① よく戻ってきたね

 今まで歩いてきた人生を振り返り、いろいろな思いがよぎる。残された時間も少なくなってきて、体の衰え、焦りを感じ、人生の意味を求めている自分がいます。
そんな自分が、1つだけわかった事。「いちいの老大木」が教えてくれました。
これからお話したいのは、今から15年ほど前、私が50歳のころ、老大木が私に話してくれた?言葉、心の中に響いてきた『声』です。
その頃から、自分の内面に不思議な変化をもたらしました。自分でもわかるぐらい人格がかわってきたのです。
・人に対する寛容さが出てきました。
・物事をめんどくさがらず、手間と時間をかけることが大切であると考えるようになりました。
・合理的に無駄を省くことよりも、その無駄の中に何か大切なものがあると考えるようになりました。
・そして人生が楽しくなってきました。
今は、その後自分の人生に起きた「いろいろな偶然の出来事が必然であった」と言えるようになりました。

 私の故郷にある神社の境内に『いちいの老大木』があります。樹齢400年ぐらいでしょうか、写真の左下の鳥居とくらべるとその大きさがわかると思います。
この老大木は私の心のふるさとです。
ある日、不思議な体験をしました。あれは夢だったけれど、夢じゃなかったのかもしれないと思っています。
布団の温かさが心地よくなってきた秋の彼岸の日、「今日は休みだ、ゆっくりできる」とウトウトしていると、夢の中に老大木が現れました。懐かしい幼い日の思い出の中にある大きな樹です。
三歳の頃、その神社の境内に幼稚園があったのですが、そこにあった老大木で、私の人生の記憶で最初のページに書かれている思い出の老大木です。
朝、幼稚園に行きたくなくて「おなかが痛い」と母親に言ったのですが、「大丈夫だから行きなさい」と言われ、渋々行った事がありました。幼稚園の始業時間に間に合わず、教室に入りづらくて老大木の側でモジモジしていました。その時、幼稚園の先生が私に気がついてニコニコしながら手招きしてくれました。
ホッとしました。
60年以上経った今でもなぜかその時の情景を覚えています。その時の老大木が今でも神社の境内にあり、30年ほど前に地元に戻ってきてからは、時々神社にお参りに行き、参拝の後必ず人目も気にせず老大木に抱きつくようになりました。
老大木の鼓動を感じて、幸せな気分になります。
その老大木が夢の中に現れました。場所は神社の境内でなく、うす暗い森の中を歩いています。木々の間から光が差込み、空気もひんやりとして気持ちよくさわやかで、私の前に見覚えのあるその老大木が現れました。
その老大木の周りは白っぽく輝いています。私は別に驚きもせずその場所に立ち止まり、いつものように老大木に抱きつきました。
「なぜ、ここにいるの」と大木に話しかけるというよりも自分に問いかけました。
すると、老大木の言葉が聞こえたのです。
「よく戻って来たね」
「えっ」、私はびっくりして耳を澄ましてみますと、老大木が優しくゆっくりと語りかけてきました。落ち着きのある優しそうな老人の声でした。
老大木からその言葉を聞いた時、「えっ・・・」と一瞬の間があり、『そうか私は戻って来たんだ』となぜか納得していました。
老大木に抱きついたまま、幹の上のほうを見上げ、わけのわからない感動に浸り、どれくらいの時間だったか。この場所が人生の記憶の始まりの場所でしたから、50年あまりの時を過ぎて戻ってきたことになるのかと思いました。
50歳ごろの自分、「何のために生きてきたのか、生きているのか」と思い悩んでいる私に、「よく戻って来たね」という言葉は、新鮮な驚きと発見でした。
「そうか、私はこの場所に戻りたかったんだ。やっと戻ってこれたんだ。」
50年間の時の流れの中で、時には嫌々、時には成り行きで生きてきた自分、「なぜ自分だけが・・・」と悔やみ、苦しみ生きてきたような気がします。
もちろん楽しいこと、数多くの感動もあり、「生きると言うことは大変だ」と思いつつもなんとか生きてきた自分。
「そうか、この場所に戻るために、いや戻りたくて生きてきたのかもしれない」とその時、気づきました。
今までそんなふうに考えたこともなくて、私にとっては大発見です。
人は誰でも戻るべき場所を探しています。心のふるさとと言うべき場所です。その場所には安らぎと懐かしさに満ちています。
ここが、この場所が私のふるさとでした。

② ずっと側にいたよ

 それから、老大木との楽しい会話が始まりました。
「私はずっとあなたの側にいたよ。」と老大木は言いました。
 「今まで考えたこともなかった・・・」
今までの人生で苦しくてたまらない時、自分の後ろの上のほうから、「大丈夫、なんとかなる」と言ってくれる誰か、確かに自分を見ている誰かがいた。懐かしくて暖かい雰囲気というか、匂いというか、景色と言うべきか、適当な表現が思いつかないが、確かに今感じている老大木のイメージと同じだと気づきました。
「私だけではないよ」と言いました。老大木は、温かい空気で包んでくれています。 「ありがとう、ありがとう」なぜか感動している自分がいます。
「周りを見てごらん。今、あなたの周りに誰がいますか。」
 私が、周りを見渡すといつの間にか多くの人々が微笑みながら私を見ています。妻と子供、仕事の仲間、大学時代の友人などです。
 十代、二十代の頃は疎外感、孤独、不安の中で常に一人ぼっちの自分を感じていました。その時はわからなかったのですが、いつも寂しいと感じていた私は「人と人とのふれあい」を求めていました。
30代、大切な家族はできましたが、その頃は人よりもお金を求めている自分がいました。
40代で人生の転機を迎えました。
そして、50代の今、自分の周りには、心から信頼できる大切な人たちの笑顔があります。微笑みながら私を見てくれています。
 この文章を書きながら思い出したのですが、30年ほど前に同居していた両親のもとを飛び出し、神社の近くに住まうようになってから、神社に時々お参りに来ていました。
「今から10年ほど前にそれまでの自分の人生をすべてリセットするようなことがあり、その時はだれもいなかった。3年ほど前に自分の会社を立ち上げたけど、その頃からかな。自分の周りに人が集まりだしたのは・・・」などと考えていると、「若い頃はさびしかったんだよね」と私の気持ちを老大木が言ってくれました。
「そう、さびしかったなあー」そう、口に出して言った時、涙が流れていました。
 40代までの私は、お金や物、社会的地位や名誉を求めていました。出世したかったのです。実力もないくせに、プライドだけが高く、全力で頑張った経験がありません。口だけは達者で、行動が伴わないタイプでした。
また、本質的に他人は嫌いで、特に母親が嫌いでした。
≪母とは、相性が合わないのか、波長が合わないのか、どうしても分かり合えませんでした。人生の記憶の始まりの場所での老大木の思い出の原因は、母の言葉でした。幼稚園でのイジメが「おなかが痛くなった」原因でした。仮病だったのです。子供心に、その時の寂しさをわかってくれない、母に対する想い。仕方なく、とぼとぼと幼稚園まで歩いていって、教室に入りづらくて老大木の側でモジモジしていた時の老大木の感触と、手招きしてくれた、先生の笑顔。それが、私の人生ではじめての記憶なのです。≫
 今は、客観的に自分自身を分析し、私の中の『インナーチャイルド』と向き合うことができるようになりました。
 母も後妻の一人娘で、先妻の子たちからいじめられた経験がありました。今でも、その人たちを恨み続けています。その話を聞くたびに、悲しい気持ちになります。親戚づきあいもほとんどなかったからでしようか、「世間は冷たい、人を信用してはいけない、騙されるな。」や「世渡りは大変だ。」と小さい時から母親から言われ続けていました。 その母の言葉が大嫌いでした。
 私も、親戚のおじさんやおばさんと、話したり親しくしたことはほとんどありません。母に対する反発はあったのですが、今振り返って思うと、私自身もいつの間にか、同じような考え方をする嫌な人間でした。
「人の言うことを聞かず、頑固でわがままだったよね」
 本当は不安で自信がないのに、見栄を張り明るく振舞って疲れてしまう私がいました。
 
これは夢だったのでしょうか。

③ 二十年間の修行

 42歳まで大手の(一応一流といわれている)住宅会社の営業社員として飛び込みセールスの仕事をして、辛い経験をしました。当時の営業の体験は本当に勉強になりました。
 当時、何がいちばん辛かったかというと、ノルマです。月末、成績が達成できない時夕方会社に戻ると、所長から「今から50件の飛び込みに言って来い」といじめのような仕打ちを受けたこともありました。営業社員同士で見込み客の取り合い、殴り合いの喧嘩などもあり、雰囲気も悪く、社員の人間関係も表面的です。
 仕事をしていないような振りをして、隠れて仕事をしました。成績だけ上げていれば上司は何も言いません。朝から喫茶店に居ろうがパチンコをしていようが、誰も文句を言わないのです。隠れて、マージャンをしていたこともありました。
 ある意味、いい会社でした。一応、世間的に名の知れた住宅会社ですし、外見だけはよかったから、ずるずると勤めていたのかもしれません。
 内勤の事務社員と営業マン、建築の技術者の間に差別があるような雰囲気がありました。社員の資格、呼び名も分かれていました。
 上司は、皆転勤族であり、何年かごとに変わります。指示命令、書類作成が仕事です。そして嫌な上司ほど出世していきました。
 自分にとっていい上司は、会社にとってはダメな管理職として転勤していきます。お客を騙しても成績を上げたほうが勝ちみたいな会社の雰囲気があり、収入の面では稼げる会社でしたが、仕事の喜びを感じることは少なかったように思います。お客様に自信を持って自社の住宅を営業することができなくなっていました。
「もう嫌だ、自分が探していのものはここにはない。」
 「ここは違う。私のいる場所はここではないと会社に入ったときからずっとわかっていた。」
 会社を辞めた時、空しくて悲しかったのですが、なぜか開放感も感じていました。その後、この会社は業績も悪化し続け、倒産して別の会社に吸収合併されました。早めに見切りをつけたのは結果的に良かったと思っています。
 その時の同僚とはまったく付き合いがありません。

 その後、3年ほどは、高校時代の親友の会社に世話になり、土木のコンサルタント、不動産仲介、建売住宅の販売、マンション販売などの仕事をしていましたが、うまくいかなくて、会社が倒産。
 今、その親友は行方不明で連絡も取れず、付き合いもまったくなくなってしまいました。生まれて初めて得た高校時代からの親友で、二十年以上の付合いをしていた友でした。保証人になり借金は背負いましたが、親友だった彼に対して個人的な恨みはありません。自分が招いた結果だと思うからです。
「今はそう思えるのです」。今までの人生をリセットせざるをえませんでした。

 二十五歳から四十五歳までの二十年間が、一番苦しかった時期だったかもしれません。
 苦しい時は、よくお墓に行っていました。
 私が四歳の頃死んだ、じいちゃんに向かって、「助けて、助けて」と拝んでいたことを思い出します。何度行ったか、数え切れないぐらいです。仕事が無い時、行く場所が無くて、お墓に行ってボーとしていたこともありました。 今でも、墓参りに行きますが今のお参りは、感謝のお参りです。当時は、助けてというお参りですから、ぜんぜん違います。

 会社が倒産し、今までのすべてのキャリアをなくしてしまった時、初めて気がつきました。
 自分が助かることを願っていました。もっとお金が欲しい。人に認めてもらいたい。自分が幸せになることが第一であり、身勝手な論理で生きてきました。

 自分が豊かになるためにどうすればよいかを考えていたために、いろいろな人に迷惑をかけ、失敗したのも「ビジネスだから仕方がない」と他人のせいにして居直っているダメな自分がいました。→(原因)
 その当時、私の周りには仲間が誰もいませんでした。信頼していた親友を失い、私を助けてくれる人も誰も側にいないのです。→(結果)

 妻と子供だけが最後の生きる支えでした。

 原因はすべて自分にありました。

④ 原因はすべて自分にある

 次のように老大木が言ったのです。
「人生に起きる出来事は、ほかの人間や状況ではなく、すべて自分か原因で発生します。原因は自分にあるのだから、当然自分にその結果が現れます。これが自然の法則です。」
 老大木に反論しました。
「えっ、私のせいではありません。社会情勢の変化や信じていた友や他人の行為が原因で自分が影響を受けたのだから、自分の力ではどうすることもできませんでした。それでも原因は自分にあるのですか?」
「そうです、あなたは気がついていた・・・。何かを感じていたけれども、どうすることもできなかった。」
 なるほどと思いました。その事業の失敗を感じていた自分がいました。・・・確かに感じていました。このままうまくいくはずはないと感じていたのに、考えないようにしていました。
「どうすることもできなかった」とは、自分の利益を第一に考え、自分に言い訳をしていることなのです。「どうもしなかった」と同じ意味です。
「その時は気がつかなかった」と言い訳をしようと思ったのですが、「気がつかないあなたの責任だ」と老大木に言われそうだったので「うーん」とうなって次の言葉が出てきません。
 当時だったら、もっとムキになって反論していたでしょうし、その言葉を受け入れるだけの余裕は無かったかもしれません。経験によって言葉の意味が理解できるようになったのだと思います。

 皆さんはこの言葉の意味、理解できますか?
 別の視点から考えてみると良くわかります。
 例えば、バスに乗り遅れた時、「わーー、ダメだー」と悔やんで、「なぜ、遅れたんだ」と自分を責める人がいます。「バスはなぜ早く来たんだ」と「パスが悪い」と思う人もいます。また、「しょうがない、次は、いつ来るのかな」とバスの時刻表を見る人もいます。出来事は同じでも、その人の受け取り方でぜんぜん違った展開になってしまいます。つまり、自分が原因なのです。
≪目が覚めてから、忘れないうちにと思って、書き取りましたから、この通りの言葉だったかどうか・・・。以前読んでいたジェームズ・アレン「原因」と「結果」の法則のなかに同じような言葉があったことを思い出し、表現がごっちゃになっています。主旨は同じです。≫

≪自然の法則≫

 あなたの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。あなたがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできない。

自分のために動くと自分の利益にならない。
自分の幸せのために働いている人は、いくら働いても自分の幸せを感じることはない。
いつまでも幸せを求め続けるから、幸せを感じない。
これが自然の法則である。
自然は全体で自然であり、一つひとつの物体は全体で自然を創り上げている。すべての物体は自然の一部である。 人間も自然の一部だから、自然のために存在している。自然の法則に従うべきである。

自分勝手に動いていいということは、人も勝手に動いていいと認めていることになる。人の命を奪ってもいいという人は、人に殺されても文句を言えない。それは自然ではなく、観念的な無秩序の世界である。
そして、人は自然から命をもらいながら生きている。植物や動物の命によって私たちは生きてゆくことができる。だから、自分も命を自然に与えるべきである。
 自然のために生きるとは、自分以外の人のために生きることである。
≪この自然の真理に気づくことができて、自分の人生が変わりました。40代ですべてを無くすまで気づきませんでした。≫
 
他人のために生きることが自分のためになる。他人も自分も同じ命なのだから。

 簡単なようで簡単ではないし、わかりやすい言葉のようでよくわからない言葉です。
 私は、この言葉の一つひとつの意味をじっと考えていました。
 また、ジェームズ・アレン「原因」と「結果」の法則には、次のような言葉もありました。

  植物は種から芽生えます。それは、種なくしてはあらわれることができません。
そして、私たちの行ないもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。これもまた、その種がなければあらわれることはありません。
 意識的に行なうことでも、無意識のうちに行なうことでも、ひとつとして例外はありません。
  行ないは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。そうやって私たち人間は、自分自身が育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫しつづけるのです。


 以前から知っていた言葉ではあったのですが、「あっ、そういうことか」と、今初めて知ったような新鮮な驚きを感じました。
「あの当時の苦しみの原因はすべて自分が原因だったんだ。あの時の挫折はこのことを知るための必然だったのか。」
 今の私は老大木の言葉が理解できます。私が発した「よく、戻ってこれたなあ」という言葉には、あの当時の苦しさを乗り越えることができたことへの感謝の気持ちが含まれていることに気がつきました。
老大木はさらに次のような話もしてくれました。

物事のとらえ方は、その人の価値観、見方に左右される。自分と言う主観を通して出来事を認識している。
つまり、自分の周りの状況はすべて自分が創りだしている。自分がいなければ、その状況を理解することができないし、自分に関係する状況ではありえない。
たとえば、あなたの死を、あなたは認識することはできない。だって、そのあなたは死んでいるのだから。つまり、あなたにとって死は存在しない。


≪この理屈わかりますか?
 他人の死は認識することができますが、死んだ本人には、死を感じることのできる自分がいないのだから、自分の死を認識することはできません。言葉の遊びみたいですが事実です。≫

⑤ 自分の想いが行為となる

 自分の行為は、心の中の想いのエネルギーが、形を変えて「顕在化」したものです。その行為によって、喜びや悲しみのエネルギーが生じます。
「自分の想いが行為となって形を現し、その行為によって喜びや悲しみを感じることが人生です。この自然の法則によって人間の人生も創られています。」
 
「でも、会社が倒産し、今までのすべてのキャリアをなくしてしまった時は本当に辛かったのです。今想えばなぜ耐えることができたのか、乗り切ることができたのか、よくわかりません。」
「あの時、あなたが嫌いな母親は助けてくれたよね。」
「そうでした。確かにお金を借金して、なんとかその場を乗り切りました。もちろん?!まだ返すことができていません。金銭的に本当に助かったのですが、なぜかこだわりがあり、心から感謝できない偏屈なダメな私でした。」
「小さい頃から”どうせあなたは口先ばかりでダメなんだから”と言われてきたからね。」
「そのトラウマから逃れることができなくて、今でも・・・・まだダメです。ごめんなさい。」

夢の中の森の中の風景、私の周りの大切な人々の中に母の姿はありません。無理して見ないようにしている自分がいます。寂しい限りです。

≪余談、禁止令について≫

 私が学んでいる「交流分析」ではこれを「禁止令」と言います。
 人は何らかの形で”魔法にかかっている”と言います。その”魔法”というのは、「子供の自律性と自由を妨げている命令」で、親が子供の本当に生きる力を抑えて、知らないうちに牛耳ってしまうものです。私の母親が子供の頃、私を値引きしたことが、私の心に大きなキズを与えていて、まだ癒されていないのでしょう。母親自身が、子供の頃に受けてきた「禁止令」なのですが、それを無意識のうちに自分の子供に与えてしまったのです。とても怖い”魔法の言葉”です。

⑥ 逃げないという決意

 この文章を書いた当時、職業訓練の民間委託施設としてパソコンスクールを経営する傍ら、人材育成コンサルタントとして公的な機関で講座をしたり、企業の社員研修の講師として仕事をしていました。なぜこの仕事をするようになったかはまさに、不思議な偶然の積み重ねです。
 この仕事にかかわる以前、私は小さな会社の専務として不動産販売、マンション販売の仕事をしていました。そのマンションがまったく売れず会社は破綻してしまいました。
「それまでのキャリアとまったく違う今の仕事に、なぜ私はつけたのだろう。」
「あの時、あなたは逃げないと決意したよね。」
 確かに、この問題から逃げずに後処理をきちんとできなければ、私の後の人生はないと思いました。社長は寝込み、副社長の義理の息子は夜逃げのようにいなくなりました。残された私はひとりで残務処理をしていました。事務所にはだれもいません。
 事務所の家賃も払えない状態なのですが、借りていた事務所のビルのオーナーも同時期に倒産しまして、家賃の取り立てもありませんでしたから居座ることができていました。電気も止められようとしたのですが、九州電力に相談し、『当社も敷金が回収できていない。被害者です』と言って電気代を待ってもらっていました。 いつまでこの状態が続くのかもわかりませんでしたが、先のことは考えず、今は「逃げない」とだけは思っていました。
「なぜ、そう思ったのかな。」
 今までの自分を変えたかったからかもしれません。自分の弱さに気づいていました。こうなることは感じていたはずなのに、続けてきた自分に対する罰なのだと思いました。私は一度こんな目にあう運命だったのです。
 取締役でしたので自分の失業保険はもらえません。社員の給与を支払うために自分の給与はもらえなくなって一年余り、逃げ出すことは考えなくて、貯金を取り崩したり親から借金してしのいでいました。
 妻は何も言わず黙っていましたが、仕事がなくても家にいるわけに行かなくて、社員を解雇しだれもいない会社にひとりぽつんといました。当時、事務所にかかってくる電話は借金取りの支払いの催促の電話だけです。事務所で仕事もなく図書館に行って好きな歴史の本を読んだりしていました。

≪その時に書き上げたのが、小説「徐福伝説」です。その中で「人々の幸せを願って生きることが、自分のしたいことであったのだ」と書きました。だれもいない事務所の中で何もすることが無い時、パソコンの前に座り、この原稿を書いている時に涙が流れて仕方がありませんでした。
 初めて、自分の奥底からあふれ出してきた想いに気がつきました。あの日が人生の分岐点でした。≫

生活がそろそろ限界に近づいていました。
「逃げないとあなたが決意したことで、『貧しさ』を捨てることができたのです。そして『豊かさ』を得る準備ができました。あとは幸運を待つだけでした。」
≪自分が幸せになりたいと思う欲、これは自分だけがと思う『心の貧しさ』だと言うのです。どんなに追い求めても、その貧しさゆえに手に入らないものなのです。≫

 そんなある日、それまで話は聞いたことがありましたが、まったく面識もなかった事務機屋の社長が事務所に私を訪ねて来ました。

「あの時その人は、この仕事が片付いたら何をしたいのかと聞いたよね。」
 その社長は、地元の商工会でパソコン会計を教えるセミナーの講師を探していて、一ヶ月ほど前に知り合いの副社長に尋ね、私がパソコンに詳しいと聞きつけ、たまたま事務所に尋ねてきたのです。その時点では、副社長はすでに行方不明になっていました。実は、妻や子供をほったらかして、知り合いの飲み屋のママのところに転がり込んでいたそうです。
 その社長に「パソコンに詳しいと聞いたんですが、この仕事が片付いたら何をしたいと考えているのですか。」と尋ねられました。
「べつに、具体的に考えているわけではないのですが、好きなパソコンスクールの先生でもしましょうかね。」その時何も考えていなかった私は、思いつきでそう答えました。
 今までそんなことは考えたこともなかったのですが、なぜかそう答えていました。
「実は、商工会から頼まれて、一週間、夜間2時間、パソコン会計のセミナーを開きたいのですが、良ければ講師をしてみませんか」とその社長が言いました。別に仕事があるわけでもないので、「いいですよ」とその場で即答です。  今まで人前で話したこともなく、マニュアルを取り寄せて勉強し、そのセミナーは無事に終了することができました。
 一年ぶりに人からいただく感謝の報酬、25,000円を貰い、本当にうれしかったことを今でも覚えています。
「あれは、偶然にしてはできすぎている話だと思っていました。」

「あなたが口に出して自分のやりたいことを言った時から、あなたの進む道が決まりました。」

≪逃げると言うことは、自分の都合だけを考えています。そのことで人がどれだけ迷惑を受けるかわかりません。つまり、自然の法則に反しているのです。だから、その心の貧しさを捨てることができた時、運命は微笑んでくれました。それからは、向こうから仕事が次々に飛び込んできました。私は、前向きに流れのままに仕事をしていっただけです。その結果、今があります。≫

⑦ 言葉によって創られる

種が芽をだすためには、自然の法則によって時期が決められている。不思議な何らかのエネルギーが加わらないと変化は起こらない。
 生命と言われているものの中で、唯一人間は自分の内部に変化を起こすことのできるエネルギーを持つことができた。それが「自我」である。
 自我は言葉によって創られている。


 私たちが、自分が自分であることを知るのは大体三歳か四歳頃といわれています。言葉を覚えることと自我の発達は一致しています。キリスト教では「初めに言葉ありき」と言っています。自分と言う概念は言葉を得たことで発見することができました。「自我は言葉によって創られている」という言葉は、私にとって大発見でした。
「何気なく言葉を発した時が私の人生の分岐点だったんですね。」
「それからの私は、川の流れに身を任せて流れるように、偶然の積み重ねと勢いで今のこの場所にたどり着いたように思います。それも自然の法則ですか。」
「それはあなた自身の力です。その頃から、あなたは神社にお参りするようになり、時々わたしの側に来て、私に話しかけていましたよね。『逃げないぞ、逃げないぞ』と口にだしてね。」
 たしかに、苦しくてたまらなかった私は、自然と神社で手を合わせるようになっていました。

「あなたは気がつかなかったけど、私は『大丈夫、大丈夫』と言っていましたよ。その頃、あなたは何のために働いていましたか。」
「何も考えていませんでした。ただ仕事ができる喜び、感謝していたことだけは覚えています」と言った時、気がつきました。
「そうか、それ以前はお金を稼ぐために働いていました。苦しさから逃れるために働かねばならないと考えていました。自分の幸せが第一だと考えていたのです。もちろん社会の役に立ちたいとはずっと考えていましたがそのために自分は豊かにならなければと考えていました。」
それではダメだと老大木は次のように言いました。

「 強欲、嫌悪、怒り、虚栄心、慢心、自堕落、利己心、強情といったものは、どれもが貧しさであり弱さです。
いっぽう、愛、清らかさ、優しさ、忍耐、同情、寛大さ、思いやりなどは、どれもが豊かさでありパワーです。
あなたは貧しさを捨てたことで豊かさを手に入れることができたのです。」

この言葉を聞いた時、全身が感動でしびれたような気がしました。

⑧ 貧しさを捨てる

「確かに、事務機屋で働いていた時は、ただ仕事があるだけでうれしくて、誠意を持って感謝しながら働いて、お金をもらえることが単純にうれしかったのです。それ以上のことは考えていませんでした。」
「考えなかったからうまくいったのですよね。仕事は楽しかったですか。」
「はい、それまでの辛い日々にくらべると毎日が楽しくて仕方ありませんでした。」
 商工会でのセミナー終了後、一日1万円の日当でのアルバイトが始まりました。事務機屋の中のパソコンが置いてあるコーナーで個人さん相手の講座を手伝ったり、顧客先に行ってパソコンを教えたり、営業の手伝いとして月に10日ほどその事務機屋に通うようになりました。
 一ヵ月後、失業者対象の職業訓練の民間委託施設を探していると言う話が舞い込んで来ました。
 三ヵ月後、その社長と相談して空き地にプレハブの小屋を立て、半年後にはパソコンスクールを開設しました。
 一期生16名を迎える一週間前に教室が完成しました。すべてが手探りの状態でしたが、なくす物はなにも無い者の強みです。営業活動はほとんどしなかったのですが、次から次に委託訓練コースの依頼が増え、パソコンの台数も増えて順調に業績を伸ばしていくことができました。
 教室も次々と四ヶ所に開設し、三年間ほどは忙しくて、私は生き生きと仕事をしていました。少しずつ、借金の返済もできるようになっていました。
 その職業訓練で就職支援の講義をするために、キャリアコンサルタント養成講座を受講し資格を取ったら、自然とその分野の仕事が増えてきて、外部のセミナーなどの依頼もあり経験を積み上げていました。

「収入が増えて生活も安定し、貧しさが芽生えましたね。」
 確かに事業規模の拡大とともに、社長が人材派遣とか別のパソコンスクールを創るとか、ちょっと分不相応なことを始めました。社内もギクシャクし、批判的な態度をした私を社長は煙たがるようになりました。
 三年ほど後、経営環境が厳しくなりました。それまでのITブームが終わり、利益確保が難しくなっていました。社長との経営方針の違いが表面化、人間関係がうまくいかなくなり、私を含めた幹部の四人が同時に退職、自然の流れと勢いで独立することになり、現在に至りました。

⑨ 出会いが人生を創る

「ひょっとしたら、その時たいしたトラブルにもならずにスムーズに独立できたのもあなたのおかげですか。」
「違います。私はただ見ていました。その時あなたは誰のために動きましたか。」
 「誰のため?もちろん自分のためですが・・・」と老大木に言った時、それだけが理由ではないことに気がつきました。
 当時の私は、人との出会いを大切にしたいと考えていました。私は、そのスクールで出合った素晴らしい部下を生かすために動きました。彼女が会社を辞めるといったのが私自身の独立のきっかけです。その人の能力を活かすために彼女の居場所を作りたかったのです。その人と一緒に仕事をしたいと思いました。
 自分もいまさら会社勤めはしたくないし、雇ってくれるところもないですし、あまり先のことは考えませんでした。具体的な収入の道もありませんでした。今思えばよくやったなと思います。
 以前、キャリアコンサルタントの養成講座で習ったことですが、これはまさに「偶発的な出来事を自分のキャリアに換えた」と言えると思います。
「キャリアというものは、あらかじめ“この仕事こそ自分にもっとも適した仕事だ”と意思決定して仕事を選ぶというより、仕事の中で直面する困難や成功や出会いなどから学習することによって変化しつくられていくものなのだ」という法則がありますが、その言葉を思い出しました。

「人との出会いが人生を創るのです。人を活かしたい、人のためにできることをしたいと考えることができれば、すべてうまくいきます。自然の法則に従っていますから。」

 人と人のふれあいが、私たちの人生を支えています。人間が生きていくためのもとの力となるもの、生命にとって最も大切なものは「ふれあい」です。

「人はふれあいを求めるために生きているのです。お互いの時間を共有し、ふれあい、理解しあうことが人生に感動を与え、生きる力を与えてくれるのです。」
 この言葉は、今の私はよく理解できます。以前はお金や物を求めていましたが、当時の私は、本当に求めているのは「人とのふれあい」ということに気がつき、人を活かすために何ができるかを第一に考えるようになっていました。 自分を変えることで行動が変わり、人生が変わってきたことを実感しています。
「よく戻って来たね」と老大木はまた言いました。
「長い長い旅を終えて、私は戻って来たんだ。ということは、今までの苦労は必然だったのですね。ところで、私の人生はここで終わるですか。今の自分は幸せだし、寿命ならしかないけど、もっと楽しみたいし・・・。」 と言うと、老大木は「はっはっはっ」と笑いました。

「必然というよりも、あなたの想いが結果を創ったのです。」
 老大木は、無意識のうちにここに戻りたいと考えている私を知っていたそうである。
 自然界では「ゆらぎ」という予測不可能な偶然もあり、その法則を変えることはできないけれども、結果から見れば「偶然が必然を生み出した」ことになるそうである。
 私には難しすぎてよく理解できなかったのですが、想いが未来を作ると言うことは、夢があっていいなあと思いました。
「今まではね、今からの仕事のための修行期間だったのですよ。これから、あなたの本当の仕事が待っているのです。」
「本当の仕事とはなんでしょうか。私はどんな道を行けばいいのでしょうか。」
 会社を設立して3年が経ち、このままで良いか何か新しいことを考えねばならないのか聞きたいと思いました。時間とは、老大木の説明によれば次のようなものだと言います。
「多くの人は、時間は前に流れるものだという間違った思い込みで生きている。」
 それで、人間はいろいろと予定したり計画したりして、忙しいとか時間が無いとか文句を言っているわけですし、それはすべて自分がそう思っている思い込みにすぎないと言うのです。
「時間と言うものは、本来、流れるものではなくて、過去から未来に流れるものではなくて、ただ「今」があるだけです。今という時間があるだけなのです。だから、過去を嘆いたり未来を憂えたりしているのは、今の自分以外の何者でもないのです。」
「なるほど、つまり未来は自分で創るものということでしょうか。」

⑩ 楽しい場を創る

「先のことは考えないで、今、何が一番楽しいかを考えなさい。そして、今の楽しさを続けるには、今を大切にしなさい。道を捜し求めるのではなくて、場を創るのです。」
「何が楽しいかを考えるとは、どういうことなのか。人材育成コンサルタントという今の仕事は楽しいし、やりがいもある。与えられた仕事は誠実にしています。場を創るのですか」と問いました。

 道を捜し求めるのではない。どこに行くかもわからないのにその道を踏みしめながら進んでも正しいのか間違っているのか・・・。もし間違っているのなら意味がないし、あれこれ考えてみたのですが、私にはどういう意味かまったくわかりませんでした。

「道を探すのではなく、今いる場所を楽しい場所にするのです。人を活かすための楽しい場所を創ることが今後のあなたの仕事です。」
 私の仕事は人を活かすことですから、「人を活かすための楽しい場所を創る」というのは、なるほど私も楽しくてやりがいのある仕事だと思いました。
 私の好きな言葉に仏教用語で「一隅を照らす」という言葉があります。企業とは、社員一人ひとりがそれぞれの持ち場できちんと役割を果たしてこそ成り立つわけですから、不平不満ではなく、仕事を通じて自分の周りを明るくしていこうという気構えが大切だと思います。そのような人材を育てることが、企業の成長にもつながり、社会の「一隅を照らす」ことにもつながります。

「私は与えられている『場』で最高の仕事がしたい。その時、その場を大切にして真面目に、地道に、こつこつやることのできる人間になりたい。」
 誰でも仕事に興味がないと「好きと感じる」事はできません。「人や社会に貢献」するための仕事でないと、モチベーションが上がりません。共通の目的に仲間と共に取り組むことができる志がないと、楽しいという感情は生まれません。形のあるお金や財産などの「物体」は有限ですが、「感動と感謝」「仲間の存在」は無限の財産だと思います。

「楽しいという感情は、物で得ることはできない。私たちは、“与える心で行動している時”に心の力が最大限に発揮される。人に対して喜んでほしい、役に立ちたいという思いで行動するとき、愛や思いやりの心で行動するとき、私たちの心も体もすごく活性化される。」
 これは、豊かな人生を実現するための法則です。

 どれくらいの時間が過ぎたのか、それともほんの瞬間だったのか時間の感覚はないのですが、夢の中の私は、老大木といろいろな話をしました。目が覚めて、忘れない内にと急いで机に向かい、夢の中で断片的に手帳に書きとめていました。その後、月に一度はいちいの老大木に会うために神社に出かけるようになりました。以前にもましてその老大木は私の心のふるさとになりました。
 その頃から内面的な気づきや心理学、哲学に対する興味が膨らみ、常に意識するようになり、企業の管理者向けの心構えとしてこの私の体験は役に立つのではないかとまとめ始めました。

「インナーマネジメント」と題して、ホームページ上で公開することにしました。また、人前で話すようになりました。実際に一つひとつの言葉には不思議なエネルギーがあり、話している自分自身が変化しているように感じています。
 一年余りが経ち、あの時聞いた言葉、「道を探すのではなく、今いる場所を楽しい場所にする」については、私にとって現在そしてこれからの永遠のテーマです。

 人を活かすための場所を創るには具体的にはどうすればよいのでしょうか。いちいの老大木の言葉の中にそのヒントがあり、その時の言葉、インスピレーションから考え続けていることをまとめました。
 なお、最近になって神社の宮司さんに聞いたのですが、このいちいの老大木は不思議な力があるらしく、私だけではなく、近所の人も参拝後触っている人がいるそうです。
 この老大木の秘密を知っていたのは私だけではなかったのかと、ちょっと残念な気持ちになりました。
≪私の心の中に、いつも故郷の老大木がいることに気がつき、苦しい時や悲しい時に参拝するようになり、自分の性格が変化してきたことを実感しています。人生も老年期にさしかかり、あらためて自分の人生を振り返った時、いろいろな想いが溢れました。自分の考えを整理することができ、良かったと思っています。人生には、意味があります。 その人生の意味を求め続けていくことが、これからの私のテーマです。≫