ふれあいの心理学

「あなたが今までの人生で最もうれしかったことはなんですか」
 突然の質問ですが、その時の場面を想像してみてください。
 その時、あなたの顔の表情はどうですか。きっと満面の微笑で「やった!!」といっているかもしれませんね。
 その時、あなたの周りに人はいませんか。その人も一緒に喜んでいませんか。自分が信頼できる人、愛している人、尊敬できる人、仲間とともに喜んでいる自分がいませんか。
 その場面には、喜んでいる自分の周りに、その感情を「共感」している仲間の笑顔があるはずです。つまり、人はひとりで生きているのではなく、その喜び、感動は、人と人の共感のなかに生まれる ものなのです。

「人は人によって支えられている」といいますが、人生の喜びとは、この「人と人との共感」のことではないでしょうか。この感動体験の経験、繰り返しが人の感情の幅を広げて豊かにし、人を成長させます。人に共感する能力も、この感動体験によって鍛えられていきます。

「人は感動するために生まれてきたのです。」
 次の言葉が、今回のテーマです。
 人と人のふれあいが、私たちの人生を支えています。
 人間が生きていくためのもとの力となるもの、生命にとって最も大切なものは「ふれあい」だと思います。
 人は「ふれあい」を求めるために生きているのです。
 コミュニケーションという言葉を、私は「人と人のふれあい」と定義したいと思います。

 単なる対話ではなく、お互いの時間を共有し、ふれあい、理解しあうことが、コミュニケーションの目的であり、私たちの人生に感動を与え、生きる力を与えてくれるものだと思います。

「喜びを人に話すとその喜びは倍になり、悲しみを話すとその悲しみは半分になります。」
 人はコミュニケーションによって心の安定を得ているのです。自分の喜びや感動を話す人がいない、誰も理解してくれない、共感してくれないということでは、さびしい人生になってしまいます。
 人材育成のためのセミナーでこのような話を始めますと、嫌な顔をする人がいます。「考える」こと自体を嫌がる人がいます。

 人は信用できない。別にあなたに言いたくもないし、聞きたくもない。私のことはほっといてほしい。
 このような感情がその人の顔の表情に表れて、講師の私に訴えてきます。少人数の講座でも、何百人のセミナーでも、数人の人が同じような反応を示します。
 その講師の印象が悪いのか、「自分の言っていることに反感を持っているな」と講師は不思議とわかります。
皆さんは、人の話を聞きながら「私の苦しみは、誰も解ってくれない。もっともらしい話をするな。自分をバカにしている。無視されている。今の自分は、それどころではない。」など感じたことはありませんか。
 なぜ、自分はそう思うのか。なぜ、自分はその人を信用しないのか。なぜ聞きたくないのか。考えたことはありますか。自分の心の中に、本当は「何かを求めている自分、助けを求めている自分」はいませんでしたか。

 少し難しい話で申し訳ないですが、もう少し続けさせてください。

≪この文章は、私がセミナーでよく話す内容です。
人にとって最も大切なスキルであるコミュニケーションの大切さを話すために、導入部分でよく話します。 そのために、『自分に気づく』必要があります。自分の内面を見つめ、自分は何を求めているのかを常に考え続けることが必要となってきます。
心理学についていろいろと話をしてみたいと思っています。≫

やる気の心理学

日本アドラー心理学会のホームページより

”わたし”があなたの人生を生きるのでもなく、”あなた”がわたしの人生を生きるのでもない。
”わたし”が私の人生を生きる。
”あなた”があなたの人生を生きる。

 あなたの人生はあなたが生きていいのですよ。
 あなたの課題はあなたが解いていいのですよ。
 あなたの課題を他人に解かせようとしたり、他人の課題を無断で解こうとしたりしてはいませんか?
協力を考える時に、相手に協力させようとするのではなく、あなたが協力できることについて考えてみませんか?

「やる気」とは、積極性とか、自発性とか、生きる力とかだと思いますが、アドラー心理学では、少しニュアンスが変ですが、“勇気”(カレッジ)と言っています。
 人間は潜在的にやる気があります。
 やる気をださせるとは、相手を勇気づけることです。

 人は、潜在的に働くのが好きで、潜在的に勤勉で、潜在的に勉強が好きなのです。だから放っておくと、かなりよく働くものなのです。

≪人間の本質は、善であるという考え方です。自分で成長していこうとする傾向を持っていると考えています。社会、職場だけでなく、子供に対してもこの考え方は通用します。≫

 会社に入ったばかりの新入社員の目は、キラキラ輝いています。それが何ヶ月かすると、やる気があるのかと叱られています。それは、「やる気」がなくなったのではなくて、それをうまく引き出してやることができなかった。 もっと正確に言うと、引き出さないように働きかけるような、心理学的に言いますと「勇気くじき」をした結果なのだと思います。
 今の若い人たちにやる気がないとしたら、それは子供の頃からの長い体験で、「勇気くじき」を繰り返し繰り返し、たくさんやってこられたからだと思います。だから、やる気をださせるとか、やる気をもたせるという問題ではなく、いかに本来もっているやる気を、うまく導き出すかということだろうと思うのです。

 会社で、部下が失敗をしたり、問題を起こしたり、言う事を聞かなくても、「自分の指導の仕方が悪かった。管理能力がない。」などと自分を責める必要はありません。
 要するに、部下の能力、性格が悪かっただけですから。(笑)
 部下の行動や性格を、上司が自由自在に変えられると思わないほうが良いのです。
まず、部下が失敗したら、「ああ、この子はバカなんだ」とまず思うこと。
すると楽になります。
それで大切なことは、そのおバカさんをどう援助するかということです。
過ぎ去った失敗を反省するのではなくて、自分の対応の仕方を変えることできっと部下は変わっていく。すぐには変わらないけれども、少しずつ必ず変わっていきます。

≪子供の行動や性格、子供の人生を親が自由に変えられると思わないほうが良いのです。≫

理想の部下はいません

理想の部下-現実の部下=欠点

会社にとって、上司である自分にとって理想の部下から、現実の部下を引くと、欠点ばかりが見えてしまいます。 上司が思っている理想の部下は、どこにもいつまでたってもいません。いるのは現実のこの部下だけです。

自分の好みをまず捨てる。
上司がそれを好きだから、嫌いだからと言うことで部下を評価して、「それはいけない」「それをやめなさい」「はやくしなさい」と言わないでください。
判断の仕方を変えましょう。
部下を育てるということは、会社に迷惑をかけない一人前の社員になってもらう。さらに、会社の役に立つ社員になるのが目標です。だから、上司は新入社員には、「人に迷惑をかけないで、会社の役に立つ」ということを絶えず教えなければなりません。
 迷惑をかけないことと、バカと言われたり、能力がないと悪く評価されることとは違います。つまり、人に迷惑をかけなければ、悪く言われても良いのです。
 人から「お前はバカだ」と言われて、自分の知能指数が下がることは決してありません。逆に「あなたは頭がいい」と言われても、自分の知能指数は上がりません。自分の本質は、他人の評価で変わることはないのです。
 この考え方は、人を育てる基本的な法則です。

マイナスの言葉かけをやめる

 部下が臆病になって「やる気」を失う原因は、人が自分のことをどう思っているかを気にすることです。上司の視線ばかりを気にしています。
上司が自分のことをどう思うかなんて気にしなくていいのです。自分が正しいと思う事をすればよいし、自分が会社の役に立てるようにと考えて行動すればよいのです。
上司は、自分の価値観(要するに好き嫌い)を部下に押し付けないでください。そうすれば、部下にプラスの言葉をかけることができるようになります。
「それはいけない」「それをやめなさい」「はやくしなさい」というマイナスの言葉かけを続けるとどうなるでしょうか。
 最初に毒ガスの元栓を締めること。
やる気を育てるためには、まずやる気をくじく言葉かけをやめて下さい。悪い言葉をかけるくらいだったら、何も言葉をかけないほうがよいかもしれません。うるさく言わずに、ちょっと離れてまず観察してみる。だいだい、ひまな上司ほど、部下の仕事に口を出します。
その上司の口ぐせは「忙しい、忙しい。」(笑)

勇気づける

 部下を叱ることはよくありません。悪い行動を叱ることは、ほとんど上司の価値観から出たものですから、悪い行動を減らそうと思わないことです。それよりも、いい行動を増やそうと考えてみてください。
いい行動をしていると、当然悪い行動をしている時間が減っていきます。

 人間は、いい言葉をかけられだり、承認されたり、受け入れられたり、ほめられたりすることが大好きです。 だから、人から認められたいとか尊敬されたいと思います。
 それがたまたまダメになったとします。「どうも自分は人から受け入れられない、認められない、尊敬されない」と思うと、それはそれでいいやと割り切れるかというと、絶対に割り切れないものなのです。
 それだったら、叱られようとか、拒否されようとか、軽蔑されようと思うのです。
 悪いものでもいいから、みんなと関係あるほうが、ぜんぜん関係ないよりいいと感じるのです。
無視されるより、嫌がられるほうがまだましと考えてしまいます。
(交流分析マイナスのストローク)

 では、どうすればよいかと言うと、部下を勇気づけるのです。
 ほめることではありません。
 ほめられて仕事をすると、上司にほめられるために仕事をするようになります。叱られないために仕事をするよりはましかもしれませんが、自分のために仕事をするのではないのですから、本当の「やる気」とは違います。
 勇気づけるとは、難しい技術ですが、次の二つの言葉を使ってください。
 それは、「ありがとう」と「うれしい」という言葉です。

部下が仕事を取って帰ってきた時、
「いい仕事をしたね。ありがとう。」と言えますか。
「いい仕事をしたね。私もうれしいよ。」    →「承認」のIメッセージ
「きみがうれしそうだから、わたしもうれしいよ。」

 部下のプラスの部分に注目し、部下にプラスの言葉をかけて勇気づけれるようになると、初めて上司と部下は本当に対等の関係になり、本当に協力できるようになります。

 あなたの存在が、会社の役に立っています。
 ありがとう。

 これをコーチングでは、存在の承認と言います。

優しい目で叱る

 ある有名な方ですが、高校生の時は相当の悪で、いつも悪さをしては親に叱られていたのですが、当時の担任の先生は優しい方で、その先生だけは彼を決して叱らず、本人も好きだったそうです。
 ある時、授業をサボって学校を抜け出そうとした時、生活指導の教師に見つかり、職員室に連れて行かれたそうです。

 以前から常習犯であり、今度こそは停学になるだろうと本人も覚悟を決めていました。ただ、担任の先生に迷惑をかけることだけが、気にかかっていました。
 その生活指導の教師は、日頃から担任のあまい態度に批判的でしたから、職員室にいた担任の先生の前に連れていき、「あなたの指導が甘すぎるから・・・。」と言いかけた時です。
 担任の先生が、烈火のごとく怒り出し、大声で、「お前は何度言ったらわかるんだ。」と怒鳴り上げました。
 今までそんな先生を見たことがなったので本人も、周りにいた先生たちもびっくりしてしまいました。そして、その生活指導の教師も普段とは違う態度に勢いもそがれ、逆に、「まあまあ、」となだめる役に回ってしまったそうです。

 本人はじっと下を向いて内心びっくりしながら叱られていましたが、ふとその先生の顔を見上げると、目が笑っているのです。声は大声で厳しい言葉なのですが、叱られている自分が叱られているように思われず不思議な感じだったそうです。
 結局、その場は生活指導の教師のとりなしでうまく収まり、停学にもならずにすんだそうです。
 その夜、迷惑をかけた先生に謝りに言ったところ、先生はいつもの笑顔で、「うまくいったな」とニコッと笑いながら言われたそうです。
 この先生だけは、「絶対に裏切ってはいけない」とこの時、決意したそうです。
 それ以後、不良と呼ばれるようなことはしなくなり、無事、学校を卒業できたとの事でした。人生の恩人であるといっておられました。

 心理学のテクニックは使い方でこのような効果があります。
 もしその場で生徒をかばったら、生活指導の教師は間違いなく彼を停学にしていたと思います。その生活指導の教師の思惑をこの担任の先生はすばやく読み取っています。そして、彼の思惑をはずします。
 担任の先生が保護者から迫害者に変わり(演じて)、怒りを示すことで、生活指導の教師は担任の先生をなだめることに意識がうつり、(無意識に教師としての使命感が)本人に対する保護意識を高め、生徒の保護者になり、この場を丸くおさめようとしたのです。
 担任の先生のほうが一枚も二枚も上手です。私の想像ですが、その先生は間違いなく心理学を勉強しています。
 悪い行動をする人は、悪いと知っていてやっています。
 万引きをした子に「実は、万引きは悪いことなのだよ」と言ったら「それは知りませんでした。もうやめます」とは言いません。
 大人が、その子に注意をして、それでも悪いことをやめなかったら、「あいつはなかなか根性がある」と悪仲間から尊敬されているかもしれません。
 だから悪い行動がある時に、その行動をつぶそうと動けば動くほど、エサをあげているのと同じです。どんどん悪くなっていきます。
 だから、悪いほうはひとまず放っておいて、いい行動をとにかく増やしていこうとするのです。
いい行動を増やしてやると、悪い行動は減っていきます。
叱るという行為は、無意味です。
「何々すべき」と決め付けるのは、自分の価値観の押し付けです。
「絶対に・・」という人は、子供っぽい思い込みで言っています。
「正義」という人は、違いを認めず、他人を否定している人です。

親と子供の関係で見てみます

 例えば、子供が学校に行きたくないと言って、登校拒否になってしまうと、親はパニックになります。
 だけど学校に行かないことは誰にも迷惑をかけていません。学校に行かなくて勉強が分らなくなるのは子供本人だけで、他の人の成績は下がったりしません。その結果は子供に返ってくるだけなのです。
 人の役に立つ行動ではないけれど、人に迷惑をかける行為ではありません。人の評判を気にするのは、親の私利私欲です。体裁が悪いと気にするのは、子供への愛情ではなくて、親の評判を気にしているのです。

 子供が髪の毛を染めたからって、誰の迷惑になりますか?
 人に迷惑をかけないのであれば、よいのではないでしょうか。
 悪い人間になりたいと考えている子供はいないはずなのです。それなのに子供が非行に走るのは、大人が私利私欲で追いつめるからです。

人はどうして不安になるのか?

 人間は自己確立ができていないから、不安になると言われています。心の葛藤があるため、不安が続くとも言います。
心の中に、自分も気づかない戦いがあるのです。

 そして、根源的に、親との関係が関係しています。親に「愛されてない」という強い気持ちがあると、悩む傾向が強くなります。
 人間には「憎しみの心理」があります。本人は認めにくいのですが、その源は“親”です。
 自分自身が幼いときから、激しい怒りや憎しみを向けられて育った時、子供は親から、「お前なんかいない方がいい」というメッセージを受け取ります。自己の存在を否定されてしまうという、最大のマイナスのストロークです。
 平気で、親は子供の自尊感情を傷つけてしまいます。親は「しっかりさせてやろう」という気持で叱責するのですが、子供はそうは受け取りません。心が未発達で、大人のように合理的な考え方ができませんから、直接本能的な部分を刺激してしまうのです。
 特に思春期は自尊感情がとても傷つきやすい時期です。「お前はダメな人間だ」「俺より頭が悪いんだ」と親が子供に言ってしまいます。
 親は「こいつは情けないやつ」「俺の期待に添って欲しい」という気持ちなのでしょう。子供にとって、親は絶対的な存在なのです。その親から、言われるのですから、親の言うことはすべて正しいと思ってしまいます。

「どうせお前は・・・、だめなやつだ。」と子供のころ親に言われていた言葉が、自分の成長を妨げてしまうのです。
 親の子供じみた憎しみを正当な罰だと思って育った時、子供は自分自身をダメ人間だと思い、最悪の場合、自分を傷つけたり、犯罪に至ることになります。
 必要以上に罪の意識で自分を責める人々は、本人は気づかずに、自分が破滅するような形に持っていきます。せっかくがんばって手に入れた社会的地位を、のぞきやチカンなどをして警察に捕まってしまう。それは、強い罪悪感(無意識的罪悪感)があるからです。無意識に成功することに対する不安感があるのです。

◆自分自身の心の憎しみに気づく

①ナルシシズム(自己愛)に気づく
人は、他の人を愛する以前に自分を愛したいと思い、常に相手と自分を比較し、心の幸せについても比べてしまいます。

②憎しみの源の1つは嫉妬心
 どうしても、嫉妬心がつきまとい、いつも比べて、自分より優れた人が憎らしくなります。嫉妬心は世の中からなくならないといいます。人間が生きている限りつきまとうもので、嫉みを上手にコントロールすることが必要なのですが、自尊感情がない人はこれが難しいのです。自分自身に対する愛が満ち溢れていることが大切なのです。
 自分が何者かによって愛されている確信を持ち、その世界の中で心を休ませる必要があります。

③トランスパーソナル心理学を学んでみては
 超個心理学といわれ、自分中心から離れて、自分を超えて、他の人の幸福を中心に生きられれば、自分も幸福になるという考え方です。
 相手を自分のためではなく、相手のために愛すると、心も体も健康になるといわれています。難しいことですが、自分が何者かに愛されると、嫉妬心はなくなるのではないかと思います。


交流分析では、自我のことをSelfと言います。
Selfは、自分の体も心も考えも全部含んだ全体をいう。
宇宙の法則に沿って生きていく生き方。
人は、皆心の中にSelfを持っている。
何か大きな力に守られている。
宇宙の自然の調和とか愛に反抗しているから、病気になるのではないか。
宇宙の摂理と調和するように考えていくと、健康になるのではないか。
世の中を支配している法則は、“愛”つまり、相手のために愛すること。
個のSelfからのメッセージを掴み取ると、心の平静さ、感謝、愛、善意が表れる。

 これがトランスパーソナル心理学の考え方です。

「内観法」について

「内観法」とは次のような方法で「自分を見つめる」時間をすごす療法のこと

 健康な生活を送っている人が人格の向上や生きがいを求めて行う内観から、精神医療や心身医療の対象となるような問題、深刻な家庭問題を抱えている人の内観まで。投薬治療が効かない人やカウンセリングが向かない人格障害の人にも効果があるそうです。
和室の隅に屏風を立てて、囲まれた半畳ほどの空間にひとりで座り(座り方は各自がリラックスできるものでよい)内観を行います。

親との関係を考える場合は以下のようにします。
  「(親に)してもらったこと」
  「(親に)してあげたこと」
  「(親に)めいわくをかけたこと」
(☆カッコ書きの中を、父親、兄弟などと対象を変えていく。) の三つについて考え、日記、ノートに書き出したり、面接者に話したりする方法で自分を見つめます。

「気づき」によって自己の変革が可能になります。
 基本的には最初は自分の母親(あるいは、代わりになる人)に対する自分を調べます。
「小学校に上がる前の母親に対する自分を調べて下さい」というように、年代を区切り、対象を絞って内観します。 その後、「小学校低学年」、「小学校高学年」、「中学」、「高校」と次第に現在へと近づいていきます。高校後は5年程度で区切ります。
 そして、現在に至った時点で終了し、次の対象(多くは父親)に移ります。
実の母親を知らなかったり、激しい感情を抱いている場合は他の親密な人から初めても構いません。
 また、内観で調べるのは『自分に対する相手』ではなく、『相手に対する自分』であり、思い出とも違います。 この点は注意が必要です。
 本来は、一週間、この三つの質問についてだけ考え続けますが、三日でも、一日でも、また一日5分でも時間をつくり、考えてみてはいかがでしょうか。
 いままで悩んでいたことが、たった一週間で変わります。
 内観をすると「自分に正直になる。より個性的になる。」とのことです。

各地にある内観研修所のスケジュールは以下のようになっています。
午前5時半起床、午後9時まで
自分と向かい合うため、読書、手紙、電話、面会、外出もしない。
他の人との会話もさける。
内観者は内観の内容のごく一部を、面接者に報告するだけ。
物事に対して何でも悲観的に考えるひとは
  「楽しかったこと」
  「うれしかったこと」
  「喜ばれたこと」
の三問に替える場合もあるそうです。

心身相関について

心身相関とは、精神的葛藤や行動様式が体の状態に影響を与えて病気をつくり、逆に体の状態が心の働きに影響を及ぼす(相互作用)状態です。 人間心理についてのいろいろな話

 ちょっとカァーとしたら、血圧が上がり、脈拍が速くなり、身体が熱くなります。「これから、さあ自己紹介をして頂きましょう」と言われると、ドキッとしますね。
 直接身体に衝撃を受けたのではなく、これから自己紹介をしないといけないと頭の中で思っただけで、このように心理的なものがすぐ自律神経系を伝って身体に反映されます。これはむしろ当り前のことです。

心と体は、決して2つではありません。心は見えませんが、体に影響します。これを心身相関、あるいは、心身一如といいます。
 無意識が、自分の心の中に戦い(葛藤)を起こし、うまくいかないとノイローゼになるのです。
 健康な人は、おなかが空いたら、食べます。
 いっぱいになると、食べることをやめます。しかし不健康な人は、満腹でも、「食べる、食べる」。
 現代の子供たちは、「よく学び、よく学び、よく学び」で、「よく遊び」がない状態です。これでは、当然問題が起きてきます。 人は、「仕事をする」-「休む」―「仕事をする」―「休む」ことが大切です。

 体の声を聞くことは、大事なことで、疲れたら休みましょう。過剰適応の為、心身症になってしまいます。

 小学5,6年から中学生の頃に、仲間がいたかどうかはその子の人生にとって重要です。仲間とのコンタクトがなくて、母親とのコンタクトばかりで、友達の作り方を知らないと、引きこもりなどの症状が出てきます。
 ギャングエイジを経験する事は、非常に大切なことで、中学時代に友人ができた人は、まず、大丈夫といえます。人は1人で生きているのではなく周りとの関係、つまり人間関係の中で成長するものだからです。
 医療の現場では、21世紀の病気のほとんどが「心身症」という時代に入るだろうといわれています。ストレスや人間関係が影響しているので、心と体の両面からみないといけません。

≪説明≫
 ちなみに、ギャングエイジとは、排他的な遊び仲間を求める児童期のことを指します。幼児期の友人関係は、機会的で継続性がありません。たまたま遊び場に居合わせれば友人であり、そこを離れれば友人関係は消滅します。しかし、学齢期に達すれば、友人関係は固定化し、継続性のあるものとなります。
 この年齢の友人関係は、他世代を寄せ付けず、また同世代であっても特に認めた相手にしか友人関係の門戸を開きません。
 そうして、友人関係に迎え入れるに当たっては、儀式などを行い、自己犠牲的な友情を要求します。
例えば、集団で万引きを行って、その中の一人が捕まっても、誰が共犯関係にあるかは、絶対に口を割らないなど。 やがて思春期に達すれば、関心の対象は内面の世界に移行し、ギャングエイジは終焉します。

≪余談≫
「病は気から」とは、普通は、単なるもののたとえとして、病人を勇気づける場合などに使われていますが、この言葉は、本来の意味で、実は今の新しい医学のひとつの見方でもあるそうです。

 乳ガンと告知され手術をうけた人の精神状態と、5年後の生存率との関係を調べた研究成果があります。
 女性患者の手術3ヵ月後の反応は4つのタイプにわかれました。
 第一の否認型は、「自分はガンなどになる筈はない」というタイプ。
 第二は闘争心型で、「ガンなどに負けるものか」というタイプです。
 5年後、この両タイプのグループとも、9割の人が生存していました。
 一方、第三の絶望型の、「ガンになったらもう駄目だ」という人は5年後、8割が亡くなっていました。
もう一つの第四の自制型といわれるタイプの人達は、自分の感情、動揺を外にあらわさないひとである。
この人々は5年後、半数が亡くなっていました。

 また、亡くなった人をさらにくわしく調べると、発ガン前に離婚、主人との死別、経済的破綻等、精神的ショックやストレスを受けている人々が多かったそうです。
 はっきり言えることは、気持の持ち方を明るく、そして、"自分の力に限界をもうけない生き方" が大切だということです。たとえそれが体の病であっても、心の影響を受けないものはなく、心のもつれ方を正しく処理することが決定的な意味をもつらしいのです。

心身症の表れ方について

人間心理についてのいろいろな話

 胃潰瘍など体の病気だと、「仕事のし過ぎ」と言われ、大事にされますが、心の病気になると「だらしない」と言われます。心も体の病気も辛いものです。こんなストレスの多い時代にあって、心の病気も体の病気も再発して当たり前なのですから、決して自分を責めてはいけません。
 不安、緊張があると、動機、振るえ、冷や汗などの体の症状が出るし、抑うつ状態の時は、不眠、頭重、倦怠感、食欲不振、性欲減退、便秘などが起こります。

 うつ状態になると、生命エネルギーが”ウーン”と低下している状態で、「私は、ダメ人間「能力がない」「他の人より劣っている」「生まれてこなければよかった」「死んだ方が楽だ」「もう取り返しがつかない」「子育てに失敗した」など、自己評価が”ウーン”と下がり、マイナス思考が起こります。
 こういう場合の解決法はきちんと病院を受診し薬を服用する、ウーンと休む、自分を大事にすることです。
 人は愛情の欲求、甘えの欲求が満たされないと、つまり欲求不満になると体が反応し攻撃的になることが多いです。
 人生早期に愛情が欠如すると摂食障害などが起こり、子供と親との波長が合わないと子供は欲求不満の固まりになります。
 また、九州大学の池見先生による、はぜまけの実験(はぜの木の下を通るとアレルギーが起こる人を集めて,目隠しをして栗の木の下を通らせると、はぜまけが起こる)に見られるように、「あなたは、○○に弱いのよ」という暗示をすることは、まずいことなのです。

≪思い込み、自己暗示が心身に影響を与えます。≫

 心身の相互作用について見ますと、症状に注意を集中すると、その症状への感覚がますます鋭敏になり、注意がますます固着し、身体機能の失調を引き起こします。
 例えば、胃が痛い時、注意をそこへ集中するとかえって、痛みが増します。
・几帳面で強迫傾向の人に多い、過敏性大腸症候群
 緊張すると、トイレに行きたくなります。
・眠ろうとすると益々眠れなくなる不眠
・あがる、乗り物酔いなど
 こうゆう人は、完全な体でないと気がすまないという傾向の人です。
 そんな時「その場になって考えよう」と楽天的に考えることができるといいのですが・・・。
 森田療法で有名な森田先生によると、日本人は、「こだわる」「とらわれる」という傾向が人一倍あり、それを自分に向けてしまう、気にしすぎる傾向があるそうです。100%を望まず“あるがまま”で残りの力を使ってやればよいと考えましょう。
◆条件づけによる体の反応について
 たまたまバスに乗って、2,3回腹痛や便意をもよおすと、バスに乗ると同じ症状が起こります。他に動悸、頭痛、喘息発作、頻尿、過呼吸発作などがあります。
◆体の病気の神経症化
 身体疾患の経過中に心理的な反応が加わって、もとの病変とは不釣合いの自覚症状(神経症状態)やうつ状態が発生する場合、これを体の病気の神経症化といいます。
プライドが高く、自分は大事にされないといけないと考える自己愛的な人、苦痛に甘んじるのが当たり前で、苦労をすれば認められると考える自虐的な人に多いです。
 心理的因子として、不安、葛藤、疾病の逃避、無力感があり、病気の長期化、難治化、慢性化がみられます。
 子供が、病気をすると、母親がやさしくなるので、寂しい時、症状を起こすことがあります。
 行動習慣の異常には、過度の喫煙、飲酒、食べ過ぎ、運動不足などよくない生活習慣から起こる生活習慣病があります。

 以上のようなからくりをわかって、それを相手に言っても同じことです。その背後にある不安、憂うつ、欲求不満を言葉に出させてあげることが大切です。人は理論で治るのではなく、わかってもらえた時、波長が合った時、リラックスできた時に治るものなのです。

本物の感情とうその感情

人間心理についてのいろいろな話

  ある出来事が起こると、人はそれを認知します。プラスに考えたりマイナスに考えたりします。それが感情となり、行動となります。

◆本物の感情

普通の人のも本物の感情(あるがままの健康な感情)には次のようなものがあります。それが、喜(楽)・怒・哀・恐怖(不安)などです。

(A) 怒り
 誰でもこんな時、腹が立つだろうという自然の感情です。この感情を出すと、問題解決に役に立ちます。不当に扱われたら「怒る」ことは健康であり、「怒る」ことで事態が改善されたり、問題が解決されるのです。
(B)悲しみ
 大事な人を失うなどの「対象喪失」、入試に落ちるなどの「敗北」を感じた時に起こる感情です。「うんと悲しむ」ことは、良いことで、当たり前で、健康なことです。うんと悲しんでその感情に「さよなら」を言わないといけないし、うんと泣くと泣いた分だけ、悲しみは消えていきます。
(C)恐怖(不安)
「恐怖」は、「ガンが怖い、エイズが怖い、飛行機が怖い、尖っているものが怖い、高いところが怖い」など、対象が定まったものを言います。そして、「不安」は、何が怖いかわからない心の状態を言います。まだ起こらないことを予想して、「子供が入試に落ちたらどうしよう」「子供が車で事故を起こしたらどうしようなどと、まだ起こらないことを予想して勝手に感情が一人歩きして、“今ここ”を考えません。
 心配して物事がうまく行くのであればうーんと心配すればよいのですが、決してそうはならぬものであり、心配して莫大なエネルギーを使っていることになります。
 落ち着いてしっかりと、現実に足を置いて「何が起きているか」をじっくりと考えましょう。
(D)喜び
「楽しい、嬉しい、喜び」の気持ちがたくさん植え込まれた人は、心が健康になります。逆に、「つらい、悔しい、がっかり、恨む」などの感情をたくさん植えつけられると、心は健康でなくなります。

◆本物の感情の特色について
 正当に怒って、自己主張したら、問題解決できる機能を持っています。認知の歪みがありません。
☆二次過程……欲求をあとに延ばして、「現実に世間に通用するか」「人に迷惑をかけないだろうか」と、現実に足を踏まえた形で考え、自分の欲求を満たす。

◆ラケット感情 (=不健康なニセの感情、うその感情)

「こんなことでこんなに心配する必要があるだろうか」
「どうしてこんなことでこんなに不安になるのか」
「こんなことでこんなに腹を立てなくてもいいのではないか」など、その場にふさわしくない、自分をマイナスにしてしまう感情です。
 問題解決に何ら役に立ちません。
「こじれる人間関係は、ラケット感情が牛耳っている」
 例えば、子供に勉強を教えるたびに、「どうしてこんな問題もわからないの!馬鹿じゃないの」と怒って、その後子供の寝顔を見て、「悪かった」と謝ることを繰り返してしまう人がいます。その人の大好きなラケット感情は、「後悔」です。
・人がゲーム(こじれる人間関係)を演じるとき、その結果として、決まって味わう感情
・適切でない感じ方 
  → こんなに小さいことで、どうしてこんなに心配するのか、こんなに激怒するのか
・慢性で定型化された不快な感情 
  → こういう時に必ず落ち込む
・真実の自然な感情をカモフラージュした人工的な感情 
  → 本当は、“怒り(怒る)”なのに、“悲しみ(泣く)”に置き換えるなど、人が作り上げたものを言います。

 これらは、いろいろなストレス状況で経験される、馴染み深い感情です。子供時代に学習され、奨励されたものです。成人の問題解決の手段としては不適切なものです。

◆ラケット感情の特色について
・あなたが繰り返し味わう不快感情で、あなたの思考や行動を束縛している
・自然な感情をカモフラージュして作られた人工的な感情である
・自分は気づかないが、他人を変えようという操作(意図)企みがある
・親密な交流を阻止する
 このラケット感情は、少しずつ積み立てられて、次のトラブルへの準備をはかり、トラブルのあと正当性を合理化します。
 例えば、これだけ我慢したのだから、15歳になったら金属バットで親を殴ってやろうなどと考えてしまいます。そして、それは幼時に身についた魔術的な信念に基づいています。
 例えば、自分が怒れば親は言うことを聞いてくれるなど。
 そして、次の3つの形で、幼時に学習されます。(身についてしまいます)

(A) 親が感情生活のモデルを子供に示す
例)いつも孤独で寂しい顔をしている母親の場合、娘は、それを取り入れて、似た形の表現をする傾向にあります。

(B) 特殊な感情にストロークが与えられる
例) 怒ってかんしゃくを起こすと、欲しいものが手に入る。寂しい顔をすれば、親は可愛がってくれる。

(C) 本物の感情が間違って定義されるとき
例)怒っている子に親が「あんたは疲れて眠いだけ。怒ってなんかいないわよね」と言う。

 このラケット感情は、人間が本来持つ自然治癒力を妨げています。ノイローゼや心身症の人は、自分の感情(本物の感情)を表すことのできない人なのです。

自然治癒力

人間心理についてのいろいろな話

夢をわかると、自分をわかることになります。
 人間には、“自然治癒力”があります。“自然治癒力”の大きな働きは、「relax」すること(安心感)です。 疲れた心も、休息を与えれば、元の健全な姿に戻ることができます。

 心の疲れをとるために、人は「夢」を見ます。心理学的には、人は覚えていないかもしれませんが、皆、夢を見ています。心も積み残したものを、夢の中で処理しようとするのです。睡眠の目的は疲労回復なので、夢を見ることも心の疲労回復の為であると言えます。
 夢は昼間の無意識をみています。昼間の欲求不満や苦痛の残滓を処理しているのです。
「夢」は、「投影」であり、自分の中にある「もの(不安)」を外に出そうとします。何度も何度も同じ夢を見る時は「自分が何を避けているか」と考えてみましょう。
夢は 
  1)いくつかの「もの」の映像が合わさっている
  2)間接に関係のあることを暗示している
  3)たくさんの象徴を使って、心が賢くストーリーを作り上げ、そのストーリーをほどいていくと、心の無意識がわかる(精神分析)
と言われています。

 例えば次のようなことがわかっています。
「試験の夢は、人生の大事な試練、苦難に面している時にみる」
「火事の夢は、緊急事態で、心の拠り所を失っている時に見る」
「洪水の夢は、全滅してしまう時に見る」
「歯が抜ける夢は、新しいものを生み出す、新しいことをしようとして悩んでいる時にみる」
「追いかけられる夢は、何か負担になっている時に見る」
「金縛りに合う夢は、身動きが取れない、つらい状態の時見る」
「乗り遅れる(間に合わない)夢は、誰かと行動がずれている時に見る」
「飛ぶ、落ちる夢は、子供から大人になる思春期の頃に多く見る夢で、親から離れて遠くの大学へ行く、就職する時にみる」

自尊心について

人間心理についてのいろいろな話

マズローの欲求五段階説によりますと、人は、水、空気、食欲など生理的欲求が満たされ、安全を保障される(安全欲求)と、集団生活を営める(社会的欲求)ようになり、さらに自尊心を持つことができる(自我欲求)ようになると、アイデンティティ(自己実現)を持つことができ、本当の自分を生きることができるようになります。

 現在の日本では、「安全神話」は崩れ去り、引きこもりや対人恐怖症の増加が見られ、自己評価が低い人が多くなっています。
実は過去にいじめにあった経験があると、自尊心をもてない場合が多いのです。
 心の中でバランスをとり、時々怒りを出してみたり、不満を安全な場所で出せたらいいのですが、心身症の人は、ストレスに対する処理の仕方が上手にできません。そのため引きこもりの状態になってしまいます。 しかし、人と接触しないと人間の心は成長しないのです。
人と接触し、相手との違いを認めた時、人間関係がうまくいきます。これがうまくいかないと、ストレスになります。
「相手を変えよう」「自分の思った通りに動かそう」とする考えは、相手との違いを認めていないと言うことです。
≪自分の信じる宗教に勧誘する行為は、どうでしょうか、≫
“相違”を認めると“共生”が生まれてきます。
 親は自分の子供に「私の手足のように動いて欲しい」「私を満足させるように生きて」と願いますが、いつの日か、自分と子供は違うという事実を認識しないといけません。統合のとれた心とは相手の立場、相違を認める心です。
不安は葛藤から起こることが非常に多く、葛藤を乗り越えた時心は成長します。
「自信がない」という言葉を相手が言ったとき、本人の気持ちは「つらいだろうな」と思ってあげましょう。相手に対してこのように思わないと、相手は「わかってもらえない」という気持ちになります。
「今、現在」の気持ちをわかってあげることは、とても大切なことです。「今、ここ」の気持ちをしっかり捕まえると相手にわかってもらえたと感じるのです。

≪余談≫
 人は、困った時、迷った時、その混乱の中に留まり、何と何の力が自分の中でぶつかりあっているのか分りません。 そんな時、椅子を向かい合わせに2脚置き、その片方に座ります。そして、「エンプティ・チェア」に座っている自分を想像し、その自分に向かって話しかけるのです。
 2つの椅子の上で話をさせてみると、元々違ったものが、上手に共存することで、統合が始まります。それが心の健康ということにつながります。
 自分の中の“悪い部分”を、これも自分の一部だと受け入れて耐えることが大切だと思います。

◆エンプティ・チェアとは、ゲシュタルト療法のひとつです。クライエントの心の中の分身・自分自身・重要な人物・事物・身体の一部・架空のものと対話の必要が生じたときに、クライエントの座るホット・シートの前にある空の椅子にその心の対象を座らせ、擬人化して対話を進めていく技法、またはその空の椅子のことを言います。 日本では、椅子の代わりに座布団やクッションを用いることもあります。

「老化」をどう見ているか

人間心理についてのいろいろな話

「心理学では、今「老化」という現象をどう見ているでしょうか?」という質問に対して、交流分析の杉田先生は次のように話されました。

 実は「老化は社会から離れるために起こる」「人間関係が維持しにくくなる」など個人と社会との関係に重点をおく考え方に変わってきています。「老化」は、体だけの問題ではなく、きわめて複雑な現象ととらえられています。

◆「知能」の定義について
 知能指数のことではなく、生活の中で様々な問題を解決してゆく、人間関係を含めて人生のいろんなことを上手に処理していく能力のことを言います。

「動物性知能」
 これは、新しいことを学習したり、新しい環境に適応したりするのに必要な能力で、年をとると少し不得意になる傾向にあります。動物性テストでは、60歳までは若い頃とほとんど同じで、60歳を過ぎると少し下がってきて、70歳ころから言語性テストより下がりますが、まだまだ若い頃とあまり差がありません。

「言語性知能」
 これまで生きてきた経験と知識の豊かさや正確さと結びついている知能で、社会体験や人生経験によって、いろいろ身につけたものを言います。言語テスト(どのような言葉を使うのか)では、60歳から少しづつ低下しますが、ガタンとは下がらず、81歳でも25歳の頃と同じ力があります。

 頑固、保守的、かたくなな面もあるかもしれません。
 総合的に見ると、81歳になっても25歳の能力は十分にあるということになります。
 老人になっても、新たな学習を始めるだけの十分な知的柔軟性を持っているのかどうか、その決め手は「体が健康であるか」ということです。つまり「健康を維持できているか」というのがポイントになります。
 結論は、「健康な人では年をとるだけで呆けることはない」ということです。

◆年をとると、人格は変わるか?
「老人は、若い人にどうみられているか」という質問に対して、日本では、保守性、義理堅い、あきらめ、親切、依存心が強い、活動性の減退、体の不自由に対する不安、不満、短気、無精などと言われています。
 これは若い人の老人に対する印象で言っていたのですが、「年よりは○○だ」という言い方はおかしいですよね。 年をとっても、主体性を通し、いいものは守っていきましょう。
 結論は「人格は、成人、中年、老年期を通してそれほど変化せず、安定してる」ということです。

◆高齢者の人格特徴→「内向性」
 若い時と違って、定年退職とともに社会との関わり(役割)は減り、盆栽が趣味など、自分自身の世界に興味を持つようになりますから、当然のことと考えられます。失敗を避けて自分を維持しようとするため、慎重、用心深くなります。
 地位、名誉、財産などを失ったとき、配偶者、身内、友人、仲間をなくした喪失体験をしたときなど、いろいろな喪失に対する正常な反応として、抑うつ的、心気的になりがちです。多少は、加齢による知能の低下は影響しますが、「老人になると頑固になる」という見方を支持する研究は少ないようです。

 結論として、「もともとよく適応し柔軟で調和的な人は、老人になっても基本的な人格特徴はあまり変わらない」ということです。

◆サクセス・エイジング(老年期を順調に送り、人生を全うすること)のために
 それは、「自分はよく頑張ってきた」と人生をプラスに見ていく、若い人に対して暖かい気持ちで見ていくということです。高齢になって病気ひとつないことは、非現実的なことですから、病気と付き合いながら残りの人生を楽しむことができれば素敵ですね。

◆高齢者の課題と危機について
①定年退職など引退の危機に対して、自己の分化(新しい自己の価値、新しい対人関係、趣味に満足感を見出せるか)ができるか?
②仕事以外のものを自分の中に入れていくことができるか?
③自分の人生を振り返って、若い人のためにできることはないかという心を持つことができるか?
④自分の人生の別の面を豊かに発展させることができるか?
⑤体を超越するか?体に没頭するか?
 1つや2つの病気を持つなど、健康の危機が必ず来るのですから、体が弱っていることを認めたほうがいいです。
⑥老化や病気にのみ関心を集中させる生き方をするか?それとも、病気を受け入れて、対人関係や趣味に取り組めるかどうか?
⑦自己の超越か、自己への没頭か?

≪西欧では、人は最後に「死ぬ」ことを教えてきたのに対し、日本人にとって、「死」は、昔とずいぶん変わってきました。大家族主義の時代には、年をとって死んでいく姿を家族全員が看取って、そこにおのずと「死」の教育がなされてきました。しかし、今実際人が死ぬことを見たことのない子供が増えています。
 あるテレビで死んだ俳優が、別のチャンネルでは、別の役柄で出演し生きています。こういうところから「死」を軽く考えるようになり、極端な例では、殺しても生き返るなどと思っている子供もいます。
 人は、永遠に生きることはできないのだから、死が近づいてくる ことを前にして、子供、家族、子孫、文化のために自分を役立たせましょう。≫


≪余談≫
◆女性と男性の性役割と適応について
 洗濯、皿洗い、掃除などを「女性の仕事だ」ということから解放されて、男性も少しやってみたらどうでしょう。 両方の役割を分かち合えると夫婦の老後は楽になるといえます。一方の性役割に固執せず、柔らかく両方の性の質を統合することが大切です。「こけんに関わる」などと言わず、男性でも「スーパーで買い物してもいいじゃないか」という考え方を持ちましょう。
 男性が、対等な気持ちになっていないと、女性老人が苦労することになります。そのためにも自尊感情が大事になってきます。

 自分を大切にしないで、人を大切にすることなんてできませんから。「ジェンダー」は「男は仕事、女は家庭を守る」といった男性優位の社会で、社会や文化がこしらえた性別のことです。
もちろん、ジェンダー・フリーが行き過ぎても困ります。
 男女は身体的に違うから、互いの違いを認めて尊重することが求められます。特に、男性は女性の存在を認めましょう。意識の上では、男性に先んじている女性の皆さん、男性を育てる気持ちで接しましょう。

「老いを生きる」ということ

人間心理についてのいろいろな話

 日野原先生によると「老い」と「老化」は違うそうです。つまり「老化」は年齢に沿っての変化で、誰にも起こる加齢現象です。加齢現象は、血管、腎臓、神経、脳の老化などに起こります。「老い」という生物学的変化を、あなたはどう受け止め、どう対処するか、それは生き方と態度の問題です。

 年取って役に立たないと考えるか、新しい価値観、新しい人生の目標を探していくか。あなたはどちらのタイプですか?
 心理学的には、「生き抜いていく自分」を中心に考えているのに対して、心身科学では、「生かされている存在」と考えます。
 空気も水も、植物、動物、食料も頂いている、自然の力に「生かしていただいている」という考え方です。
 ある人にとっては、それは、神様であるかもしれない、仏様であるかもしれない、宇宙の摂理という大きな力に生かされているということに気づくのです。
「生きていく」「生かされている」この2つの調和をとって、「生かされている」事実を認めていくと、調和の取れた姿になります。
「生かされている自分」に気づくことが大切で、そういう風に人生を見ていったら、その人生はずいぶんと違ったものになるといえます。

◆人生をもう一度味わい直しましょう

・若い世代を見て、自分の人生のおさらいをする。
・少し微笑みながら「若い頃自分も同じだったろうな」と肯定していく生き方をしましょう。
・世代間のずれを体験するのは当たり前のことと考えましょう。
・子供(若い世代)との間で1対1の美しい人間関係をつくりましょう
「あなたはそう考えるのね」という言葉と気持ちで、相手の気持ちを理解するような人間関係で過ごすとよいと思います。何時までも説教したり、リードしようとしたり、教えてやろうということはやめておいたほうがいいです。相手の気持ちを理解すると関係はうまくいきます。老後の自分の心の健康を保つために、何か1つのものを極めようという気持ちを持つことが大切です。
◆人生の意味(何のために生きるか?なぜ自分が生まれてきたのか?)を考えましょう。
「ユーモアは老いと死の妙薬」(アルフォンス・デーケン)
 デーケンは、「人生いろいろなことがあり、悔しいいことも多い、間違うこともあるさ」と考えて「・・・にもかかわらず、笑う」とよいと教えています。
 笑うと脳に伝わって快適な気分になります。笑うとNK細胞が活性化します。鏡を見てうーんと笑うといいですよ。 いい気持ちになり、心身の健康な状態になります。
 うつ状態に長く浸っていると、ガンに侵されることもあるというデータもあります。薬を服用してでも早くウツ状態から抜け出すほうがよいといわれます。

 池見酉次郎先生のガンの自然退縮の研究では、自然(宇宙の摂理)に託する、大きな力に任せる、「生かされている」という心境の人が、その傾向にあるということです。
≪参考資料≫
ガンの患者学研究所
1990年、腎臓ガンを発病した私は、退院後のある日、自然退縮の存在を知る。
それはある本に紹介された、九州大学名誉教授・池見酉次郎氏の次の話によってであった。「私どもは十数年前、ガンの自然退縮の研究を始めました。末期ガンになって医者から完全に匙を投げられた患者さんが、時として自然に治ってしまうんですね」
 そのことを妻に知らせると、彼女は恵みのように微笑んだ。「自然に治るくらいなら、ガンも大したことないね」。この時私の心の中で、治るスイッチが〈オン〉になった。
1993年、私は、自然退縮をした人たちの証言を海外にまで出掛けて取材。
NHK教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』三本シリーズとして放送。
教育テレビ始まって以来の大反響となった。
1995年、大幅な追加取材をした上で、「幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録」(創元社)を出版。こうした経験から、対処法さえ間違わなければ、ガンが他の生活習慣病に比べても、〈治りやすい〉病気であることを確信するに至った。
以下は、そんな私が自然退縮から学んだことのエッセンスである。
以下、ホームページ参照。

病・死と闘う人々との心理

人間心理についてのいろいろな話

人生の終結は「死」です。
人は、どうして病わなければいけないのか?
こうあってほしいという気持ちと違う生き方をしなければいけないのか?
人生の究極の意味は、「本来の自分を生きること」です。
◆病気にはどんな意味があるでしょうか?

 池見先生は、「人間としての心の健康は、身体的、心理的、社会的な条件だけで成り立つものではなく、自然内存在、生死、意味への気づきをふまえた時に実現するものである」と主張されました。  人は、「一生懸命に生きている」「大きな力、自然の力に生かされている」この2つが調和した時、真の健康を得ることができるのです。
 池見先生の研究によると、病院でガンと診断され,余命数ヶ月あるいは1年などを宣告された人の中に、病を持ち続けたまま、5年、10年と生きている例、あるいは、ガンが自然退縮してしまった例が約100例ほど見られます。

そういう人達に、共通する考え方は、
「自然に任せていこう」
「自分のことだけでなく、他の人のために生きよう」
という2つを調和していこうとすることです。

 アウシェヴィッツ強制収容所に収容されていた精神科医フランクルは、「今を生きることの意味」をちゃんと見出している人です。「フランクル心理学」
 すべてを自然の力(法則)に任せようという心境になり、実存療法(ロゴ・セラピー)を開発しました。自分も何時殺されるかわからないのに、人の面倒を見て、食事や衣類を分け与えるなど、どうしてそんなに立派に生きていけるのでしょうか。どうして健康な精神を維持していけるのでしょうか。
 それは「人生の意味」をしっかりわかっているからです。
 自己中心的な生き方(自我)を乗り越えて(超越)、愛する者の為に生きるのが真の生き方です。自己中心主義を乗り越えて、そこから抜け出して、困った人、病んでいる人、恵まれない人、障害を持つ人など誰かの為に生きようとしている人がいます。
 エゴイズムから解放された生き方ができれば素晴らしいことです。

人生には、なぜ、病や事故などによる苦痛があるのでしょうか?
それを、どう受け止めたらいいのでしょうか?
それには、必ず、「意味」があります。

≪余談 ストレスの受け止め方≫

ストレスの程度は、自分がそれをどう受け止めるか、それにどう対処するかに大きく影響されます。

◆受け止め方の7つのタイプがあります。
ストレスを受けると、自分の今までの生き方が出てきます。
1)不安型 「もうだめだ」と、必要以上に不安になり、マイナスだけを考える
2)攻撃型 「悔しい」、やけを起こして欲求不満になり、当り散らす
3)諦め型 「もう治らない」落ち込んで、逃げて引きこもってしまいうつ状態になる
4)防衛型 「まさか私が」、認めると不安になるので「ガンじゃない」と否認する
5)自虐型 「自分に非がある」「不摂生をしたから」「私が悪い」「私の生き方が悪い」「天罰だ」「もう少し健康管理をしていたらよかったのに」と考え、うつになる
6)とらわれ型 投薬や処置に細かくこだわる
7)依存型 赤ちゃんがえりをして、周囲の人(夫や妻)にべったりと付きまとう。見捨てられ不安が強い


 ストレスの受け止め方認知のゆがみがあるとストレスが倍加します。

例えば、子供が不登校になった場合を考えてみましょう。
「私の育て方が悪かった」「この子の一生はもう終わりだ」と考えるか、「人生回り道をすることもあるさ」「暖かい目でみよう」と考えるか。
「大変だ」と考えると、ストレスは大きくなり、「落ち着いて対処しよう」と考えると、ストレスは小さくなります。つまり、ストレスの受け止め方によって、ストレスは大きくもなり、小さくもなるといえます。必要以上に自分をマイナスに見たり、1-0思考(黒か白か思考)をやめて、歪んだ受け止め方を直していきましょう。

病気をどう受け止めるか

人間心理についてのいろいろな話

≪人は誰でも病気をします。その事態をどのように受け止めればよいのでしょうか。次のような考え方を紹介します。≫

①病気には必ずプラスの価値がある。自然は無駄なことをしない。
≪つまり必然であるという考え方です。≫

②人間は本来、自分の健康を守るための自己調節作用(ホメオスタシス)を持っている。
・人間は、環境との関連で自分のバランスを維持するために必要だと思っていることを行っています。
例えば、「家庭を顧みず仕事ばかりしているのは、不自然ですから、今この人には病気が必要だ。この人を病気にならせよう。」といった具合です。

③病気(ノイローゼ、心身症)は、生活の中では、明らかに確実な価値があるのだから、病気の意味に気づき、体を大切にしよう。

④病気は、痛みと同様、生体の警告システムである。
・生体が生き続けるために、何らかの変化を起こせ、というメッセージなのです。
・「今のままの生き方は危ないですよ」という警告。

⑤症状をよく探索し、それがどんな意味を持っているのか、「自分の心の中」と接触し、「何のために生きるのか」人生の意味を考えよう。

 不登校児について考えてみると、「おなかが痛い、頭が痛い」などの身体的症状には、大部分は「今、私はストレスの下にあります」「私はそれを処理しかねています」という心理的意味があります。それは、「いじめにあっている」が、学校に行かれない体を作ると、いじめを避けることができるからです。
「おなかが痛い」といわなくても、症状という形で注目をひきつけなくても、言葉によって、助けを求めるといいのですが。
 悩みを体で出さなくても、「僕、いじめられているんだ」と、自分の気持ちをちゃんと言って、助けを求めることができれば、とても楽になりますけどね。

◆実際私たちは病気をどう受け止めればいいのでしょうか?
①信頼の置ける医師の指示に従う。
②心身のバランスを整える。
・不安、恐怖、怒り、憂うつなどの感情の氾濫を鎮める。
・腹式呼吸(細くて長い息を吐く、つまり深呼吸をすると、頭の考えがおなかのほうに移っていき、感情を落ち着かせることができる)
・自律訓練法
③マイナス思考を止める。
「この苦難は無限に続くに違いない」「自分は無価値な人間だ」「もう、すべて絶望的だ」この3つは典型的な認知の歪みで、うつになったときの症状です。
このようなマイナス思考を止めて、
「私もほめられたこともある」「学校をちゃんと卒業した」「子供を生んで育てた」「無価値な人間ではない」と、自分のプラスを考えるようにしましょう。


≪余談 死の教育≫
 人は「最後には必ず死ぬ」のですから、「死ぬ」ことを考えることからスタートします。
人生は、永遠に続くのではなく、始めがあって終わりがあります。この「死の教育」が欧米ではなされてきました。
 「死」を見つめて、生きる意味を探りましょう。日本でも「死」の教育が必要です。
 「死」を考えないことは、死に対する強い恐れや不安を持つことになります。「病」は、人間存在の根底は死である事実を直視する必要を教えているのです。
 病」は、人間が苦しむ能力を備えていることにも気づかせてくれます。
 病を前向きに受け止めましょう。
 そんなことを考えていたら、一流の大学に入っても入らなくてもいい。それよりいい親子関係を作ること、暖かい人間関係を作るほうがどんなにすばらしいか。よく考えて見ましょう。

 専門的に「死の研究」をしたキューブラー・ロス氏は、「死んでも人生終わりではない。1つの人生が終わったら、次の人生が待っている」という考え方をし、「死の現実を受容して、死の準備をしよう」と説いています。
 12,3歳で病気で死んでいく子供に「違った私になって生きるのよ」と伝えると、安定した死を迎えることができるようになるそうです。