Colum(品格を身につける) 
広辞苑によると、「品格」は、人に自然に備わっている人格的価値で、ほとんど目に見える、あった瞬間ぴんと感じるものです。表情や習慣など目につく形で判断されます。そして、この場合いちばんタチが悪いのは、下品な者は自分が下品な存在だということに気付いていないということです。
会田雄次氏は、日本人の品性の本質は、他者を察し思いやる心だとおっしゃっています。
そして、この伝統的な特徴を失ったら日本という国も危ないと忠告されています。
現代の日本人の品格は一体どうなっているのでしょうか? 電車の中での携帯電話の使用や化粧、1人で3人分の座席を占領して、お年寄りに席をゆずることもしないなど、いかがなものでしょうか。内と外の区別がつかなくなってしまっているのです。1人1人の品格が崩れていくと、国家の品格が崩れてしまいます。
品格の善し悪し
それでは、私たちは何によって品格の善し悪しを判断しているのでしょうか?
①慎み
②ものほしげ
プライバシー(自他の区別)があいまいで、今電車の中で携帯電話を使うのは普通のことと考える人が多いのですが、昔は当然あった感覚がなくなっていることは、大きな問題です。
③嫉妬心
横一線に並んでみんな同じでないと気がすまない。④自助の精神
少しでもお金持ちだったり、帰国子女で英語の発音がいいと、皆でよってたかっていじめたりします。
日本の子供のいじめは「いじめ殺し」と言われます。
いじめは、相手に傷つくことを長い間、持続的に集団で苦しい目にあわせることを言います。
本人がそれをいじめられていると受け取ったらそれは「いじめ」なのです。
受け手がとても辛い不愉快な嫌な気持ちになれば、「いじめ」と定義します。
いじめはやっていないと言う子供に、「シカトしたことがあるか」と聞くと、あると答えます。それが「いじめ」だとわからせることが必要です。
相手の気持ちがわからない、自分と同じような状態でない人に嫉妬するのです。
自助努力をする人は、I’m OK. と言う自己肯定感情=自尊感情を持っています。そして、その自尊感情というのは、自惚れではなく、自分を大事にする気持ちです。
私はやればできる、私は大事にされている、私は生きる価値のある人間だと言う感情です。
自尊感情がある人は、飲酒運転、不倫、自殺などはしません。憂うつな気持ちになっても、一生懸命生きていきます。
幼い頃十分甘えることのできた人は、困った時に助けを求めることができます。
いじめを苦にして自殺する子供は、助けを求めません。
欧米では、自殺は罪悪、つまり創造主から頂いた大事な命をなくしてしまうのは罪と考えます。
⑤レジャー(ゆとり)
品格はどうして身につくか
落ち着きのないオドオドした表情は、親の愛情不足が原因です。親に愛されているという安心感があるから、甘えることができます。
幼い頃、母親の愛情を十分に受けて育ったか?どうかは1つの決め手です。
甘えの足りない人は、助けられた経験を持たないので、困った時、どうやって自分を助けてよいかわからないので、つっぱりやたかりなど自分の権利だけを主張するのです。
昔の日本には、困った時助けてくれる人がいると言う相互依存の文化があったのに、今ではなくなってしまっています。
戦後の日本の歩みについてみてみると、敗戦によって国家としての誇りを完全に失ってしまい、日本のやったことは全部間違っていたと考え、自信を失ってしまいました。
教育やビジネスにおいて過剰な競争社会になり、「追いつけ、追い越せ」とすべて上昇志向になりました。日本はあまりにも変化が激しすぎたのです。
ヨーロッパでは20年前の町並みと今の町並みはほとんど変わっていません。人は年をとりましたが、自然は維持され、落ち着いた生活が行われ、昔のやさしいよき伝統は残っています。税金は70%と高いですが老後は安心して暮らすことができます。
自分は何を学びたいのか、どう学びたいのか、何に関わりたいのか、自分で考え、自分で決めることが求められます。
一生学び続けるというチャンスを頂いているのですから、自分からいろいろなものを学んでいきましょう。
本当にやる気になれば、勉強できる今の日本、いつでもどこでも誰でも楽しく学習する権利が与えられているのですから、積極的に自分を高めていきましょう。
これは私自身に言い聞かせていることです。品格を高めるという意味と、内面的な心の成長は同じことです。
あんまり頑張ってゆとりのない人生を送ると、大事なときに実力が出せないものです。脚本に気づき、自分の人生を、自分でデザインする自由と責任をもちましょう。一日一日を充実させ、大切に生きる生き方を学びましょう。
≪最近の私のキャッチフレーズ「趣味は何ですか?」と聞かれて、「趣味は勉強です。(笑)」と答えています。知的興奮ほど楽しいことはありません。本当です。笑≫
Colum(知識のレベル差)
人の知識にはたしかにレベル差があります。ものの感じ方のレベル、人に対する感度のレベル、ものわかりのレベルなど。また、活字のみの表現からくる思い違いもあります。言葉や表現の難しさはそこにあります。
誰でも「初心者時代」はあります。ですから、それぞれのレベルで考えればよいのです。大切なことは、自分で考えることです。
すぐ人に聞きたがる人がいます。仕事で上達しない人を見ていますと、ある特色があります。
落ち着きがない、マイナス思考、意地が悪い、素直ではない。そして、自分のことを自分で決められません。すぐ、「先生、どうすればいいですか?」と聞いてきます。
考えてみたら、人生って「選択」で構成されていますね。小さなことから大きなことまで。自分で選択することで、人生は成り立っています。
おかしなものを信じたりするより自分を信じて選択。
後で考えと間違っていたかもしれませんが、それでもいいのです。その時は、一生懸命考えて、自分で選択したのですから。
「上達したければ、自分で考えて自分で結論を出しなさい。」なんて言うと、陰で悪口を言います。
「なんだ、あの講師、わからないから聞いているのに、もったいぶりあがって・・・。」
人にものを聞くだけでは、知識ではあっても知恵にはなりません。
私は、独学で勉強しました。
たとえば、パソコンについては、周りに知っている人はいませんから、一時間ほどかけて都会の本屋さんへ出かけ、専門書コーナーを回ります。そして、本を探すのですが、探し出した本の数ページしか欲しがっていた情報は載っていません。その専門書は高いですが、その数ページの情報を知るために購入して帰ります。時間と手間とお金を使って知りえた知識なのです。
その知識を講座で話すと、十分程度で説明が終わります。
私がこれだけ苦しんで得た知識を、生徒さんは当然のように数分で得ることができるのです。「これだけ価値のあることを教えているのだぞ。」という気持ちでいると、居眠りしている生徒さんがいます。がっかりしてしまいます。
講師は、自分の身を削って切り売りしているようなものですね。そんなとき、「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えることができる」という言葉に出会いました。
講師として、人を変えようとしていた自分の考え方が間違いであることを知りました。
ふっと気が楽になり、「後はあなたがどう感じるかですよ」と心の中で言いながら講座をすることができるようになりました。
感じ方や考え方のレベル差があるのは当たり前のことなのです。すべての人が他人の考えをすべて理解するようなことはあり得ないことなのです。それぞれのレベルで、それぞれの知識を得て、それぞれの判断をしているのだという当たり前のことに気がつきました。
Colum(後で気がつきます)
これは私の経験談です。
大学を卒業後、東京に出て、インテリア家具メーカーのルート営業を2年間経験しました。別にその会社に入りたかったのではありません。大学時代の就職活動では、一流企業のブランドを求めて面接を受け続けたのですが、ことごとく落ちていました。損保、生保などを受けていましたが、ダメでした。
何がしたいという目標が無かったものですから、最後はどんな仕事でも良かったのです。就職浪人だけはなりたくありませんでした。たまたま募集があった地元の中小企業の試験を受けて、採用されたのです。
将来について、真面目に考えていませんでした。とりあえず就職できれば、外面が保てます。地元に就職したから、自宅から通えると思っていたのですが、二週間で関東支社勤務を言われました。木造二階建ての古い寮に入ったのですが、日の当たらない四畳半の部屋に二名のタコ部屋です。寝るだけがやっとです。家具を置いたら、布団が敷けません。
布団と下着とシャツ、ズボンを入れたダンボール二個が自分の全財産でした。押入れに入れていました。
入社後半年間、研修期間ということで、朝八時から夜八時ごろまで、会社の倉庫で荷物の出し入れ作業の毎日です。
大学卒としての変なプライドは、ズタズタにされてしまいました。今まで持ったことが無いような三人掛けのソファーなどを一人でかかえなければなりません。大変な重労働です。
幹部候補として採用されたのになぜこんな仕打ちを受けるのかと思っていましたが、九州に戻りたくなかったので、がまんして勤めていました。初任給で、ラジカセを買いました。
そして、入社半年後に気がついたのです。
半年間の倉庫業務で、その会社の商品の名前や特徴、感触などをすべて覚えてしまいました。販売する商品を知らないと営業はできません。その商品の名前や重さ、材料などを体で覚えました。そのための倉庫業務だったのです。こんな当たり前のことにも気づかず、不平不満をいっていました。会社はちゃんと考えていたのです。
半年後、なんの研修も無く、突然営業をさせられることになりました。営業社員が辞めた為です。担当は山梨県と長野県の70店舗余りの家具屋さんに対するルート営業です。
当初は、営業というよりも、販売応援という名目で、その家具屋さんの売り出しの時の応援部隊の仕事でした。
ハッピを着て、接客をする仕事です。
ノルマが月700万円でしたから、ほとんど出張です。安いビジネスホテルに泊まりながら、家具屋さんを回り、販売応援をしたり搬入を手伝ったりしました。営業のイロハもわからないまま現場に投げ込まれました。どうすればよいか自分で考えなければなりません。接客のための挨拶方法、見よう見まねで覚えました。
自社の製品については、倉庫業務のおかげで知識はありましたが、その売場にある他社の製品については何も知りませんでした。お客がいないときに、他社のカタログを見ながら覚えました。家具関連だけでなく、カーテンやカーペットなどのリビング商品についても自然と勉強するようになりました。接客のためのアプローチやクロージングなどの理論は後で知りましたが、現場で学んでいましたから、あたりまえのことでした。
会社はそうして、私を育てていたのです。
その当時は「なぜこんなことをしなければならないのか」と不満ばかり言っていたように思います。特に、土曜日曜が休めないのが辛かったです。
水曜日に休んでいますと、寮にいれば会社から呼び出しがかかることがありました。お客からの問い合わせです。お金もないので、公園でブラブラしていました。
≪そのときの体験は、今の仕事に大変役に立っています。なんせ話のネタになっていますから。笑≫
Colum(思いつきと偶然の出来事)
目標の設定
成功のための戦略として「目標の設定」という事が言われます。しかし、どんな仕事が大好きかわからないし、好きであっても上手にできるようになるかもわかりません。子供の時は「どんな大人になりたいかもわからない」というのが本当ではないでしょうか。
「今から五年後にどうなりたいか」なんて質問は、大嫌いです。
「目標を設定して、それに向かって努力しなさい」と言われても、人生はそんなに規則正しいものではないし、規則から離れたところでいろいろな教訓を与えてくれるものでもあります。
「大好きな仕事をしていれば、人は何時間働いても苦にはならない。情熱があれば解決する。」とも言われますが、大好きだったはずの仕事でもいやになる時もあります。
「ずっとしたいと思っていた仕事についたのに、なぜか幸せを感じない」ということもありえます。「毎日」は変わっていくものですから、考えも変わっていきます。
その時その時で目標も変わるのが当たり前ではないでしょうか。
「人生は進化である。そして進化の素晴らしいところは、最終的などこに行き着くかまったくわからないところだ。」という言葉がありました。
≪ディル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」より紹介します≫
リーバイス・ストラウスは、10代でアメリカにやってきて、ケンタッキーで行商人として働いていました。
ある日、カルフォルニアで金の話を耳にすると、炭鉱の鉱夫相手に必需品を売って一儲けしようと、サンフランシスコ行きの船にいろいろな商品を持ち込み、一緒に旅をしている人たちに売ってまわった。計画は大成功であったが、テント用の汚い布が売れ残ってしまった。
そして、サンフランシスコに着くと、もう一度その布を売ろうとしたが、やっぱりダメでした。 けれど、市場に出かけた彼は、品薄になっている商品の一つがズボンであることに気がつき、しかも採掘の仕事には丈夫なズボンが欠かせない。そこで、リーバイス・ストラウスはサンフランシスコの仕立屋を雇って、テントの布を使った「ジーンズ」を作り、大儲けしました。
「思いつき」と「偶然の出来事」で目標は変化し、当初の計画通りの結果になるものではないのです。
質問です。
もし、神様が信じられないようなアイデアをくれるとして、あなたはそれにふさわしいですか。
もし、あなたが船旅を終えたばかりで、荷物と売れ残りのテントの布を持っていて、サンフランシスコの町を歩いている時、もちろん金を探しにいきたいと思いながら歩いている時、炭鉱の鉱夫に「ズボンはないか」と尋ねられたらあなたはなんと答えますか。
あなたはイライラして「ないよ、ズボンなんか売っていない」と答えますよね。
その瞬間、素晴らしいアイデアが通り過ぎてしまいました。つまり、売れ残ったテントの布を使って何をすべきかを考え続けてこそ、リーバイスのジーンズを思いつくことができます。
それでは、成功のアイデアにめぐり合うためにはどうしたらよいでしょうか。
そのためには「好奇心を旺盛にすること、できることはどんどん変えてみること」というポジティブシンキングが必要です。
成功するというのは、「右にならえ」をしないことです。小説を研究しても小説家にはなれないし、成功を研究しても成功にはなりません。
成功するということは、他人よりも上位の地位に付きたいと思っているのですが、これを他人と同じような人間になることで達成したいと考えていては、不可能です。
私自身、仕事を広げていく種まき的な意識で様々に取っていた行動の一つが、結果として自らのキャリアを進めるきっかけになりました。
偶然の積み重ね
私は現在、キャリアコンサルタントとして公的な場所で講座をしたり、企業の社員研修の講師として仕事をしていますが、なぜこの仕事をするようになったかはまさに、偶然の積み重ねです。
もともとパソコンは趣味で触っていましたが、会社の倒産によって失業し残務処理をしていたら、知り合いの事務機屋から商工会のパソコンセミナー講師を頼まれました。
お金が欲しかったので経験はなかったのですが引き受けました。
その後、個人相手にアルバイトでパソコンを教え始め、1月後「パソコンスクールを開設して、失業者対象の職業訓練の委託施設を始めないか」との話があり、ITバブルの時期で、次から次へと仕事が増えていきました。
その中で就職支援の講義をするために、キャリアコンサルタント養成講座を受講して、資格を取りましたら、その分野の仕事が増えてきてキャリアを積むことができました。生徒は、失業によって心が弱っている人が多く、必要に迫られてカウンセリングの勉強も始めました。
再就職の支援をするのが仕事の中心になり、パソコン関連の講師をしながら各企業の担当者にもインターンシップ(職場体験)の依頼などもしていました。
このキャリアと営業の経験が、現在の仕事をするきっかけになりました。これはまさに「偶発的な出来事をキャリアに換えた」と言えると思います。
Colum(場を高めていく)
企業にとって利益を生み出しているのは「現場」です。会社では役職が上がるほど、現場に足を運ぶ機会が少なくなりがちです。現場を知らずに、部下の報告によって情報を得ても、マイナスの情報は入りにくく、的確な経営判断はできません。「現場主義」、現場を常に改善し、その「場を高めていく」ことが企業にとって最も大切だと思います。
次に、その企業の価値観、規範の明文化です。
「場を高める」ためには、企業の存在意義を明文化し、経営者自らが宣言することで、目標の明確化、志を意識する必要があります。
そして、お客様第一主義です。
「あなたは誰から給料をもらっているの?」という問いかけに、上司の名や会社を上げるのではなく、給料はお客様からいただいている、ということを出発点にすることで、品質やコストにも気を配ったお客様第一主義のものづくりが実践できると考えます。
場を変える
私たちの職場環境には、さまざまな「場」があります。この「場」は常に変化しています。職場の雰囲気は、上司のその日の機嫌によって変わりますし、元気のよい新入社員が入社してきただけでも変化します。ところが、会社を訪問して雑談をしていますと、「ウチの会社は社長が変わらないかぎり変わらない。」「自分のようなものが何を言っても聞いてもらえない。」という話を聞くことがあります。
変える力の大きさは人によって違っても、こういう人も「場」を変える影響力は持っているものです。その人がその職場の雰囲気を沈滞させているのかもしれません。自分の置かれている環境をどう受け止めるかが、場を高めることにも、逆に低くすることにもつながるのではないでしょうか。たとえ一人であっても場を高めようとする気概があれば、場は変化していくものだと思います。
一隅を照らす
私の好きな言葉に「一隅を照らす」という言葉があります。企業とは、社員一人ひとりがそれぞれの持ち場できちんと役割を果たしてこそ成り立つわけですから、不平不満ではなく、仕事を通じて自分の周りを明るくしていこうという気構えが大切だと思います。そのようそのような人材を育てることが、企業の成長にもつながり、社会の「一隅を照らす」ことにもつながります。
与えられている「場」で最高の仕事がしたい。その時、その場を大切にして「真面目に、地道に、こつこつやること」のできる人間になりたい。
これがプロだと思います。そのためにも、仕事を好きになってください。
やりがい、働き甲斐などとも言いますが、好きと感じる仕事に主体的に熱中し、人や社会に貢献するという共通の目標に向かう仲間の存在と、協力によって何かを成し遂げたいと集中している状態の時、人は「楽しさ」を感じます。
仕事に興味がないと、「好きと感じる」事はできません。強制されるのではなく「主体的」に関わらないと「熱中」できません。
時間の制約も阻害要因です。
「人や社会に貢献」するための仕事でないと、モチベーションが上がりません。ただお金を稼ぐためだけに「なんとか商法」をしている人の気持ちが解りません。ぜひ、気づいていただきたいのです。
「共通の目的」に「仲間と共に」取り組むことができる「志」がないと、「楽しい」感情は生まれません。
形のあるお金や財産などの「物体」は有限ですが、「感動と感謝」「仲間の存在」は無限の財産です。「楽しい」という感情は、物で得ることはできません。
Colum(人が育つ風土づくり)
「インナーマネジメントNo.13 インナーマネジメントのテーマ (1)あてになる人材を作る」に同じ内容を述べています。
今までの一般的なマネジメントは、目標管理やプロセス管理など、主要なテーマが知識や技能に対する教育を重視し、人間的な思い・価値観など、二次的なテーマとして「やる気」や「働き甲斐」などのマネジメントはおこなわれていませんでした。その結果、理論的な「頭でっかち」のマネジメントになり、こうしろ、ああしろといった上からの指示命令が多くなってしまいます。
これでは成果を出すことはできません。
花(個人)に水をまく前に土(社内環境)を耕す必要があります。
具体的には、自律的なキャリア形成のためのヒューマン教育、自己理解を中心に自分を見つめなおし、「気づき」を体験させます。
自分に気づき自ら行動することで、自分の新しい可能性を発見することになります。
これが、インナーマネジメントの考え方です。
人材育成コンサルタントとしての仕事柄、いろいろな企業を訪問させていただいています。そこでよく感じることは、「皆さん元気がないな」と感じる企業が多いことです。
特に忙しくて、毎日、スケジュールに追われる生活をしているというような担当者、成果主義の企業に多いのです。
社長や管理職の熱意はあるのですが、社員が元気がない。
ある企業を訪問したら、広い事務所に数人の事務員しかいません。机があまっています。 経費節減のため、一部の電灯が消されていました。このような職場環境をそのままにしておく感覚が理解できません。
これでは、モチベーションが保てません。
管理職は、部下に「がんばれがんばれ」と北風をおくり、社長は太陽のように社員に声をかけながら、自分が社員の何倍も働いています。しかし、その北風も太陽も感じない社員がいるのです。
目先の仕事に追われて自分のことだけで精一杯なのでしょうか、それとも何も考えていないのでしょうか。
余裕がなく、忙しすぎるのです。
しかも、その人たちの達成感は薄れ、逆に依存心が強くなってしまう。上司として信頼されても自立心を育成していない。それでは本物の上司ではない」
逆に元気のある会社には、共通性があります。
それは「よい人材を育てているか」ということです。
もともと「あてになる」人材はどこでも不足しています。
中小企業では経営者の能力が、その会社の経営資源の80%です。経営規模が大きくなると、この「あてになる」人材の数が企業発展のポイントになります。
「あてになる人」とは
自分で課題を見つけて、せっせと勉強しています。
この人については、会社は自由にやらせています。いつ、どこで誰に出会うかもしれませんし、本人は楽しみながら勉強していますから、時間とお金を与えています。
社長は偉いなと思います。
中小企業の経営者自身は、ほとんどこのレベル3の人材のはずです。
このレベル3までいかなくても、一通りの事はできるレベル2の人材をレベル3に近づけるマネジメントが、実は最も効果の高いマネジメントです。
全員一律ではなく、人を選抜してマネジメントをするのです。
≪追記≫
「あてになる人」の創り方
自発的な行動。
課題設定と問題解決。
時間とお金の「自由」を与えて、指示・命令をしない。
この考え方は、ある意味で「エリート養成」の必要性を述べています。すべての部下が「あてになる人」に成長することは難しいという考え方が前提となっています。部下のレベルに応じてマネジメントの方法を変えなければならないからです。
Colum(自由闊達な企業風土を作る)
「インナーマネジメントNo.13 インナーマネジメントのテーマ (2)自由闊達な企業風土を作る」に同じ内容を述べています。
繰り返しになりますが、花を育てるためには、種を蒔く前にまずその土地を耕す必要があります。そして、種をまきます。水をかけて、太陽の光を与える必要があります。土地を耕すことが、「企業風土」を作ることです。
具体的には、次のような職場環境だったらどうでしょうか。
①上司の指示が違うと思ったら、各自の責任のもとに無視しろと明言する。
上司を上司とも思わない態度がいいというのではありません。
本気で議論する雰囲気です。
自分の意見を述べることができるというのは、素晴らしいと思いませんか。
②当然必要と思ったら、指示がなくても実行しろ。
ここには、自由に発想し、自由に行動する部下と、その部下を包容する上司との信頼関係がベースにあります。
上司の人間性が問われます。
最も大切なことは、部下の成長であり、企業にとっては「あてになる人材」の育成ですから、結果が裏目に出たりしても、決してとがめてはいけないのです。
もし、部下が真剣に取り組んでいて、自らの責任において体を張って指示を無視したなら、それは結果の如何に関わらず、賞賛すべき勇気ある行動であり、その過程で、部下は成長します。
③小さな失敗は怒っても、大きな失敗は怒らない。
本人がいちばん知っています。失敗して学ぶことが本人の成長を促します。
「なぜ失敗したか」を追及しても、結果は変わりません。
「どうしたら、失敗しないようにできるか」を考えるべきなのです。
かつての日本企業は、短期的な業績よりも長期的な企業の成長に重きを置いており、たとえば幹部候補生には、仕事のローテーションがありました。より高いポジションについたときに全体の業務を把握させるためにいろいろな業務を経験させます。
このシステムは現在の仕事の効率を下げます。
もし効率だけを考えるならば、優秀な人は一つの仕事に専念したほうがいいし、より難易度が高い仕事のみを担当させたほうが良い。人間が頭で考えて合理性を追求するとそういう結論になります。
この「安心感」が大切です。
いい会社は、この「安心感」を与えることのできる上司がいる会社です。
企業風土を創り上げるのは、人なのです。
創業時のSONYの社是です。
会社創立の目的
一、真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
Colum(頭で考えず、感じる)
注意が強く集中していると、その行為と無関係のことを考えたり、あれこれ悩むことに注意を割かれることもなく、自意識は消え時間の感覚はゆがめられます。このような経験を産む活動は非常に楽しいので、人々はそこから得られる利益についてほとんど考えることなく、それ自体のためにその活動を自ら進んで行うようになります。
自分の知覚と選択を信頼することです。
偶然は必然であり、今感じている苦難も、人生にとって意味のあることですから、前向きに受容して取り組むと、「意味のある偶然の一致」によってそれを乗り越えることができます。
頭で考えてもいいアイデアは浮かびません。
感じるのです。
自分はどう感じるのか。
それが実現すればどう思うのか。
思い「気づき」を大切にします。
成功して喜んでいる自分を想像するのです。
小さい時、一度覚えた自転車の乗り方は、長いブランクがあっても乗り方をまったく忘れてしまうことはありません。無意識の部分が覚えているからです。自転車に乗れている自分を想像することができますから、実際に乗れるのです。
指示命令をせず評価もしない。
話をマネジメントに戻しますと、その目的は「あてになる」人材を育てることですから、元気のある会社の例で述べたように、レベル3の人材を作ることです。
自分で課題を見つけて、せっせと勉強しています。
この人については、会社は自由にやらせています。
いつ、どこで誰に出会うかもしれませんし、本人は楽しみながら勉強していますから、時間とお金を与えています。
もちろん放任するわけではありません。
危機的状況や変化が必要なときは、上司がリーダーシップを発揮します。
効率をある程度我慢して、人材育成をするために本人に任せるのです。
下に権限を委譲して自由に仕事をやらせ、「責任は自分が取る」と宣言します。
この事によって、自分よりも優秀な部下が活躍することができます。自由闊達な企業風土が生まれます。
管理型のマネジメントでは、管理職の能力で、チーム全体の能力が決まってしまいます。 個人個人の能力は押されこまれてしまいます。
管理するのではなくて、受容し、信頼し、任せるのであり、サポートする意識が大切だと思います。
このことによって、長期的な視点で会社の発展と継続が計れます。
チームが一丸となって自律的に目標に向かって燃えるようになります。
評価はどうしてもマイナスの言葉になります。
相手をダメと言う時、言っている自分は、自我の肥大が起ります。
つまり、自分を正当化しないと他人を評価できないからです。自己弁護、自己の正当化が前提となってしまうのです。
プラスの言葉は人を勇気づけたり明るくしたり幸せにしたりしますが、マイナスの言葉は暗くしたり嫌な思いをさせたり落胆させたり、心に傷を負わせて自殺まで追い込むことさえあります。
人間が不幸に陥る原因はマイナスの言葉を不用意に使うからです。
Colum(フロー理論)
フロー理論というものがあります。心理学者のミハイ・チクセントミハイが唱えたものです。彼の定義によると、「フローとは、集中力が抜群で、活動に完璧に没頭している最高の状態」ということです。
仕事や芸術制作やスポーツなどで、無我な状態、ハイな状態にいるため我を忘れ、寝食を忘れてしまう、あの夢中の状態にはまっているのが、フロー体験です。
確かな満足感と、生活に楽しさを与えます。
バイオリズムを超えた新しい概念であり、ポジティブ・シンキング(積極的思考)やプラス思考も、みなこの「フロー理論」から生まれたものです。
また、フローの状態にいると、思いもかけない出来事が頻繁に起きてきます。つまり幸運な出来事が不思議に周りに起きてきて、驚かされることです。
目標達成に障害になるようなものが、急に消失したり、新しい道が開けたりします。 必要なものがすべて必要なときに手に入ります。
シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)を感じる瞬間です。
フロー状態で集中し、夢中になっていると、確かなものをつかみ、本当のものに出会ったときに感じる、確固たる感情がでてきます。
【フロー状態の特徴】
その時人は、自分の行為をコントロールできていると感じます。
注意が強く集中しているので、その行為と無関係のことを考えたり、あれこれ悩むことに注意を割かれることもない。そのため、自意識は消え時間の感覚はゆがめられる。
このような経験を産む活動は非常に楽しいので、人々はそこから得られる利益についてほとんど考えることなく、それ自体のためにその活動を自ら進んで行うようになるというのです。
理性と理論では説明できないものですが、スポーツとか仕事に没頭している時「楽しい」と感じることがあります。
試合に負けたくないとか仕事の報酬を考えたりすることもなく、その瞬間が楽しくて仕方がないと思うと、思いもかけない出来事が頻繁に起きてきます。
そんな経験をされた方はいませんか。
成果主義は、地位、名誉、金銭を追い求める「外発的動機」そのものですから、「フロー状態」に入ることはできなくなってしまいます。
これでは、仕事が楽しくなるわけはありません。お金や地位を求めるため、年俸制を維持するために嫌だけど歯を食いしばってやらなければならない義務になってしまうからです。そのための条件として、明確な目標設定と自分の能力のバランスが大切であるといわれています。
「ひょっとしたら可能かもしれない。」と思えるかどうかです。
そして、自律的に行動できる環境です。
細かい指示命令が阻害します。
テーマを与えて任せる必要があります。
さらに、失敗に対しても前向きにとらえるプラス思考。
「大丈夫、君ならできる。責任は自分が負う。」と無条件の安心感を与えることです。
仕事の報酬として、金銭的な物や地位を与えるということは、条件的な「外発的動機」を与えることになりますから、マイナスです。
仕事の成果は、仕事を与えることです。
今、この瞬間を「楽しい」と感じることができた時、「フロー状態」になります。不思議な出来事、発見、インスピレーション、偶然の出会いが起ります。
徹底的に部下を信頼し、受容し、サポートする上司。
自律的な動きを妨げずに勢いを大切にし、部下が全力疾走できるようにする上司の下で、社員の一人ひとりが仕事に喜びを感じ、義務感や報酬や地位のためでなく、自らの情熱のままに働く会社。
ここには、指示・命令も必要ではなく、報告・連絡・相談も重要なことでない。
このようなフロー型経営ができれば、これまでの合理主義的なマネジメント理論がまったく役に立たなくなってしまいます。
こんな夢のようなことができるわけないと考えられるかもしれませんが、逆に「明るく楽しく働ける会社」を目指すことは、経営者として当たり前のことではないでしょうか。
これが「日本的マネジメント」だったはずではないでしょうか。
戦後の復興を支えた、ソニーの井深大、ホンダの本田宗一郎、松下電器の松下幸之助などのカリスマ経営者は、経営哲学としてこの考え方を身体感覚として持っていたのではないかと思うのです。
フロー理論の事例 元自動車販売会社の営業所長の体験談を紹介します。上記の話は、何回か私のブログに登場したY氏の体験談です。
営業所内で一番の売上を上げているトップセールスマンがいたが、性格的に問題があり他の社員の評判も悪かった。成績を上げていることをいいことにわがままであり、所長の私の言うことも聞かず自分のペースで仕事をしていた。
その一人のために営業所内がギスギスして、雰囲気も悪くなっていた。
成績は上げているし、私もある程度自由にやらせていたので、彼にとっては遣りやすい職場だったのだと思う。
ある時、外回りから営業所に帰ったら、その社員が他の社員と殴り合いのけんかをしていたあとで、顔にたんこぶを作っていた。いきさつはともかく、暴力に対してはどちらも悪く、懲戒処分を受けたが、監督不行届きで私自身も処分を受けてしまった。
所内の雰囲気も最悪になり、営業所長としてトップセールスマンを本社に転勤させることを決断した。
性格的に人を叱ることは嫌いであったし、その営業社員の気持ちもわかる部分もあり、私にとっても大変なストレスとなった。
「これ以上、あなたを管理することができない。転勤してもらう。」
いろんな思いがよぎった。
「営業所の売上が落ちてしまう。」これは営業所を任せられている私にとっては相当のプレッシャーであった。
本人の思いはどうだろうか。
営業社員を辞めて、事務職に転任するのである。
本人の気持ちの整理の問題など、営業所と本人の問題をマネジメントの観点から考えてしまう。
決断する厳しさ、人の思いを断ち切る難しさを感じた。
その決断が結果的に良かった。
営業所の雰囲気も良くなり、一体感がうまれ、各自が営業所の成績を落としてはならないとの意識を持ち、全員が頑張る雰囲気ができた。
別に特別な指示をしたわけではなく、結果として、営業成績も向上した。
危機感の共有、楽しさ、一体感といった雰囲気、自立的な気持ちが芽生え、目標を達成した時、営業所のみんなの笑顔、高揚感は忘れることができない思い出となった。
私自身「燃える集団」でのやりがい、働き甲斐を体験した。
彼はこの事件が、相当に堪えたらしく、ストレスで夜も眠れなくなったと言われていました。
人を「切る」ということは管理職にとっても本当につらいものです。自分の管理能力を問われるという恐怖感もあります。
トップセールスがいなくなることは、そのまま営業成績に響いてきます。
「現場では、結果が全て」と言われてきた管理職としては、「人の和が大切などときれいごとを言ってる暇はない」などと考えがちなのです。
そこをあえて、自分の責任のもとに判断する必要があるのですから・・・・。
フロー理論で述べた「自律的な動きを妨げずに勢いを大切にし、部下が全力疾走できるようにする上司の下で、社員の一人ひとりが仕事に喜びを感じ、義務感や報酬や地位のためでなく、自らの情熱のままに働く会社」が作れたらどんなにいいでしょう。
こんな会社の管理職になってみたいと思いませんか。