コミュニケーションのパターン

≪交流パターン分析≫

 交流パターン分析は、日常私たちが互いに他者と取り交わす言葉、態度、行動などを、P、A、Cの知識を駆使して、分析してみようとするものです。この目的は、まず、自分自身のP、A、Cのあり方について自覚し、自分が他人に対してどんな対処に仕方をしているか、あるいは他人は自分にどんな関わり方をしているかを理解し、対人関係のあり方をそのときその場の状況に応じて意識的に統御できるようにすることにあります。

すべての「やりとり」は次の3つのいずれかに分類します。
1.相補的コミュニケーション:二者間の矢印が平行線になり、両者は緊張することなくコミュニケーションを続けるもの(例:情報の交換)。
2.交差的コミュニケーション:二者間の矢印は交差し、やりとりは 発信者に戻らないかぎり緊張が高まって中断するもの(例:親子の断絶)。
3. 裏面的コミュニケーション:表面のメッセージの裏に心理的メッセージが隠されている交流で二者のやりとりは実線と点線の2つで描かれるもの(例:ホンネとタテマエ)。
 日常生活では一般に相補的コミュニケーションが望ましいとされていますが、それが退屈をもたらすほど長く続くときは、交差的コミュニケーションで意図的に中断することができます。
 交流分析では、裏面的コミュニケーションが習慣化して、最後にきまって不快な感情をもって終わるものを「ゲーム」と呼びます。

まずい人間関係は、「3つの心」のバランスが崩れることから起こる

● 相補的コミュニケーション

 ミュニケーションパターンの一型で、適切で期待どおりのコミュニケーションとなり、健康な人間関係の自然な道理にかなうものです。
 このコミュニケーションでは、刺激と反応が互いに平行線となります(図)。
例えば、子どもが母親に対して、「ママ、いま何時?」と聞いたのに対し、母親が「7 時45分ですよ」と答えています。ここでは、2つの A が互いに会話を行い、コミュニケーションはスムーズに運んでいます。相補的コミュニケーションには次のコミュニケーションの第1の原則が伴います
「ベクトルが平行線になるときには、その話題に関するコミュニケーションはいつまでも続く可能性がある」
「時間をきちんと守りなさい」CP→ ←AC「はい」
「このケーキ、おいしいね」FC→ ←NP「そう、よかったね」
ストレスのない快適な会話が続きます。

● 交差的コミュニケーション

  コミュニケーションパターンの一型で、図aのように、ベクトルが交差するため、刺激に対して予想外の反応がなされるものです。
 例えば、患者が医師に対して情報を求める目的で、「この薬はどういうふうに効くのですか?」と尋ねたとします。これに対して医師がその P から患者の C に向かって、「患者は黙ってそれを飲めばいいのです」と答えたとします。 ここで少し緊張が生じ、対話は一時中断します。
 交差的コミュニケーションには、コミュニケーションの第2原則が伴います。すなわち、「やりとりが交差すると、結果としてコミュニケーションが途絶え、それを再開するには、一人または両者が自我状態を移行させる必要がある」というものです。
なお、異なったレベルの自我状態の間でベクトルが平行線になる場合も、交差コミュニケーションと見なされます。
「時間をきちんと守りなさい」CP→AC A←A「どうして」
「いま、何時ですか」A→A AC←CP「自分で調べなさい」
「このケーキおいしいね」FC→NP AC←CP「黙って食べなさい」
「今のあなたの気持ちは」A→AC AC←CP「何、あんたなんかにわかるわけないわよ」

● 裏面的コミュニケーション(隠されたやりとり)

  コミュニケーションパターンの一型で、社交レベルのコミュニケーションと心理レベルのコミュニケーションの両方が同時に行われるものです。
 例えば、入院した患者が治療者に贈り物をしたり、それが高価だったりする場合です。
 直線が示す言語によるコミュニケーションは、一見、明白なメッセージを伝えています。これに対して点線(心理的レベル)は、「私を他の患者よりも、よくして欲しい」というC からのメッセージを送っている可能性があります。  裏面的コミュニケーションには、コミュニケーションの第3の原則が伴います。
すなわち「裏面的交流による行動の結果は、社交レベルではなく、心理レベルで決定される」のです。
「売り出しは今日までですよ」(買っておかないと損しますよ)
「まあ、かわいいお子さんですこと」(猿のような顔して・・。)
言葉では、「ありがとう」と言っても、なぜか不快感が残ります。つまり、相手の「ホンネ」が隠されているからです。 これが私たちの人間関係を複雑なものにしています。

コミュニケーションを阻害する禁止令

≪禁止令≫ 両親とのかかわりの中で、子供は親からいろいろなメッセージを受け取ります。

禁止令とは
a.指図、指示、命令です
b.親や養育者があなたの健康、能力、自由、楽しみなどの感じに対して、それを妨害するような指図をしたものです
c.一生を通じて悩みや問題の原因になる可能性を持つものです
種類
1 存在するな
2 成長するな
3 成功するな
4 重要であるな
5 自然に感情を感じるな
6 健康であるな・正気であるな
7 仲間になるな
8 実行するな
9 子どもであるな
10近づくな、愛するな、信用するな
11おまえ(男、女)であるな
12考えるな

 親にとっては「しつけ」のつもりでも、子供にとっては“呪いのようなメッセージ”になってしまうのです。
たとえば、「ろくでなし」「役立たず」「生まれてこなければよかったのに」などは本当にひどい言葉ですが、「男の子だったらよかったのに」「橋の下から拾ってきた」とか「どうしてお兄ちゃんみたいにできないの」「本当にだめな子ね」「あーいやだ、いやだ」とつい言ってしまうことがあります。
 これが、子供の人格形成に大きな影響を与えます。言葉だけではなく、目つき、ジェスチャーなども子供の心に直接影響を与えます。親のごまかしも見抜いてしまいます。これが「禁止令」です。
たとえば、口ぐせのように次のような言葉をいう人はいませんか。
・「何をやっても楽しめない」
・「仕事をしていないと罪悪感を感じる」
・「もう少し子供にやさしくしたいのに、干渉しすぎ、言わなくてもいい事を言ってしまう」
・普段、何気なく過ごしていても、「あの時のあの言葉を急に思い出す。忘れられない」
・今までふざけあっていたのに「突然顔色が変わり、怒り出す」
・「自分の意思ではどうしようもなく感情的になってしまうことがある」

これが「禁止令」の怖さです。


①対人関係についての禁止令

  人と親密になることに対する恐怖心です。たとえば、対人恐怖・仲間入りできない・引きこもりなどは、この禁止令のためです。

「私に近づいてはならない(親しくしてはならない)」
親とスキンシップの経験がありません。身体的接触を拒まれたことがあります。心の触れ合いを欠く親子関係を感じています。親の感情が一貫していない時があり、親とどう接していいか子供は戸惑ってしまいます。
親に捨てられる体験をした。離婚・父母の絶え間ない争いを目にしている。
こんな禁止令を受けた子供は、「人と親密になってはいけない。」という禁止令を受けています。この禁止令が、次のような行為、考え方、感情になります。
・「今日のご機嫌はどうかな」と探る、親の顔色をみるくせがつく。
・触る、触れられることへの恐怖心がある。
・家族や友人との感情的交流の欠如。つき合いが悪い。
・愛情交換の困難な人。異性が嫌い。
・深い関係に入ることを回避する。
・人間から離れ、静かに内にこもるタイプで、非社交的。


「みんなの仲間入りをしてはならない」
 親が「この子はうちの子でなければよいのに」と内心で拒否している時があります。
自分自身が親戚・兄弟・グループとうまく交際できない親の場合が多いのですが、教師、友人に嫌われている自分の子供を見たとき。「いじめ」を受けた自分の子供に対して、子供がかわいそうだと思うのではなく、親が内心で拒否している場合があります。「自分と似ているため」そんな自分が嫌いだからでしょうか。こんな禁止令を受けた子供は、「仲間と親密になってはいけない。」という禁止令を受けています。この禁止令が、次のような行為、考え方、感情になります。
・もらい子空想、「あなたは橋の下で拾ってきた子供なのよ」と親に言われた。
・「よそ者」意識、親戚のおじさんおばさんとのつき合いもなく、ふるさとがない。
・話し合いに加わらない、宴会が嫌いだ。


 孤立する傾向があり、静かで孤独を愛するタイプですからと言い訳を言う。
 気づけば、性格は変えられないかもしれませんが、行動は変えることができます。「もっと人生を楽しんでいいのに・・・。」と考えてみませんか。日記などに辛い気持ちを書くことで、楽になります。


②存在そのものに対する禁止令

 子供に対し、親が「おまえなんか死んじまえ」と言うことがあります。ちょっとしたしつけのつもりかもしれませんが、子供にとっては、自分の存在を否定された、親が自分のことを死ねばいいと思っていると感じます。その時の子供の心には、物凄い呪いの言葉になります。最大級の禁止令です。

  手がかりとしては、次のような行為です。
・自殺の試み、自傷・他傷行為、他人を傷つける空想
・酒・薬物の乱用
・両親の虐待・拒絶
・幼児期の兄弟の死

また、希望したのと反対の性別の子のときの「おまえが女の子だったらよかったのに」の言葉も同じです。
・自分は兄(妹)より劣っている
・異性の洋服を着る
・異性の行動を好む
・名前が異性の意味を持つ

他の子がいつも大事にされていると感じている自分がいます。


③個人の成長に関する禁止令

  昔、ドラマにもなった「冬彦さん」現象(マザコン)、パラサイトシングル、モラトリアムⅡ世(年令相応に大人になっていない人、自己主張や権利意識が強く、責任をとらない、とれない)などの現象には、この禁止令が関係していると思われます。

「成長してはならない」
 背後に子離れできず、子供をいつまでも自分の支配下に置く親がいます。
・夫との関係がうまく行かず、子供が唯一の交流の源となる。
・きわめて批判的、過干渉の親

手がかりとしては、次のような事例です。
・子供じみた言動
・責任の回避
・自己コントロールができない……薬物依存、スピード狂
・ストレスの下で感情的になる……キレルという現象
・ピーターパン、ファザコン、マザコン、パラサイトシングル、結婚しない


逆に、「子供であってはならない(楽しんではならない)」と言う禁止令もあります。自分自身が子供のように振舞う親が、次のような行為をします。
・子供が親の面倒を見るべきだと言う。
・子供の自由や楽しみに嫉妬している親が、遊びを禁じます。
・自分の劣等感を補おうとして子供を利用する(芸能、習い事など)

手がかりとしては、その親が、長子、一人っ子であったり、丁寧すぎるほど儀礼的な態度で打ち解けないタイプであったり、楽しいことをきまり悪がる傾向があります。
遊んだり、ふざけている時に訳もわからず親が腹を立てたりしたことはありませんか。


④身体と心の健康に関する禁止令

「健康であってはならない」
 挨拶代わりに身体の不調を訴える人がいます。こういう人に接すると「腹が立つ」のが普通の感情であり、「何度言わせるの」という不満が生じます。
 病気を利用する親の生き方が関係しています。自分が子供の時、病気になると親にやさしくしてもらえる。病身の子供の世話をしている親が、他人から同情を得られるなどの状況を見ますと、この禁止令が無意識に植えつけられます。
 手がかりとしては、「疾病利得、疾病逃避」の状況があります。
 ヒステリー(Hy)とは、演技性障害ですが、病気をして注目を浴びることでもあります。その背後には“不安”があります。
 不安になると「緊張する、イライラする、怒りっぽい、疑い深くなる、親しくなるのが嫌で1人になりたくなる」などの状況が現れます。

「正気であってはいけない」
「もし子供が正気だと、私がどのくらい頭がおかしいかわかってしまうのでは」と恐れている親がいます。
・精神障害の親や親戚のモデルがある場合
・頭のおかしい行動がほめられる
・おかしい行動が正されない
 などの環境が影響します。
・正常なのに現実把握に問題がある場合
・正常なのに精神障害のように扱われる人


⑤成功や課題達成に関する禁止令

「重要な人物であってはならない」
a.親から無視されたり、馬鹿にされるとき
・「迷惑をかけるんじゃないぞ!」と口クセのように言う親
・わが子に競争心を抱いている親がいます。

 次のような状況が手がかりになります。
・リーダーシップをとるのを拒む
・欲しいものを率直に要求しない
・昇進のチャンスを活用しない
・人前で話すことが苦手

たとえば、肝心なところで失敗し、人生の目的を果たせない場合
   投影(~のせいにする)
   自分にやましさがあると人を責めたがる
   墓穴を掘る(政治家になっても刑務所に行く)

「成功してはならない」
 親が自分の息子や娘の成功を恐れているときがあります。子供が自分を越してしまい、自分が大事にされなくなるのではないかという不安や、わが子を自分に依存させておきたい親が与える禁止令です。
 子供が完全でない限り、絶えず批判する親がいます。親が自分の中に(-)面がたくさんあるからで、自分の内面をよく見つめることが大切です。
 次のような状況が手がかりになります。
・物事を最後に台無しにする
・試験や仕事で、一生懸命努力しながら失敗する人
・自己破壊的な行為を繰り返す


また、子供に何かひどいことが起こるに違いないと恐れている親の場合もあります。
・「あなたのすることは危なくて見ていられないわ」
・「親の言う通りにしていればいいのだ」

と言う言葉を良く使います。
 次のような状況が手がかりになります。
・計画を立てても、いつも実行しない
・自分自身で決心できない
・自分の意見に固執する
・過度の用心深さ
・自分の人生に責任が取れない(免許をとっても運転できない人)


⑥思考・感情に関する禁止令

「考えてはいけない(心身症=感じてはいけない)」
子供の考えを常にあなどる親が原因です。
・「くだらないことを考えるんじゃない」
・「ママには分からないわ。そう言うことはパパに聞きなさい」
・「私は料理(数学、文章、運動など)が全然ダメなの」

こんなことをあまり言うと、子供は自分も駄目だと思う傾向になります。
次のような状況が手がかりになります。
問題解決にあたるとき、混乱して、考えられなくなる。
頭が真っ白になって考えられない。
  「考えられない」のではなく、「考える」事をしない。
 「~できない」とよく言う。これは[~しない]と言う意味です。
 本人にある力を使うことも許可してない
「私の考えは間違っているかもしれませんから、、、、、、」が口癖である。
考えるべき時に感情的あるいは空白状態になる。

「感じてはいけない」
普通の感情を表せない人=アレキシサイミア(失感情言語症)
普通の感情表現、あるいは特定の感情や興奮が禁じられている家庭で起こります。
・「男の子は泣くんじゃない」
・「女の子がそんなに怒るものではありません」

次のような状況が手がかりになります。
・アレキシサイミア(失感情言語症)=感情を言葉に表すことが不得意
・「父も母も決して怒ったことはありません」といった陳述があります。
・決して泣かない子がいます。泣く子が当たり前です。反抗期がない子は問題です、
・習慣的過食  「寂しい」「心が空しい」と食べる
・無謀な運転


⑦その他の禁止令

☆ 誇りを持ってはならない
・自分の成功をプラスに評価して喜べない

☆ 欲しいものを求めてはならない
・何が欲しいのか分からない
・くれそうな人に求めない
・手に入れても満足しない
・欲しいものを欲しいと言えない

☆ 自分を気遣ってはならない
・助けを求めるより「死んだほうがまし」

☆ 過去の不幸を手放してはならない
・外傷体験をいつまでも悔やむ
・逆に早く片付けすぎる
・過去の出来事にいつまでもこだわる

ドライバー(拮抗禁止令)

「ドライバー」は、自分を駆り立てる力と言う意味で、禁止令発動の引き金の役割を演じます。

≪ 両親の「親」の自我状態から出されるメッセージで、制約的なものであり、もしそれを固く守れば、成長や柔軟性を阻止する可能性があります。これらは「駆り立てるもの」を含み「強くあれ」「もっと努力しろ」「完全であれ」「急げ」と「(自分以外の他人、世間を)喜ばせろ」などがあります。≫

 「ドライバー」には次の5つがあります。
① 急げ!
時間に駆り立てられるように、「急いで事を仕損じろ」つまり、「成功するな」「失敗しなさい」と言うメッセージを強めてしまうのです。
例えば、1時間前に試験会場に着いているのに、肝心の受験票を忘れて1年の苦労が水の泡になるといった例です。
② 完全であれ!
例えば、同じ事を何度も子供に言うなどです。
③ もっと努力しろ!
例えば、「親に感謝しなさい」などの言葉を発します。
④ 他人を喜ばせろ!
例えば、「ぐずぐずしないでさっさとやりなさい」「テキパキ片付けなさい」などの言葉です。
⑤ 強くあれ!
例えば、「メソメソするな」「我慢しろ」「泣く子は嫌い」「しっかりしろ」

 ①~⑤を子供に伝える時、親が子供に対して、「あんたはダメな子」という気持ちがあると、マイナスのイメージが伝わってしまいます。
 完全主義の親は、子供に「受験票持った?」「持ってないでしょ」「あんたはすぐ忘れるんだから」「ちゃんと机の上に置いて忘れないようにしなさい」と言います。子供は、かばんの中にちゃんと受験票を入れていたのを、わざわざ机の上に置いて、当日忘れていくのです。子供を「愚図な子」と思っているから、どうしても言葉数が多くなり、目つきがきつく、間違ってしまうと「ほら間違えた、ほんとにあんたはダメなんだから」と口に出してしまいます。

 やさしく「ミルクをこぼさないで」と言うと、「私はできる」という気持ちになり、「ほら、こぼす、こぼす」と言って、実際こぼしてしまうと「ほら、やっぱりこぼした」と言うと、「ダメな子」と言うイメージが先に入ってきてしまいます。 うるさく言えば言うほど、間違うものです。
 子供をプラスに見るか、マイナスに見るかはとても大切なことです。
「こうやるとうまくいくよ」「人は時々間違うものだ」「完全な人はいない」と言う人間らしい親だと、うるさく言わないから、子供もリラックスしています。
 交流分析「基本的構え」で詳しく説明しますが、「あなたはダメな子」=You‘re not OK.つまり、あなたはOKでない=ダメな子、不器用、物忘れが多いというイメージを親が子供に対して持つと、マイナスの考えにとらわれてしまいます。
 これを“マイナス思考”と言います。

 親にマイナスの気持ちがあると、マイナスのことになります。5つのメッセージが裏目に出るのです。親に「お前はダメな子ね」という気持ちがあると、マイナスのことになるのです。自分のことを「ダメ人間」と考える、劣等感が強い、自信がない親が多いようです。
 「あなたはOKでない」と言う構えから発信すると、脚本を強化するメッセージとなります。日本で一番多く使われるのは「頑張れ」と言う言葉で、あまり何度も言われると、子供は頑張れなくなるのです。
「ちゃんとしなさい」という言葉は、「完全であれ」と言うメッセージになります。
「急げ!」という言葉は、急ぎすぎて肝心なところで、失敗する(成功してはいけない)に結びついてしまいます。
「失敗しなさい」というメッセージを強めてしまうのです。
手ばかり洗う、確認する、片付けばかりして身動きが取れないなど、背後に強い攻撃性があるのです。「怒り」をないことにして押さえてきたのです。

 思春期は言われること、命令されることに対して、体ごと反抗し自分の自己主張をしたくなる時期です。「勉強しろ」と言うと、逆に勉強しない。「勉強しろ」というのを、ピタッとやめると、外部からのうるさい声がなくなり、子供が自分で考え始めるようになります。
静かに沈黙を守って待つ。
あたたかい心の通った会話をする。
子供の話をじっくり聴く。
話の腰を折らずに聴く。
一区切りついたら、「あなたは○○と思っているね」と言い、そこでやめること。
「そんなことでは社会に通用せんよ」「少しは感謝しなさい」「少しはママの言うことを聞きなさい」と言わないようにしましょう。

 しっかりと親が話を聞くと、子供は親の話を聞いてみようという気持ちになるのです。「ちゃんとしなさい」「早く早く」と何回も言うと、この子はダメな子と思っていることになるので、メッセージが裏目に出るのです。
思春期の子供は、しっかりした自分を作るために、反抗しないといけないのです。
親から見れば「自立」子供のほうから見ると「反抗」つまり、コインの裏と表なのです。思春期の反抗については、親の方が変わることが必要になってきます。
 「この子は自分の考え方、感じ方を持っている」と認めることが大切です。
 反抗は小出しにするほうがよいのです。子供は、いっぺんに「自立」という課題に直面させられると、どうしていいかわからず、拒食症になってしまうことがあります。

日本では、”気”という言葉がよく使われます。
瞬間的な心の働きを”気”と言います。
次のように駆り立てられる時、あなたの”気”はどう動くでしょうか?考えて見ましょう。
① もっと頑張れ!
・ 気が抜けない→→完全主義過ぎる
・ 気負いすぎる→→肝心なところで実力が出せない
・ 常に気を張っている

② ママをがっかりさせないで(ママを喜ばせよ)
・ 親の顔色を気にする→→気にすることのほうが多くなると対人恐怖症になりやすい。
親の評価が大事で、自分で考え判断することができなくて、親の顔色を見て、行動するので自分のない子供もが多い。 “よい子“には自分がなく、自分で考えられない
自分でしっかりと考えていく力をつけさせないといけない。
与えられたものを暗記するのではなく、自分でしっかり考え、正しいことを上手に主張できることが必要です
・ 親の評価がいつも気になる
・ 叱られると気が滅入る→→憂うつになる傾向があり、悪いほうへ悪いほうへ気が向く。

③ 何事もミスは許されない(完全であれ)
・ ミスを犯すと気が咎める
・ これでいいかと気にかかる(こだわる)
・ 完全でないと気が済まない

④ もっとテキパキと早くしなさい
・ 間に合うか気が気でない
・ 遅れないかと気をもむ
・ 気忙しく振舞う

許可する

 心理学では、禁止令に対して有効な解決方法が確立されているわけではありません。「気づき」が自己変容をもたらすといいますが、なかなか理論通りにはいきません。「許可する」ことも、禁止令にとらわれている人にとっては、難しい事ですが・・・。

「許可する」というのは禁止令に対抗する内言です。禁止令というのは脚本の中に存在し、自分への命令として言語的・非言語的に存在しています。「許可する」は言語的ですが、禁止令を弱める力があります。
「存在するな」に対しては、
  「そこにいるだけでいいんだよ。」、「あなたがいるだけでうれしいよ。」、「あなたのことをいつも見つめているよ。」、「あなたが存在していることには大きな意味があるんだよ。」などの「許可する」ことを、自分から自分に対してメッセージします。
 なぜならば、禁止令は自分が作ったものであり、自分で変えられるものだからです。他人から変えてもらうものではありません。
 12の禁止令にはそれぞれ対応する「許可する言葉」があります。本人が一番癒される、一番ピンと来るメッセージがその人にとっての「許可する言葉」です。一番簡単な作り方は「成功していいんだよ。」「重要人物であっていいんだよ。」「近づいていいんだよ。」などといった作り方です。「~していいんだよ。」という形にするだけです。

人生脚本

私たちの人格形成には、両親との関係がものすごく影響を与えています。  子供の頃に受けた「禁止令」が大人になっても、職場などの社会生活にいろいろな影響を与えます。

☆ なぜ次のようなことが起きるのでしょうか?
・ 試合前に練習をしすぎて、肝心な本番で疲労のため、実力を出せずに終わるスポーツ選手
・ 準備万端整えたはずなのに、試験会場で受験票を忘れたことに気づいてあわてる学生
・ 健康管理のためにジョギングを始めたのに、走りすぎて足を痛める人
・ 結婚して幸福になれると思ったのに、結局最後には離婚してしまう人
・ 子供に「勉強勉強」と一生懸命言って、高い月謝を払って塾にも行かせたのに、ちっとも勉強しないで、親の敷いたレールを行かず、いろいろな問題もたらし、親を嘆かせる人

 以上のように、大部分の人がなんでもなくこなしていくのに、肝心なところでこういうことになる人は、「脚本」を演じている可能性があります。
幸福になる条件を持っていながら、不幸な人生に終わる、それを何度も何度も繰り返すとしたら、そこに何らかのルールがあるといえます。それをコントロールする力があるのに、それを妨げるものがあるのです。
「脚本」とは無意識の人生計画で、子供時代に親の影響のもとで発達し、現在も進行中のプログラムをいい、人生の最も重要な面で、その行動を指図するものです。
例えば、入学、進学、就職、結婚、子育て、どんな死に方をするか、小さな頃のいろいろな体験が、現在の行動に強く影響しています。
「脚本」は親のCから出るもので、「出て行け」「頭の悪い子」「ろくでなし」「男の子だったらよかったのに」といった言葉や、冷たい目つき、ジェスチャーなど、本気で子供が、自分のことをいらない子供と受け取ってしまう、「禁止令」です。それは親が子供っぽくなったときに出てくる、幸福になるのを邪魔する命令です。


「総理大臣までした人が最後に刑務所は入ってしまう」、「飲酒運転はしてはいけないのに、なくならない」など、強い自己破壊的な行動を繰り返す、反復強迫があります。
 手を洗わないではいられない手洗い強迫、何度も確認して莫大な時間を費やす確認強迫など「そうしなくてはいられない」のです。
 自己破壊的、不幸になるように無意識に計画してしまう=無意識の人生計画を“人生脚本”といいます。
「勉強、勉強」と子供に強いたことが結局子供を勉強嫌いにさせ、大学も卒業せず、ぶらぶらしているといった例です。
“人生脚本”は、学校を選ぶ、就職、結婚、子育てなど人生の重要な局面で、その人の行動を指図するもので、マイナスマイナスのほうへ向かってしまうものです。

 例えば、心配性の親、過保護の親は、Aを通り抜けてCに入っているのです。
 子供が遅刻しないよう、先回りする、「自分のことは自分でしろ」といいながら、全部親が計画を立てて全部親がやってしまう過保護な親の下で育った子供は、親から離れられないのです。
 子供に「自立しなさい」といいながら、「私なしでは生きていけない」「私から離れてはいけない」「自立しちゃダメ」というメッセージを伝えているのです。そうすると、子供は「私は決して母から離れまい」という決心をし、「成長してはいけない」という禁止令になります。
 ギアをAに入れて、「何が原因でこんなに心配性なのか」「何が原因でこんなに怒りんぼなのか」と自分に問うてみましょう。
 人は何らかの形で”魔法にかかっている”といえます。”魔法”というのは、「あなたの自律性と自由を妨げている命令」で、子供の本当に生きる力を抑えて、知らないうちに牛耳ってしまうものです。
 極端な例かもしれませんが、大学生になっても電話で起こす母親、「新婚旅行どこへ行ったらいいか分からない」という子供に、行く先を決めて、挙句は旅行先までついていく母親がいるのも現実です。
 これは決して笑い話ではありません。
 「頭の悪い子」「ダメ人間」「不器用」「役立たず」など、「自分はこういう人間だ」と結論を下したのはいつですか?
友達、能力、遊び、容姿、成績などについて、誰の言葉が影響しましたか?どんな“呪い”の言葉を聞きましたか?

自問自答しましょう。
 禁止令はあなたの人生を知らないうちに支配するのです。親のCから子供のCへの言葉ではなく、行動や生き方で示すものです。
「あんな子と遊ぶな」
「休み時間に単語を覚えろ」
「親の言うことさえ聞いておけばよい」
「男の子が泣くんじゃないの」など、親から言われたことはありませんか?

1.禁止令の見つけ方
・もしも私が○○を経験しなかったら、このことは問題ではないだろう
・もしも私が○○を取り除くことができれば、このことは問題ではないだろう
例)もしもこれほどビクビクしなければ、私はうまくやれるのに
・問題があるときに、身体の中でどこに最もその辛さを強く感じますか?(不快感)
2.禁止令の下にいる私の年令を探る
・その身体の感覚にふさわしい年令を尋ねる
・何歳のとき、どんな状況でその禁止令を受け入れましたか?
・そのCに名前をつけて呼ぶことにしましょう
3.Cと Aとの対話を行う
・私は何才か?(現在の年令・・・・ギアをAに入れる)
・年令に相応しい私(A)、Cと対話する
・AとCとのつながりを維持し、支え、禁止令に変わる許可を与える
例)あなたは人生を楽しんでいいのです
  私があなたを守ってあげるから安心して人生を楽しみなさい。

自分がどんな禁止令の下に生きてきたのか、その禁止令を探しましょう。それは正当に幸福になってゆくのを妨げるものなのです。
「ないことにされた私」が心の奥にしまいこまれて、「いつもニコニコしていなければいけない」というように人の成長から見るとまったく変なことなのですから。
そのことに気づくことはとても大切なのです。

自分はどこを変えたいのだろうか。
自分の問題を具体的に明確にしましょう。
1) 悩みがありますか?幸せですか?
子供を叱りすぎる。子供にもう少し優しくしたい。自分の気持ちを出してみたい。
2) 何が解決すれば今より楽しくなりますか?
あなたがこの人生で一番欲しいものは何ですか?今の生活でもっとも望ましいことは?
3) 今の生活で最も苦痛なことは何ですか?
「あのことさえなかったら別の人間になっていただろう」と思うことがありますか?

次に自分の問題が解決した日には、どんな気分でしょうか?
例えば「子供に意地悪を言う」自分を変えたいという場合、変えることができた日を想像しましょう。
子供と和気あいあいと問題を話し合える日が来てとてもいい気持ちになる。
家の中が明るくなる。
自分の気持ちが穏やかになって、子供をやさしい目つきで見ることができるようになる。
子供の為においしいものを作るようになり、子供を褒めることが増えた。

自分が変わったことを想像しよう。
いい気持ちになると、新しい行動をとるとりやすくなるものです。なぜなら、感情が行動を牛耳っているのですから。そして、相手を「変えよう変えよう」としない。途中で話の腰を折ってしまわない、一区切りの相手の話を聞いて発言しよう。
相手に「言いたいことを十分話した」という気持ちを持たせることが大切なのです。
「でも」「そうじゃない」をやめて、相手に話させる。
相手の言うことを最後まで聞いて「あなたの言ってることは、○○ということなのね」「どういう意味で?」と聞きましょう。
例えば、自分が変わった日にもう少し優しい目つきでいるとすれば、今日から子供に優しい目つきをする。1つでも2つでも、少しでもやさしい言葉かけをすることを増やしましょう。
「お帰り」「お休み」などやさしく声かけしましょう。
子育て、夫婦のことで、自分の心の中を探ってみると、PとCの間の戦いがあることに気づくと、ほっとして肩の荷が下りる、すぐに解決しないけれど話すと気が楽になり、考える力が出てくるものです。
今まで嫌いだった自分が少し好きになると、よい方向(変化)が起きてくるのです。
「~しなければならない」「~すべきだ」の契約はほとんどうまくいかない、「私はダメだ」という気持ちを強めてしまうのです。
言えば言うほどやらない子、がみがみ言う私、ついついあせってしまう私、最後に決まって後悔する、怒り、嫉妬、後悔、心配性、憂うつなど明るくない、楽しくない気持ちにさせようとする私の中の力をラケット感情と言います。

コミュニケーションのいろいろ

①日常の挨拶
相補的コミュニケーションの簡単なもので、私たちは日常、次のような形式的なやりとりをしています。

A「おはようございます」
B「はい、おはようございます」、今日もいい天気ですね」
A「ええ、本当に。どちらまで?」
B「はい、ちょっとそこまで」
A「じゃあ、また」
B「はい、じゃあ、また」
 この種の挨拶は、余程のことがないかぎり、これ以上、お互いに深入りすることはありません。両人とも、表面では情報の交換を目ざしたやりとりをしていますが、それは形式だけのものと心得ています。
 相手が簡単な用事をすませにいくのではないと思っても、あえて、それ以上の質問をすることを控えます。ある意味では、この種の儀礼的な挨拶は、表面だけをつくろった不純な手続きと言えないことはありません。しかし、当人は直感的に、この儀式の枠から逸脱しないほうがよいことを感じ、また、そう努めるのです。
 最近、挨拶もろくにできない若者が増えたと言われます。これは家庭のしつけに欠陥があると言う前に、彼らの多くが「対人恐怖症」に悩んでいるからといわれています。挨拶といったきわめて能率的な相補的コミュニケーションを行うことに慣れていず、不安を感じているのです。前に述べた禁止令が関係しています。


②職場の上下関係
 私たちの職場は、演技的な相補的コミュニケーションによって成り立っています。

 書店の企業教育のコーナーには、以下のような項目をあげて、具体的な対処の仕方について述べてあります。
・上司の明らかな間違いを指摘する必要があるとき
・すぐに感情的に反応する上司に対する方法
 そこに書かれていることは「何らかの形で、意識のコントロールによる演技をすることが、自他にとって正しく、かつ賢明な方法である」と言うようなことです。相手の立場や役割を理解し、自分の立場や役割を意識して演じる必要があります。
 今まで述べてきた「インナーマネジメント」の考え方では、この基礎部分に「仕事に対する誠意」が必要であると繰り返し述べています。

 もともと、日本人は、「職場とは収入を得る場であると共に親しい仲間を得る場」という考え方を持っていて、「私生活の延長」であると考えていました。これが、職場での親しい人間関係になっていました。
 上司に対する「甘え」の意識が強く、個人的な相談もします。また、飲み会などの職場のイベントも「全員参加」が原則であり、また、「職場の活動に常に参画していたい」意識も強かったと思います。そのことが、戦後の日本型企業経営を支えてきたのですが、「バブル崩壊」を境に効率を優先するアメリカ型のマーケティング理論や「キャリア」とかの個人の自律を強調する風潮、さらに最近では「ヒルズ族」「勝ち組・負け組」といわれるような「マネーゲーム感覚の経営」がもてはやされるようになって来ました。「企業自体のモラル」「職場内のコミュニケーション」が崩壊してしまったのです。
 原因は、ほかにも「教育制度」とか「家族」の問題が言われていますが、いずれにせよ日本人の特質が変化してきたのだと憂慮しています。

③契約(ギブアンドテイク)
 欧米のように「自分を貫きたい」という個の概念が確立したところでは、ごく自然に受け入れられている原理です。

 夫婦の関係をうまく運ぶためには、お互いの納得事項を明確にせよとか、夫婦間の役割に関するルールを守れといったアドバイスがされています。
 契約は「取り引き」であり、アメリカでは、真相を追究する裁判でさえ「司法取引」「刑事免責」といった証言拒否が認められます。犯人と検察官は対等であり、真実を犠牲にしても、フェアプレイを守るためのルールに従って行動することが要求されます。こうした交換原理にもとづく取り引きや契約は、われわれ日本人には、なかなかなじめません。
 欧米における契約の概念は、人間関係においては、お互いの希望が100%満たされることは不可能であり、その生活原理に沿って、各人の自我の欲求に自ら限界を設けて、お互いの合意点を見出そうと努めるものです。つまり、自発的に自我をコントロールすることが、契約の本質なのです。
 なぜ、日本人は契約になじめないのか。これは「個の確立」と対立する概念である「甘え」に関連しているのではないでしょうか。


④暗黙の諒解
 世の中には、原因が判ったからと言って、直ちにそれを取り除いて、問題の解決に進むことができない場合が多くあります。こうしたときは、当事者とそれを助けようとする相手との間に、以心伝心といった形で、暗黙の妥協が成り立つことがあります。

  職場環境によるストレスに悩んでいる相手にカウンセラーとしてその身の上話を聞いても、自分ではどうしてもやれないという無力感と罪悪感を感じることがあります。相手も、カウンセラーの力の限界に対する不満を受入れて、それ以上、深入りせず、暗黙の諒解が成立します。
 これが成り立つと、それ以上心理的なことはふれあわなくても、その後、顔を合わせたとき「無言の言葉」を理解しあっているのだという、暖かい交流が持続するものです。
 クライアントは、自分の深刻な人生相談やそれに対する気持ちを自分が信頼するカウンセラーに判ってもらっているというだけで、実際にはどうにもならなくても、以前よりはずっと安定した心境になれることが多いのです。これは、フレンドリーサポート(友交的な支持)と呼ばれる心理的な技法で、クライアントの「真の友人」となるわけです。


⑤なれあい

  国会での対立やストなど「やってみせる、構えてみせる、論争してみせる」ことはしますが、しかし実際には見せるだけで、問題の核心に触れてそれを具体的にどうしようという行動は取りません。結局は泥仕合に終わり、それまでの対立関係が維持される結果に終わることになります。
 職場や家庭で、トラブルの源となる余計な話題はできる限り正面きって取り上げないほうがお互いのためによいと言った態度がそれです。
 職場での会議は多いが論争に発展することはなく、周囲を横目でうかがいながら会議のムードを壊さないようにします。「会議が多くてやりきれない」というのも、実際の議論が少なく気を使って疲れるだけという意味だと思います。


⑥遠回しに訴える(風刺的コミュニケーション)
 私たちは、不平不満を直接的に表現することをためらいます。これを言ったら相手から嫌われるのではないか、自分の立場が不利になるのではないかといろいろ考え込みます。とくに、過去に素直に気持ちを述べたら相手から責められたとか、誰かを傷つけたといった苦い体験を持つ人たちはなかなか直接的にものが言えないことがあります。

 職場で、次のような訴えが聞かれることがありませんか。
・「職場で話し合いの雰囲気がない」とみんなが感じているようです。
・「上司がボス的すぎる」と誰もが不満を抱いています。
・「○○課長は、女性に甘い」ともっぱらの噂です。
 この場合、もちろん当人が言うように、多くの社員にこの種の不平、不満があり、それを彼(彼女)が代表して述べているのかもしれませんが、それとなく確認してみると、「そうでもないですよ」という意見があったりします。  当人は、上司に対して「私の不満を拾い上げて欲しい」と遠まわしにほのめかしている可能性が強いのです。つまり、個人的な不平や不満が、一般的な問題に拡大された形で提示されるのです。

 ある会社の優秀な女子社員が、手がけた仕事の半ばで「やめさせてほしい」と、上司に申し出てきました。上司は、最初のうちは穏やかに慰留に努めていましたが、やがて「いまやめられたら、会社が困る」とか、「君は自分中心で、会社のことを考えていない」と、会社の打算的な部分を表に出して、あらかさまに彼女を責める態度をとりました。その結果、二人の間にこじれが生じ、やがて彼女は意を決して退職してしまいました。
 しかし、後日、彼女が会社の同僚に打ち明けたところによると、退職希望は彼女の本意ではなく、同僚となんとしてもうまが合わないので、考慮してもらいたい、また、いまの仕事に充実感がないので、将来、自分の能力が発揮できるポストに廻してほしい、と訴えたかったのだという。
 しかし、慰留しようとする上司の語調や態度の中に、「君はダメな奴だ」「あなたなんか迷惑な人間だ」といったニュアンスが感じられ、自分への価値観自体を傷つけられるのに耐えられなくて、真剣にやめることを考えるようになったとのことでした。
 一度入った職場をやめるということは、本人にとっても、会社にとっても、大きな問題です。それだけに、職場全体、とりわけ直接の上司に与える影響も少なくない。そこで、この点を暗に利用して、個人的な不満などを訴え、それらの改善を求める人がでてくるのです。

 上記の例だけでなく、以下のような真の訴えが潜んでいるのかもしれません。
・自分だけが、不当に多い仕事をさせられている。仕事をもっと平等に割り当ててもらいたい。
・女性としての生き方に迷っている。
・上司が、自分の業績をわがものにしてしまう。私は、腹が立っている。
・誰も、特別に私に注目してくれる人がいない。私も、皆から認められる存在になりたい。
など。
 こうした、隠れた意図に気づかずに対応すると、本人は自分の気持ちをわかってもらえないと感じ、かえって心を閉じてしまうのです。


⑦値引き(認知の歪みー肯定的なものの格下げ参照)
「相手を値引きする」場合と「自分を値引き」する場合があります。

 こちらが抱いている否定的な感情を、何らかの形で相手に伝達することを「値引き」と呼んでいます。相手を殴ったり罵倒すると言った直接的な行為も含まれますが、むしろ、皮肉、嘲笑、からかいなど、間接的な手段を用いて相手を傷つける場合が多いです。

A)相手、あるいは相手の問題を無視する
 挨拶をされても、知らん顔をしたり、会議の席で、相手の発言の直後に、それとぜんぜん異なる話題へと話を進めます。
B) 相手、あるいは相手の問題の重要性を無視する
 相談を受けても、「そのうちに考えておこう」といって引き伸ばします。
C)問題解決の可能性を否定する
「それができるくらいならやってみたまえ」など、皮肉に満ちたコメントなどを言います。
D)自分の側の関心や、問題解決能力を否定する
 この場合、当人は相手の問題にも気づいており、その解決も可能であると信じています。しかし、実際にそれを処理する段になると、自らの能力を値引き誰か他の人に肩代りさせようとします。
「私はもともとこんな性格ですから、いまさら変えろといわれても無理な話ですよ。むしろ、こんな仕事は○○さんにたのんでみては・・・。」といった逃げ口上を言って、深入りするのを拒むのです。

私たちはどこをどう値引いているのでしょうか?
 自分と他人の状況を「マイナスマイナス」のように考えるのを”値引き“と言いますが、マイナスのストロークが心を牛耳って、つまり”悪い私”が牛耳って、自分の中にある「いい面」を見ようとしないのです。
 例えば、「自分をOKでないとみなす人」「この子はダメだ」と部下の中に潜む力を認めようとしないといったように「他人の価値を重視しない人」、「お酒を飲んで運転しても大丈夫」と現実的な状況を無視する人、「あの人にはできるけれど、私にはできない」といった具合に自分と他人が混乱している人などです。
 誰の中にも問題解決の力はあるのに、「私はそんなことできません」と自分の力を無視してしまう、軽視してしまうことがあります。自分の中に変わってゆく力があるということを信じれば、必ず人は「変わる」ことができます。
 親は、「この子はだめな子なの」と、この子の中にすばらしい力があるのに、値引いてしまうのをやめましょう。
 行動は感情が規制するものです。自分の心を楽しい気持ちで満たすことは、大事なことです。
 部下のあらばかり探さずに、ほめることを始めましょう。必ずあるよい所を少しでもいいから褒めましょう。
 落ち込んだときは、ものすごく苦しい嫌なところにたっぷり浸りましょう。
 そして次に、3分から5分間、例えばハワイへ行って楽しい気持ちになることをうーんと味わい、空想しましょう。
嫌な気持ちになる、楽しい気持ちになる、これを繰り返すとくたびれた心を回復させることができます。
 ちょうどシャトルバスのように、苦しい場面と楽しい場面を心の中で行き来すると、ずいぶんと心は楽になるものです。
 人にとって睡眠は心と体を回復させてくれる大事なものです。心の疲労は「夢」が処理してくれます。夢は心の疲労を回復するためにあります。悪夢は心の問題が大きすぎると見るのです。
 レム睡眠といわれる、REMはrapid eye movementの略で眼球が左右に早く動く時心が回復するといわれています。 人はレム睡眠とノンレム睡眠を交互に繰り返しています。この方法を利用して、起きているときでも、少しの落ち込みには、「首をまっすぐにして眼球だけを左右に動かす」動作を繰り返すと、小さな悩みは解決するといわれます。試してみませんか?
「変わる」ことについて  人は変われる。よい方向にも悪い方向にも、人は変わるものです。人が変わるいろいろな条件を考えて見ましょう。
 例えば、肉親の死など重要な人が亡くなった時からしっかりするということがあります。更年期、牧師やお坊さんから説教を受けるとか、結婚して遠くに引っ越した場合、成人喘息が起きるが、実家へ帰ると発作が治まるなど、何かがきっかけになると「変わる」ということがあるのです。

 自分で変わろうとするとき、妨げるものは何でしょうか?
それが”禁止令”といわれるものです。
 小さい頃から親や養育者に「お前は何をやってもだめだ。「お前が男の子だったらよかったのに」「弟と比べてお前はダメだな」など非建設的なことを言われたり、またそういう目で見られたりすると、正常に幸福になっていくのを妨げられるのです。
 自分がどんな禁止令の下に生きてきたのか、その禁止令を探しましょう。それは正当に幸福になってゆくのを妨げるものなのです。
「交流分析」には次のような言葉があります。

「自分で気づいて、自分で自分を成長させてゆく」気づくことによって、人は変わる。
「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えることができる。」


 私の大好きな言葉です。この言葉に出会って、交流分析に興味を持ち、学びたいと思いました。

 生かされて生きる、いのちへの「気づき」が私たちの心を根底から安定させるものです。
 このいのちに対する感謝の気持ちがあれば、傲慢になったり、不安になったりする自分に対して、客観的に観察することができるようになり、自分の気持ち「想い」と向き合って素直に自分を認め、自分の力で成長することができるようになるのではないでしょうか。

コミュニケーションの裏側

コミュニケーションと「甘え」

 「甘える」という言葉は日本語に特有のものであり、日本の社会構造もこの心理を許容するように出来上がっています。
 小さい時、甘えたくても、甘えられなくて育った人は、人間関係に問題(トラブル)が生じやすいのです。
 歪んだ形(ひねくれる、すねる、食って掛かる、やけを起こす、こだわる、恨む)で、“甘え”を満たそうとします。特に“甘え”の足りない人は、“恨み”も強い傾向があります。コミュニケーションの裏側には、この甘えがあります。

「すまない」という言葉について
 日本では、謝罪と感謝の状況いずれの場合もこの言葉が使われるという特殊な事情があります。
英語では、”I am sorry.”というと謝罪の意味ですら、何か悪いことをしたのかと聞き返されます。
「ちょっとごめんなさい」という意味で「すみません」と言うことは日本人の癖になっていますが、外国人には理解できません。
「すまない」という言葉は、元来、動作や仕事が「済む」という場合の否定形ではないかと考えられます。やるべきことをやっていないから、「すまない」のであり、相手に迷惑をかけたことに対する侘びの気持ちが強く現れています。
 相手の親切を感謝するにも「すまない」という言葉を用いますが、親切な好意をする相手にとって若干の負担になり、迷惑をかけたと想像し、それは詫びないと相手が非礼と取りはしないか、その結果、相手の好意を失わないかと恐れるからです。そして、今後も末永く甘えさしてほしいと思うので、日本人は「すまない」という言葉をよく使うのです。
 はっきりと言わなくてもわかってくれるという日本独特のコミュニケーションであると言えます。

ホンネとタテマエ

 欧米人と日本人では、次のような心理的特性の違いがあります。
 欧米では集団と個が対立関係にありますから、人がなんと言おうと「私は好きなようにする」という生き方が歓迎されます。
 日本では「集団の中の自分」「みなからどう思われるか」「常識はずれではないか」「和を重視する」と考えて行くほうがうまくいきます。「私が○○する」という事は、なかなか難しいです。
 日本では「本音」と「建前」を使い分けることが大切です。こう言うと反発される方も多いと思いますが、ほんとの自分を隠して生活するストレスは計り知れないものであるからです。
 あなたは「割り切ることができますか」

①建前(タテマエ)と本音(ホンネ)の違い

タテマエとは ホンネとは
標準、方針、原則(広辞苑)
・本来的なこととして決まっている方針、原則の類
・人々が合意して決めたもの(覆されることもある)
・背後に建前において合意する集団が存在する
・「みなで決めたこと」「長い間してきたこと」は守ったほうがよい
・常識と深く関係する
本心から出た言葉〔広辞苑〕
・建前に合意するものの、それとは別に建前の背後で持っている思惑のこと
・建前についての各自それぞれの考え方
・建前があることで、初めてホンネが存在する

 たとえば、子供に「おまえの為だ」と言って勉強させますが、親は「自分が子供をよい学校に入れたい」「老後の安心」「自分の果たせぬ夢を子供に託す」という本音があります。

②タテマエとホンネの関係

表と裏〔表裏一体〕→コインのようなもの。
・一方なくしては、他方が存在することはありえません。〔相互補完的〕
・建前はオモテに現れます。(秩序)
・本音はウラに隠れます。(さまざまな動機)
・タテマエとホンネの区別は、必ずしも常に本人によって自覚されているとは限りません。
・タテマエとホンネと並べます。→日本人独特の考え方、感じ方です。
・西洋はタテマエとホンネを一つのペアとしては考えていません。パブリックとプライベートをはっきり区別します。

③心の健康とタテマエとホンネ

a.タテマエとホンネの自覚
・タテマエとホンネの二本立ては、精神のバランスを保つ上で非常に大きな役割を果たしています。
・タテマエとホンネがともに作動しないと、人間関係はぎくしゃくしたものになります。
・タテマエとホンネの区別がわからぬまま大きくなった人は、挫折に参ってしまいます。
・日本の社会で大人になる条件は、表と裏の区別がつけられるようになることです。(自分の中にある気持ちを整理できるようになること)
たとえば、「子供は時々憎らしくなり、いらないと思う」(ホンネ)
「子供を憎んでは行けない、自分を犠牲にして子供に尽くす」(タテマエ)
このように心の中には2つの気持ちがあることを自覚する必要があります。
  ×建前だけの人〔石部金吉〕
  ×本音だけの人(坊っちゃん)
b.タテマエとホンネのアンバランス
①タテマエを無視して行動する。(子供と同じ)
・モラトリアム人間→昔の人々が考えたことは全部いけないと否認し、自己実現を第一にする考え方です。
・モラトリアムⅡ世→本音中心で建前を無視する永遠の子供たち。自分の幸福・自己実現のみを大事にする傾向があります。
・今の若い人に「ラジカルで常識のない人」が増えています。
・みんなが決めたことは守るように教育していくべきではないか。
・タテマエ抜きでホンネだけで生きようとする人→坊っちゃん。
・タテマエを無視したことで手痛い打撃を受ける→プライバシーの侵害

②タテマエを通すだけの生き方(タテマエ一本槍)
・ホンネ抜きでタテマエさえ通せば、すべてうまく行くのでしょうか?
(例)PK(pastor`s kid) →牧師の子という言葉があります。
建前中心主義では子供は反発し、非行少年になる傾向があります。

③タテマエとホンネの区別がわからぬまま大人になる→裸の王様
・ウラがオモテに被われていない人
・言葉と心の区別がわからない→言葉の裏にある心が読めない人。
  拒食症過食症の子を持つ親に多い。
  親がタテマエだけで裏の心がわからない。
「甘え」はホンネとタテマエに密接に関係しています。

④大人とは、タテマエとホンネの区別がついて、両者が原則として共存することをわきまえている人です。
例)「ママの馬鹿」「ママなんか嫌い」という子供の言葉に対しても、「でも、ママはすきよ」といってあげましょう。
心の病は、タテマエとホンネが鋭く対立します。衝突から分裂が深刻になり、ばらばらな場面が互いに無関係に出現します。
頭の私は、「考えてこうあるべき」と思うが(建前)、心の私は、「でも、自分はこう言う気持ち」(本音)です。

④なぜ、日本人はホンネとタテマエの二本立てを設けたのか

 「甘え」の心理と深く関係します。「甘え」とは、「大事にされたい」「愛されたい」「愛してほしい」という欲求です。
「甘え」を満たすことは、幸福な生活のために必要です。「甘やかす」ことは大切なことです。強引にすねたり、ひねくれたりするのには、裏があります。「大事にして」という気持ちをわかってあげてください。
 欧米では本当は甘えたいのに「自立」と言いすぎます。日本の国民性であり、日本人の特徴なのです。「甘える」という自動詞はありません。強いて言えばdepend(依存)という単語です。

「甘え」とは、相手の好意を当てにすることですが、良い悪いではなく、人間の「needs」です。心地のよい心境です。
・愛されたいという欲求。相手に甘えて、一体となりたいと言う心境。
・日本人にとって甘えられることが一番の理想です。
・それに近づく為の努力が絶えずなされている。 → 人の和をはかることになります。
・甘えは大変いい気持ち。気持ちがいいだけに、甘えられないと、すぐ恨む(アンビバレンス)→愛と憎しみの両極性(両面性)があります。
・大人になると、甘えることが不可能になる → ウラとオモテの区別をする必要
内と外にどう対応するか?→内と外を分けましょう。
  1)内→甘えることが自然で、誰もそのことを怪しまない間柄です。
  2)外→ある約束のもとに、甘え的心情を持ち込むことが許される間柄です。

約束事=建前
3)タテマエとは、甘えに対する支えです。内と外との調整役。それを守っている限り他の人々の好意を当てにすることができる。その分だけ甘えが満たされる。建前と言う合意の元に人を結び付けるので、その限りにおいて甘えが働くことを許す。タテマエを守りながら、自分の甘えを満たす知恵を身につけましょう。

⑤家庭はタテマエとホンネをつなぐ結び目です

a.夫婦の和合
 互いの「違い」を認めて、本音と建前を上手に使い、何とか家庭を守ることは大切なこと“結婚”は忍耐です。人には、「何々すべき」という「べきの心」と「本当の気持ち」の2つがあります。バランスのとれた本当の大人は、本音と建前が融合するのが理想と言えます。
・家では本音を出せることは大切です。
・「いじめられても、家で支えられる」と心は働きます。
・家が「安心の源」になることが大切です。
・「嫌だ」という子供に「嫌だったね」とよく聞いてあげることです。
・「先生の中には未熟な人もいるけど、学校では言わないほうがよい」とアドバイスします。

b.夫婦の不和 → 離婚  
・夫(妻)がもっぱらタテマエを主張し、妻(夫)がもっぱらホンネを主張する。
・一方がタテマエを代表し、他方がホンネを代表する→分極化→離婚にいたる。
・子供は自らのなかにタテマエとホンネのけじめをつける事を学ぶ機会を奪われてしまう。

認知の歪み

人から聞いた言葉を、どのように受け取るか、どう判断するか、評価・解釈するかということを「認知」といいます。このものの受け取り方は、その人の状態によって変わります。

 言葉の受け取り方(思い込み=認知)によって、自分のストレスが大きくなるか、小さくなるか。ストレスが大きい人、いやな感じを受ける方は、“認知”が歪んでいるのではないかと考えてみませんか。
たとえば、「子供が不登校になった」場合、親が子供に対してどう考えるかですが、
  マイナス思考→ワー大変だ、私の子供の人生は終わった、私の育て方が悪かった。
  プラス思考→学校へ行きたくないこともある。人生この位のことも必要だ。子供は回り道をしていろいろ考えるものだ。

 そのときの自分の状態によって、感じ方が変わります。

認知の歪みの種類

①二者択一思考(白黒思考)(1-0思考)②過度の一般化(いつも・・・と言う人)
物事をあれか、これか、白か黒かに解釈する
有能か無能か、成功か失敗か、極端な2つのカテゴリーで物事を見る
よい人、悪い人……学校へ行く子は「よい子」、行かない子は「悪い子」
          勉強する子は「よい子」、しない子は「悪い子」
          仕事をする人は「よい人」しない人は「ダメな人」
ある否定的事象を拡大・一般化すること
たった一度の嫌な出来事から、それが何度も繰り返し起こるだろうと、勝手に結論する
  「いつも失敗ばかりしている」「これからもどうせ失敗するだろう」
  いつも遅刻するんです、いつも他人に利用されてしまう
  「あの子はいつも・・・だから」が口癖
③心のフィルター(精神的フィルター) ④過大評価or過小評価
・ほんの小さなことで全体を見てしまう、木を見て森を見ない
・選択的抽出→フィルターにかけて、良いものはすべて流して、悪い面だけ抽出する。
彼のすべてが嫌になった。
よくないことを思い出して、そればかり考える。
「何をやっても駄目」「どうせ失敗する」とマイナスの面だけ数えあげる。
“うつ病”の人は、状況の否定的側面だけ選び出して、肯定的側面を排除する。
たくさんよい面を持っている子供に、「成績が悪い」ことだけで、「全部駄目な子」という考え方をする。
失敗や困難を誇張したり、肯定的なものを過小に見積もる。
悪い方へ悪い方へ考える。
よい出来事を無視して、「まぐれ」「たまたま」と考える。
自分の能力を極度に低く考える。
大した失敗ではないのに、“大失敗”と言う。
“死ぬほどつらい”
ミス、恐れ、不完全に必要以上に注目する。
破局の予想……「ひきこもり」の子供に対し、「もうこの子は駄目、もう人生終わった、一緒に死のう」と考える親。
「長所」を“とるに足らぬ”という捕らえ方をする。
正しい状況を一人よがりで結論付けてしまう。
小さいことを「大変なことが起きた」と大きく判断してしまう。
⑤べき思考「べき思考」のセルフ・コントロール
完全主義で心身症の人に多い。「しなければならない」「してはならない」基づいて何かを達成しようとする考え方。
人に嫌われてはならない、仕事はいつも完全にしなければならない。
べき主義を人(夫や子供)に向けると自分が腹が立ち、フラストレーショを感じる。
べき主義を自分に向けると、自己嫌悪、恥、罪悪感を感じる。
「やったか?」と繰り返し聞く親に対し、子供は引き延ばして相手をいらいらさせる(消極的敵意)。「人は間違いをするものだ」と考えましょう。人に何かをしてあげたとき、相手に感謝されなくてもともとと考えると、ずいぶん気が楽です。

①過度に自己を非難していることに気づきましょう。「自分をコントロールできない」という思い込みの背後に「べき思考」があります。
(例)減量すべきである、煙草を止めるべきであるなど
a)誰がそうすべきだ、と言ったのか?どこにそう書いてあるのか?
誰が、減量すべきだといったのですか。どの程度が良いといったのですか。
b)「べき思考」に従う長所と短所は何か?
c)「そうしたからって世の終わりじゃない」「そうしたのは当然だったのだ」といってみることも大切です。
d)済んだことで自分をいじめることをやめましょう。責めてもなんの役に立ちません。繰り返さないためにどうすればよいかをを考えればよいのです。
e)罰より報酬で自信を増していく

☆「べき思考」の人は自分に難癖をつける傾向があります。「私って何をやってもダメね」とか、「わたしはいつもこうなんだから」と呟いている自分がいます。この物の見方が抜けないと自己嫌悪、罪悪感、後悔になってしまいます。
☆子供にマイナスのことばかり言って、後で、「私はダメな親だ」と後悔する親は、ゲームをしていることに気づきましょう。私は、自分に難癖をつけて、自分をいじめているゲームをしているので、それをやめようと決断するのです。
☆罪悪感を喜びに変えていきましょう。いい気持ちになるといい感情、考えがでてくるものです。たとえば、やせた自分を想像して、空想の中でうーんと良い気持ちに浸ってみましよう。
☆小さな感動体験を数え上げてみるとプラス思考になります。「今までで最も楽しかったこと、感動したこと、うれしかったこと」などを書き出してみるのです。
☆気分を変えると、考えが変わります。結末がまずかったら、それはゲームをしていると気づきましょう。「感情は行動を支配する。」という言葉があります。考えを柔軟にすれば、行動に影響を与えます。
②「べき思考」が沸いてくる度に数えます。
1日の合計に基づいて報酬を決めるます。これまでに、過度に満たされ、自己コントロールできていた時期があったか、調べてみます。そのときは、「べき思考」が働いていたか?と考えると働いていないことが多いのです。
③「べき思考」と「自己非難」を具体的に書き出し、大声で読む、テープに入れて聞くと良い。
⑥結論の飛躍(恣意的、独断的推論)⑦感情的論法
証拠、反証がないのに、悲観的結論を一足飛びに出す。心の読みすぎ
たとえば、居眠り学生、挨拶しない友人、口をきかない主人に対して、“見下している”、”馬鹿にしている“と捕らえる。
先取りの誤り
たとえば、早合点、“うつは一生続く”、拒絶・失敗するかもしれない。
 感情が高まってくると、それに基づいて結論付けて、それが正しいと思ってしまう。
・感情論→虫が好かないから、あいつは悪いやつだ
・情緒的推論→罪悪感→悪いことをしたに違いない
           絶望→解決不可能だ
           やる気がない→ベッドに横たわるしかない
・感情的決め付け→決断の引き延ばし
      片付ける気にならない→整理は不可能と引き延ばす
・情緒的理由付け→私は不適格な気がする、だから私は価値のない人間に違いない。 
⑧肯定的なものの格下げ (格下げ、ポジィティブな側面の否認、価値の切り下げ)⑨レッテル貼り(小さなことで全体をレッテル貼ってしまう)
あの位のことができるのは当たり前、大したことない。
よい出来事を無視する、悪い出来事にすりかえる。
運が良かっただけ、どうしようもない人間、「これはまぐれだ」「やっぱりそうなんだ」。
肯定的な経験を無意味なものとして主張して拒絶する
たとえば、子供がテストで95点取ってきた場合、
×「95点は当たり前」「100点ぐらい取らないと、」「1回ぐらい100点じゃ駄目」「何回もとらないと、」
誉めてあげましょう。
自己や他者に否定的なレッテルを貼ってしまう。
私はダメ人間だ→「自分にもいい所がある」という面を見ようとしない。
完全にネガティブな自己像を作り出す。
「役立たず」「人生の落伍者」「ろくでなし」「グズ」「のろま」「不器用」
人の価値はその人の犯す間違いによって決まる。
極端な形の「過度の一般化」
1人相撲のゲームをしてしまう
「私って奴は、」など自己破壊的に言う場合はレッテル貼りです。
⑩自己関係づけ(自己帰因説、個人化、責任の個人化など自分を責める傾向)
根拠がないのに外的出来事(よくない出来事を)自分自身に関係付ける
「みんな私が悪いのです」(罪の意識を感じる)
「子供の成績が悪い」(私はダメな母親です)
他人の事まで、自分の責任にする(自己犠牲的)(マゾキズム)
会社の倒産は自分のせいだ
子育てに関して、「私が悪いから」と一方的に自分を責める
「しっかりしなければいけない」と考えてしまうときは、歪みのタイプは、「べき思考」と考えましょう。
「しゃんとする時もルーズにする時もあるこれが人間だ」と考えましょう。
「拒食症になったり、痩せは美しい・デブは醜い」と考えてしまうときは、歪みのタイプは、「過度の一般化」と考えましょう。
「太った人もきれいな人はいる。太った人も活躍している人はいる」と考えましょう。
「不登校、学校へ行かない子はダメな子」と考えてしまうときは、歪みのタイプは、「二者択一思考・白黒思考」と考えましょう。
「学校へ行きたくないこともある。人生回り道も必要。学校へ行っても行かなくてもかけがえのない存在」と考えましょう。

ゲーム

交流分析でゲームというのは、日常生活、職場、あるいは家庭生活などいろいろな場面で繰り返される人間関係の悪循環のようなものです。

 マイナスのストロークの交換が習慣になったのがGameです。そして、莫大な時間とエネルギーを費やしてもよい結果が得られないのです。

●ドラマ三角形ゲーム●おろかもの(はいでも)ゲーム
ゲームを演じる人は、それぞれ、下記のような役割を果たします。
 迫害者:排他的で、相手を見下したり、ミスを正そうとする役割。
 犠牲者:他者の助けを誘うような無力さが特徴で、三者のうち最も強力な役割。
 救済者:相手の自立・自助を損ない、依存心を高める役割。
 ふつう、ゲームを演じる人は、これらの三つの役割を交替しながらストロークを交換します。
 たとえば、母親を罵倒している息子がいるとします。
 この場合、母親は被害者で息子は迫害者です。
 母親は、父親に助けを求めます。この時、父親は救済者としてかけつけます。
 父親は息子に対して最初は物静かに注意をしていますが、息子の口答えのひどさやふてくされた態度に、とうとう我慢が限度に達し、息子を怒鳴ったり、なぐったりしてしまいます。その時点で、それまで迫害者だった息子が今度は被害者になり、救済者だった父親が迫害者に変わることになります。
 さらに母親が「お父さん、そんなに太郎を怒らないでー。もういいから。」などと言いだすと、訳がわからない状態になります。
 いつの間にか母親は救済者の立場を演じているからです。
 このように、迫害者が救援者になり、救援者が迫害者に変わり、迫害者が犠牲者になるような状態をドラマ三角形と呼んだりします。
 皆さんにも思い当たる経験があるのではないでしょうか。
 よく、家庭内での暴力や虐待、非社会的な犯罪を犯す人たちは、このストロークのやりとりに問題がある人たちの生き方なのです。とくに、人はストロークの欠如した状態になると、ゲームを演じることが多くなり、一見奇怪な行動をとることがあるのです。
息子「お父さん、僕はバカなんだよ」
父親「お前はバカじゃないよ」
息子「イヤ、僕はバカだよ」
父親「お前はバカじゃないよ。この前の学芸会では、お前はとても上手だったじゃないか。先生はお前がグループの中で一番頭がいい子の一人だと思ってるんだよ。」
息子「先生がそう思っていたって、お父さんはどうしてわかるの?」
父親「先生がそう言っていたもん」
息子「でも、先生はどうして僕の事をトンマなんて呼ぶんだい?」
父親「あれは、お前をからかっているんだよ」
息子「僕はバカだよ、自分でもよくわかってるんだ。僕の学校の成績を見てごらん」
父親「もう少し頑張ればできるようになるんだってば」
息子「僕は、もう何度も頑張ってみたよ。でもダメさ。お父さんの子だから、僕の頭は悪いんだ」
父親「お前の頭は悪くなんかないよ。お父さんにはわかってるんだ」
息子「お父さんが何て言ったって、僕はバカなのさ」
父親(大声で)「お前はバカじゃないよ」
息子「いや、僕はバカだよ」
父親「お前はバカじゃないよ。何度言ったらわかるんだ。このバカ!」

 交流分析では、さまざまな反復的な交流のなかで、次の公式にあてはまるものをゲームと呼びます。

Con + Gimmick = Response → Switch → Cross-up → Pay-off
(仕掛け) (よわみ) (反応)   (交叉的交流) (混乱)   (報酬・結末)
 まず、仕掛人は隠れた動機を持って、ゲームにひっかかってくる相手を捜し求めます。その結果、弱点を持つ相手がわなにかかって反応を示すと、ゲームが進行しはじめるのです。
 しばらく時間が経過すると、次に交流の過程に何らかの転換が生じます。
 これは、通常、行き違い、対立といった交流の交叉の形であらわれ、両者の関係に混乱をもたらします。最後にゲームは、思いがけない結末をもって幕を閉じます。
 この時点で、客観的には仕掛人の動機は明白になり、その正体が暴露されるのですが、多くの場合、当事者たちは、不快な感情を味わうだけで、その意味に気づかないままで終わります。

 上記の例のように、家庭内暴力によくみられる「はい、でも」(水かけ論)のゲームでは、青年はまず親に対して質問したり、問題を提起したりします。親はこの誘いにひっかかって、こまかな説明を与えたり、「・・・したらどうか」といった類の解決法を示したりします。すると青年は「はい、でも・・・」と反論しながら、相手の意見や提案をことごとく退けたあと、自分はその程度のことはしっているなどと、親を軽蔑します。
 この種のやりとりが長々と続きます。
 多くの場合、親はついに当惑し、沈黙します。時には、いらいらが昂じて、わが子に思わぬ雑言を浴びせてしまいます。しかし、これが青年の思うつぼなのです。青年はその時点で勝利を収めることになります。彼は、親の○Cを欲求不満に陥れたり、失言を取り消して謝罪させるなど、本来の目的を達成するのです。
この種のゲームを演じる青年は、裏面で「私はどんなことがあっても、自分の考えを曲げない」、あるいは「私を変えようと思うなら、やってみるがよい。絶対に親のいうとおりにはならないから」といった態度で、自分の立場を守ろうとします。こういう人は、幼少時からすべてに答えを与えようとした干渉的な親に、互いの交流をこじらせ、混乱させるという形で反抗しているのです。

ゲームの処理の方法としては、
 (1)非生産的な交流に多くの時間を費やさない
 (2)結末でくりかえし味わう不快感に気づき、それに長く浸らない

など、反応態度を変える必要があります。

悪い私と良い私

誰の中にも「悪い私」と「良い私」がいることに気づきましょう。普通、心の調子が悪いと体の調子も悪い、逆に体の調子が悪いと心の調子が悪くなります。

悪い私―刹那的に瞬間的に出てくる良い私
・ああ、もうダメだ(どうしようもない自分)
・お前は情けない人間だな
・何で自分がそこまでしなきゃならないんだ
・いちいち干渉するな
・あまり調子に乗るな。ほーら、見ろ、また失敗するぞ
・どうせ長続きするわけないじゃないか
・親の言うとおりにはならないぞ
・もう死んだら(自殺を考える私の心の声)
・そんなに喜んでいいのか?(愉しむことはいけないんだ)
・少しでも気を緩めると、徹底的にやっつけるぞ
自己否定、自己嫌悪、自分をいじめる、自己破壊など、自分を大事にしない気持ちに気をつけましょう。
思春期の女性に多いのが、「ヤセは美しい」という声を聞くと、体の管理より、過食症、拒食症になってしまう例です。
また、最近多いのが、飲酒運転です。「酒を飲んだら運転するな、運転するなら、酒を飲むな」という至極当たり前のことが実行されない例です。
心が不健康な場合、「アタマの私」と「カラダの私」がはっきり線がついていて、コミュニケーションが取れないのです。
意外に、感覚中心で、カラダの私の声を聞いてしまうのです。
アタマの私は理性で考えて言葉をよく使うのに対して、カラダの私は感覚中心で体そのものです。
良い私と悪い私が、十分内部対話して、不安や空しさ、怒りが主導権を握っている。
悪い私を良い私が抑えてコントロールすることができると、健康な心になったといえるのです。
うんと可愛がられた、喜びの気持ちをうんと感じ「愛されている」「楽しい」と思い、大事にされた、よい意味で褒められた経験が多いと「良い私」を持ちやすいといわれます。
自分の中で次のようにつぶやく声がありませんか?
・ 我慢してよかった
・ この幸せを壊してなるものか
・ 何とかしよう(困った時、死ぬことを考えず、何とかしようと考える)
・ 「悪い私」に勝つことはいい気持ちだ
・ 「悪い私」のそそのかしは、聞き流せばいいのだ(コントロールしよう)
・ 私だってできるじゃないかという自己肯定の感情
・ 親に感謝しよう(憎らしいけれど、生んでくれて、殺さないでここまで育ててくれたと考える
・ 私は周りの人に恵まれている(やっかみから解放されている)
・ 「悪い私」に対して、お前は間違っている、あっちへ行け
・ 他人は他人、私は私

「私は生きる価値がある」「私は愛されている」「やればできる」といった健康なイメージ(自己像)を持つことができる“自己肯定感情”(自尊感情)を持つことはとても大切なことです。誰の中にも「前向きな建設的な自分」がいる。潜在的な前向きのプラスの建設的な力をどんどん使っていきましょう。
悪い私の感覚良い私の感覚
・ 何か責められているような気持ち
・ 泥沼に落ち込んだよう
・ いつも不安(一日中強い不安があるのなら、悪い私が強いということ)
・ むなしい気持ちに駆られる
・ 自分の思いが通らないと、カッとなる(キレる)
・ いろいろな悪知恵がポンポン出てくる
・ ブレーキが効かない
・ 止め処もなく拡がる不快な気持ち
・ やさしくなることは、自分が崩れる感じ
・ ここぞとばかり、揺さぶりをかけてくるなど
・ 肩の荷を降ろしたような安堵感
・ 自然な明るさ
・ 自分をいとおしく思う
・ 気持ちが優しくなる
・ 物事をはっきり判断できる
・ さわやか、ほのぼのした感じ
・ 私の中に「よい私」と「悪い私」つまり「2人の私」がいると分かると安心感が持てる
・ 体が軽くなる感じ
・ 落ち着いた自信
・ 素直になれた感じ
悪い私の特徴良い私の特徴
・ 犯罪を犯すことは悪いなど、価値観を含むものではない
・ 自分の中で、自分をそそのかしたり、脅かしたりするもの
・ 自己破壊的で、自分を必要以上に苦しめたり、悩ませたりする
・ いつも何かに責任を転嫁する(~のせい)
・ 自然な体の声を聞こうとしない(「ヤセは美しい」というCMの影響を受け、生理が止まるまでやせる、仕事中毒」
・ わずかなきっかけを見つけて自分の心が脅しをかけてくる
・ 身体的不調につけ込んでくる(疲れたとき悪い私が主導権を握り、意地悪になる)
・ 思い込みが強い(妄想的)
・ 自己評価が下がっている
・ 悪いのは自分の一部、全体ではない(よい私が戦っているのに、悪い私が勝って主導権を握ってしまっている状態)
・ 品行方正など、価値観に基づくものではない、道徳的なものではない、
・ 本来の自分(人間らしい自分、こうなりたいという理想の自分)
・ 無理のない自然な私
・ 自分をいい方向へ引っ張っていく
・ 自分の中の{悪い私」の存在を指摘できる
・ 感情を言葉で表現できる(寂しい、腹が立つ、悔しいという感情を言葉で表すことができるようになることは、健康な道が開けてくるということ)
・ 治る(よくなる)為に、自主的に努力する
・ 「悪い私」にはっきりノーと言う
・ 不安を自らコントロールできる
・ 自己評価が上昇している