の血を引いた赤子というのは、タラシ姫に間違いないと思うのです。倭国の女王となるやもしれぬと・・・。」
「なるほど、しかし今の状況とどうかかわるのだ。」
「高額姫は、確かに大白鳥を胸に抱きました。しかしそれは私が射た弓が刺さった大白鳥の亡骸です。これが何を意味するのか、私にはわかりかねますが、巫女としての特別な能力をお持ちのタラシ姫ならば分かられるかもしれません。今回の後継者争いを見ていますと、わが一族とタラシ姫が大きく関わるような気がするのです。タラシナカツ彦王子が、タラシ姫を正妃に迎えたいという話を聞いたとき、大白鳥が再びタラシ姫を襲おうとしている光景が浮かびました。一族の今後のことは、タラシ姫に問われてはいかがでしょうか。」
時は急を要する。
ヒダカは次の日、近江に向かった。

成務帝が即位されてから、五年の月日が流れていた。
桜の季節になっていた。

阿曇磯良伝説、青雲編

古代史、大和朝廷の時代の物語です