inner management

社員の心に直接アプローチするマネジメント理論
指示命令ではなく「共感」。思考ではなく「感情・感性・感覚」によってマネジメントする。

ダメな上司

Theory of the inner management Section.1-1

 会社員として働いた経験がある人なら、直属の上司を思い出すたびに、特別な感情がわいてくるのではないでしょうか。私自身も大変な思い出が数多くありますが、懐かしさや感謝の気持ちと共に思い出す上司もいれば、そうでない嫌な上司もいたのではないでしょうか。

「やたら威張り散らして・・・。」「言うこととやることがちぐはぐで・・・。」「自分の自慢話ばっかり・・・。」

  この人のためなら・・・と思わせる上司にめぐり合うことは、本当に幸せだと思います。「そんなダメ上司がいる会社がつぶれないのは、自分のような優秀な部下が、歯を食いしばって、ダメ上司の欠点をカバーして、業務を滞りなく進めてきたからに他ならない。」と思っていませんでしたか。


でも、よく考えてみると、この考え方はちょっとおかしいのです。すべての人にとって、 自分が正当化されるように考えています。自分こそダメ上司と思う人はいません。ダメ上司の下で頑張った自己犠牲的な自分の姿しか思い浮かばないからです。
あなたが苦しめられたダメ上司も、若い頃にはやはりダメ上司の下で頑張っていた可能性が高いです。

優秀な部下がダメ上司に育つ

ここに、マネジメントについての根本的な問題点が潜んでいます。先に結論から言いますと、 管理職は指示・命令によって組織をコントロールしなければならない」という誤った信念がダメ上司を誕生させる原因です。

指示・命令すればその通りに行動することが当たり前であって、その通りに動かないのがダメな部下であって、指示した上司がダメな上司だと言われても納得できないと思います。
しかし、優秀な部下の立場で考えてみると、「指示された内容は、現場の実情を知らない。うまくいくはずがないのに・・・。」とか、「今頃、ピントはずれの指示をされても、聞くとバカらしい・・・。」とか、「細かいことばかりいって」という感情が、合理的な理性を押さえつけてしまいます。
 つまり、「管理する対象は人間である」という視点が抜けているのです。多くの人が、人間は本来合理的に動くはずだと考えています。
成果や評価を求めたり、原因と結果を分析して合理的に行動すると考えています。これが間違いなのです。
 実は、人間はタテマエでは合理的に考えているように見せかけますが、ホンネの部分の感情、好き嫌いなどは人に見せません。人間とは合理的な存在ではなく、ドロドロした動物的・本能的な部分がはるかに大きく、本質的な部分です。
 企業経営や人事のシステムではこの部分を、無視しています。欠陥マネジメントだったのです。

管理職は指示・命令によって組織をコントロールしなければならない」という誤った信念がダメ上司を誕生させます。管理してはいけなかったのです。

部下が、指示・命令を聞かない要因として、次のようなことが考えられます。

・仕事に対する「やる気」、モチベーション
 仕事以外の悩みがあれば仕事に集中できないし、将来に対する不安があれば、「やる気」も出ません。

・指示された内容が理解できない
内容自体が間違っていると判断していたり、必要ないと感じていたりします。

・知識、技術のスキルの違い
できないことを指示されてもできないと思ってしまいます。「できない」という言葉は、よく考えると「やりたくない」という感情から出ています。

・上司に対する信頼感
その指示が正しいと思っても、従いたくないという感情が芽生えます。そうすると行動の先延ばしとか、満足な結果を与えたくないという気持ちが起ります。最初から不可能な指示だとわかるのに、「いじめる」ために言っていると感じている。

 もちろん、ごく少数のエリートは存在します。
・ダメ上司をうまくあしらって、サポートして助ける。
・優秀な部下が優秀な上司になり、会社の経営を任されるような優秀な管理職に出世する。
・能力があるだけでなく、人柄もよく、誰からも好かれる人材。
・当初から「志」が違うと感じさせる優秀な部下。

 しかし、多数の優秀だったはずの部下がダメ上司になってしまいます。
そこまで自分をわかっているはずの優秀な部下がダメ上司に育つのです。

大人になりきれていない上司

《余談》 自我状態の発育不全、つまり大人になりきれていない上司のタイプ

  ●上司に気に入られたいタイプ
 常に上を向き、上司の意向をそのまま受け入れ、伝えるだけ。上司の褒め言葉をもらうのが最大の喜びで、部下は自分のための道具としか考えていない。発想の時限が低く、上としたでは態度が豹変。部下はやる気を失ってしまう。
●逃げまくりタイプ
 責任を取らされないようにと言うのが最大の行動指針。失敗した時に自分の責任にならないように行動する。指示もころころ変わり、常にきょろきょろと落ち着かない。時には部下を平気で犠牲にする。一見気さくで良く喋る。保身が大事で仕事の成果は二の次になる。
●改革かぶれタイプ
 従来のやり方をすべて変えないと気がすまない。自分は能力があると勘違いしていて、指示はピントがずれている。 かっこをつけたがり、部下は信頼しない。実は劣等感が強く、人に誉められることが大好き。組織は甚大な被害を受ける。
●無責任タイプ
 放任主義で、指示・命令はしない。部下に対しても無関心で、自分の殻に閉じこもりやすい。賢いふりだけはする。 目標意識がなく、遊びになると張り切る。
●細かすぎるタイプ
やたらと細かく、すべて自分の思い通りに行かないと気がすまない。うっとうしい存在。自分も部下もとにかく忙しい。時には陰湿ないじめをする。部下は単なる歯車。不安感が強い。
●叱責大好きタイプ
 ことあるごとに部下を罵倒、叱責する。指示命令を徹底し、できないと怒る。常にあら捜しをしている。 部下が気に入らないと即左遷。独裁者になりたがる。劣等感のかたまり。アダルト・チルドレン。
皆さんの近くにいそうなタイプは?


優秀な部下がなぜ、ダメ上司に育つのか

Theory of the inner management Section.1-2

自分の能力に自信がない場合

① 仕事の高度化、量の増加がストレスになる
 昔は、労働環境がストレスとなっていましたが、今は、仕事の内容、転勤・昇進・配置転換、重大な仕事の一任、経営不振などの“質“的な環境の変化によって発症のリスクが高まっています。
次に仕事量増加・減少などの”仕事の量”などがストレス要因となっています。

仕事の内容が変化しますから、環境の変化に対応することの不安が芽生えます。緊張感、各種のプレッシャーを感じます。

出来事を「大変だ」と考えると、ストレスは大きくなり、「落ち着いて対処しよう」と考えると、ストレスは小さくなります。つまり、ストレスの受け止め方によって、ストレスは大きくもなり、小さくもなるといえます。


② 地位の圧力
 ヒラ社員から管理職に昇格すると、もちろん給料も上がりますが、肩書きが付きます。今までと違う「管理能力」を求められるようになります。仕事内容の質の変化、地位の圧力がストレスの最大要因となっています。
後で詳しく説明しますが、地位・名誉に対する欲求、金銭的な欲求などの「外発的動機」が肥大化するのです。
 特に、金銭的欲求は限りがないもので、「塩水を飲むようなものだ。」という人がいます。「飲めば飲むほどのどが渇き、もっと欲しくなる。」顔つきが悪くなり、心のゆとりがなくなります。
 ヒラ社員の時は、仕事に対する興味も出てきて、ある程度自由に楽しく仕事をしていましたが、管理職になって、給料は上がっても自分の時間がない。結果・成果が求められ、その責任を負うことになります。自分だけの満足だけでなく、部下の指導育成の管理も求められます。
今までまったく経験がなかったのですから、どうしていいかわかりません。

 私自身の経験ですが、本屋に沢山並べてある中のマネジメント関連本を購入し、勉強することになりました。しかし、テクニック的な言葉が多くて、役に立たない本が多いのです。
 「管理職は指示・命令によって組織をコントロールしなければならない」という考え方のハウツー本のほうが簡単ですし、本当に役に立つ精神論的な経営哲学の本もあるのですが、すぐに結果を求めたいものですから、そちらの本ばかりを買い集めてしまいます。思いつき、マネすることから始めました。

ダメ上司のマネをする

 今まで、ダメ上司がしてきた事を部下に要求するようになります。俺もこうしてがまんしてきたのだから、お前たちもガンバレ・・・。「立場が変わると言う事が変わるのは当然のことなんだ」と自分を納得させます。
 管理する対象は人間であるし、管理する自分も人間なのです。心理学的に言いますと、ストレスを受けると、それまで隠れていた自分の今までの生き方、内面的な性格が出てきます。基本的な人間不信、対人恐怖の感情、わがままなどです。
 自分に自信がないという感情を持つ人間は、環境の変化に対する不安が強く、ダメ上司になってしまいますが、逆に自分に対して自信がありすぎる場合も問題が生じます。

自分の能力に自信がある場合

 現代社会では、勉強をしていい学校に入り、いい企業に入って偉くなったり、起業したり、あるいは沢山お金をかせげる仕事についたりすることが、幼少の頃からの人生の目標のようになってしまっています。「勝ち組」になり、社会の上層部に属することがあこがれであり、良いことだと考えられています。
 この競争に勝ち抜くために努力しようと考える一部のエリート、頭がよく挫折を知らないエリートが管理職に出世した場合、実はこちらのほうが問題です。
 企業にとって大変な害があるダメ上司になります。会社の存続を危うくしてしまったり、社会的な事件を引き起こしたりします。

① 地位、肩書きの威力
 エリートに地位、肩書きを与えると、自分の存在や影響力、能力などを過大評価してしまいます。出身校、一流の企業に属しているだけで、能力があると過信しているのですから、関心が自分自身に集中し、自己中心的になり、自意識が過剰になります。
 独自のものの見方にこだわります。人の意見を聞かなくなってしまいます。客観的な視点が失われて、すべてを自分の利益に結び付けて発想してしまうのです。
「損か得か」「メリットとデメリット」「合理的か非合理か」が判断基準となり、自分の思い通りに物事が進まないとイライラしてしまいます。頭が良すぎるのです。計算しすぎてしまいます。

「自我の肥大化」
もともと自我は、自分の体だけを支配するのではあきたらず、際限なく拡大しようとする欲望があります。なるべく多くの他人を自分の支配下に置こうとする性質を持っています。

② ワンマンの弊害
 いわゆるワンマンといわれる人たちは、自分の能力に自信がありますから、トップダウンですばやく行動することができます。スピードを要求される現代では、リスクを恐れず思い切った変革を実行できるメリットはあります。少々間違っていても、修正すればよいことで、何もしないことより良い場合もあります。
 しかし、自信過剰になりますと、すべてを自分の思い通りに動かしたくなってしまいます。部下は皆、自分の指示通りに動かなければならないと考えてしまうのです。そして、「なんで、こんなダメな部下ばかりなんだ。」と嘆きながら、ますます組織の支配に精を出すのです。実は自分自身の態度がダメな部下を仕立て上げていることに気がつきません。
 自分のやり方で組織を自由にコントロールしたい欲求が強くなり、部下の自我を抑圧してしまうのです。時には、人に命令されることを好む「依存」体質の人もいますが、その人は独立した自我が健全に発達していない病的な状態にあります。
 つまり、今までの合理主義的経営で考えられてきた常識的な組織形態は、上司の「自我の肥大化」を招き、部下は依存状態にあるか、無理をして「自我を抑圧」しているという、きわめていびつな構造になっています。

 やたらと自慢話をする社長、それを管理職たちは追従笑いを浮かべて神妙に聞く。彼らはそのとき、明らかに自我を抑圧しています。ところが同じ人物が、今度は自分の部下の前では、ワンパターンの自慢話をとうとうと垂れまくるのです。  誰もが心の中では奇妙だと感じているのですが「これが社会なのだ」と自分自身を納得させ、自らもその組織の中に埋没していきます。抑圧された部下は、その抑圧の代償として実態以上にダメ上司に見えてしまい、後は酒場でダメ上司の悪口を言う。

ホンネとタテマエを使い分け

「日本的マネジメント」では、ホンネトタテマエを使い分ける。割り切った考え方が賢いといわれます。

日本では「本音」と「建前」を使い分けることが大切

 合理主義的マネジメントも、運用上は適当にポカして、組織をうまく運営しているというのが現状ではないでしょうか。「日本的マネジメント」の特徴は、そのうやむやな部分にありました。
 欧米人と日本人では、次のような心理的特性の違いがあります。
 欧米では集団と個が対立関係にありますから、人がなんと言おうと「私は好きなようにする」という生き方が歓迎されます。しかし日本では「集団の中の自分」「みなからどう思われるか」「常識はずれではないか」「和を重視する」と考えて行くほうがうまくいきます。「私が○○する」という事は、なかなか難しいです。
 こう言うと、反発される方も多いと思いますが、本当の自分を隠して生活するストレスは計り知れないもので、日本ではこの方法のほうがうまくいくのです。

私自身の経験を紹介します

 大学を出てからインテリア家具会社に入社しルート営業として勤めましたが、その会社を辞めようと思った理由の一つが、ダメ上司の存在です。

   当時、30歳前後の営業本部長がいました。オーナー社長の娘婿であり、銀行マンから転職して入社し、3年も経たずにその仕事をしており、将来は社長になる予定と聞いていました。
「なに、あいつは・・・。」と先輩社員はいつも陰口を叩いていたのですが、上司はいつもぺこぺこしています。現場を知らず時々営業所に来てピントはずれの指示を出しますが、上司はその通りに私たちに指示します。完全なイエスマンでした。
 ダメ営業本部長も本人は気が付いていないのでしょう。こんな会社はダメだ、自分がだめになると思いました。 しかし、その会社はまだ存続しています。ダメ営業本部長が今では社長です。私の考えが間違っていたのでしょうか。ダメ上司でも、組織は正常に活動できるのです。
 今考えると、抑圧されている自分がいました。先輩の言っているグチがそのまま自分の意見でした。客観的な見方というよりも、会社に対する不平不満の一つが、その本部長をバカにすることで紛らわしていたのかもしれません。その程度の感情だったのだと、今は合理的に判断できます。


自我の肥大

Theory of the inner management Section.1-3

 人間とは、矛盾に満ちた存在であり、頭で考えられるような合理的な存在ではありません。この人間の基本的特性を考えないような経営理論は役に立ちません。
 この基本的特性とは、人間は常にあるべき理想の自分と実際の自分にギャップがあるということです。
何かに成功したり出世したりすると、人から評価され自信を持ちます。だから、評価されたいと、自分をよりよく見せたいと努力しています。そして、さらに高い目標を掲げて、自分を叱咤激励しています。

 それは、自分の心の中にある不安感や、劣等感、自信のなさを何とかごまかして自分自身が優れた存在であると信じたいからです。この劣等感が人が仕事を成し遂げる原動力になっていますから、決して悪いことではありません。
 企業の社長や管理職で能力のあるといわれている方は、エネルギッシュであり、前向きで力強く人を元気付けるような雰囲気を持っている人が多いと思います。なんともいえないギラついた圧迫感があり、私はちょっと苦手です。
 なぜかと問われるとうまく説明できないのですが、次に述べる「自我の肥大」を感じるからだと思います。
 つまり、能力のある人間は自分の存在や影響力、能力を過大評価してしまいます。これを「自我の肥大」といいます。
 関心が自分自身に集中し、自己中心的になり、自意識が過剰になり独自の見方にこだわるようになります。すべてを自分の利益に結び付けて発想し、思い通りにならないとイライラしてしまいます。
 口ぐせは、「なんでうちは、こんな能力のないやつばかりか・・・。」といつも部下を叱っています。実は自分自身の態度がダメな部下をつくっていることに気が付きません。
 もともと自我は、自分の体だけを支配するのではあきたらず、際限なく拡大しようとする欲望があります。なるべく多くの他人を自分の支配下に置こうとする性質を持っています。自分のやり方で組織を自由にコントロールしたい欲求が強くなり、部下の自我を抑圧してしまうのです。

自我の特性

 人間の基本的特性として、自我の肥大以外に次のような特性もあります。
1 他人から管理されたり支配されたりすることを嫌う。
2 自分以外のすべての外界や他人を基本的に嫌いである。
3 自己中心的であり、物に執着する。

   自我が健全であるということは、自分自身のイメージが肯定的であり、実態とそれほど食い違っておらず、社会的に見ても健全なことをいいます。

 理想的な自分を具体的に言うと、
1 自分は自分であると自覚している。
2 この自分で良いという自己肯定感と自信がある。
3 人から受け入れられているという安心感と、社会にとって有用であるという自己肯定感がある。
4 健全な自己愛と受容感がある。

 といえます。
 しかし、現実の自分は人間の基本的特性から逃れることがなかなかできず、自我の肥大を防ぐことが難しいです。
 では、どうすればよいのか。自分自身でもできないことを述べるのは心苦しいのですが、私自身が意識している「修行」を紹介します。

内発的動機を意識する

 努力して、頑張って目標を達成するというプロセスを目指すと、まず「目標」を設定しなければなりません。その目標は、理性と論理によって組み立てるもので、出来上がってくるものは、名誉欲であったり、金銭欲であったり、結局「自我の肥大」を招いてしまいます。
 目標を達成した自分が本来の自分であり、現在の自分はダメな自分ということになってしまいます。未来に対する不安感ばかりが大きくなり、安心感が保てません。
 ある人が、ヒルズ族といわれる人と話した時に、皆人相が悪いなと感じられたそうです。「もっともっと稼ぎたい」という欲望ばかりで、ゆとりというか人的な品格を感じないといわれていました。お金を欲しがることは、塩水を飲むようなものだといわれました。つまり、飲めば飲むほどのどが渇き、もっと欲しくなってしまうのだそうです。

努力しない、頑張らない
この言葉だけを聞くと、常識的におかしいといわれると思います。「努力するな、頑張るな」と言っているわけではないのです。この言葉のニュアンスに社会的な成功のために努力せよとか、勝つためにがんばれとか、「外発的動機」含まれるからです。

今与えられている仕事を誠実に一生懸命勤める。 毎日の生活を大切にする。

「内発的動機」によって行動している時は、本人は、努力している意識とか、頑張っている意識は感じません。楽しいから仕事しています。その仕事に集中しているから疲れも感じません。その意味で、頑張らなくてもいいというのです。自我の肥大も起こりません。
「努力しても、頑張ってもダメでした」と言い訳をする人に、頑張らなくてもいいよと言えばいやな顔をされます。しかし、「すべての成功は一つのアイデアから始まった。」のです。
 外発的動機に基づいた努力、意志の力は役に立ちません。成功した人は「たまたま運が良かった。」「やりたいから、面白いから」というようなことを言います。本人は努力したと思っていません。
 客観的に観察することができるようになり、自分の気持ち「想い」と向き合って素直に自分を認めることで、自分の力で成長することができるようになるのではないでしょうか。

 心理学で「フロー理論」というものがあります。仕事や芸術制作やスポーツなどで、無我な状態、ハイな状態にいるため我を忘れ、寝食を忘れてしまう、あの夢中の状態、それがフロー体験です。フローは確かな満足感と、生活に楽しさを与えます。フロー状態で集中し、夢中になっていると、確かなものをつかみ、本当のものに出会ったときに感じる、確固たる感情がでてきます。(後でまとめて紹介します。)


成果主義の弊害

Theory of the inner management Section.1-4

 今まで、その欠陥マネジメントである合理主義的マネジメントが何とか機能してきたのは、従業員たちがその欠陥部分を人間的な包容力で補い、タテマエとホンネをうまく使い分けて、うやむやにごまかしてきたからなのです。合理性よりも人間的な心暖かい情を大切にしてきた人が多かったからなのです。だから、管理を強化し、近代的で精密な経営手法を導入すると、企業がおかしくなります。ごまかしが効かなくなるからです。
 バブルの崩壊が起った1992年以降、日本の多くの企業がアメリカの近代的な合理主義的経営手法を導入しました。当時の産業界の常識として、日本の企業経営手法は遅れており、これらの経営手法を導入することにより企業は必ず活性化すると考えられ信じられていました。そして、おかしくなっていきました。

 合理主義的経営の典型的なものが成果主義です。報酬を業務の成果に直接リンクすれば、従業員はより多くの報酬を求めていっそう頑張るはずだという考えであり、確かに頭で考えると、全体として活性化するような気がします。しかし、実態は違っていました。
 まず、業績の成果は簡単に数値化できません。目先の売上高や利益率だけです。そしてその数字はごまかせます。
 目標に対する達成度を設定すると、わざと低い目標を設定します。全員が成果が出やすい業務に偏り、長期的で地道な業務がおろそかになります。さらに、その成果の評価に膨大なエネルギーと時間を必要としてしまいます。部門別の業績評価により事業部間の連携もうまくいきません。
 そして何よりも成果主義は、会社内の雰囲気を暗くします。人間関係がギスギスし、部下と上司の関係も不信感でいっぱいになってしまいます。
 その結果として、当初の考えとは裏腹に、会社の活力が下がり、収益も悪化し、ドンヨリとした雰囲気が漂い、心身に変調をきたす従業員が激増します。

「成果主義の弊害」
業績の成果は簡単に数値化できない。
評価基準の設定が難しく、膨大なエネルギーと時間を使う。
社内の雰囲気を暗くし、人間関係が悪くなる。
会社の活力が低下し、業績が悪化する。

 マネジメントの前提になっている「人間も組織も合理的な存在である」という考え方の間違いがお解りいただけたでしょうか。
 人間でも組織でも「見えない部分」は、はるかに大きくはるかに大切で、本質的なものです。それを無視したマネジメント、合理的経営は欠陥商品だったのです。
 上司の欠点をカバーしてくれる優秀な部下はいません。上司のダメさ加減がそのまま業務に反映してしまうし、皆が責任逃れをしてしまいます。この「責任逃れ」はある意味では合理的な行為であり、「泥をかぶる」行為は非合理的です。
つまり、皆が皆、合理的な行動に終始すると会社はおかしくなってしまうのです。


私自身の体験です

 私は大学を出てからインテリア家具のルート営業を2年間経験した後、25歳の時から42歳まで東証一部上場の(一応一流といわれている)住宅会社の営業社員として飛び込みセールスの仕事をしていました。

   いろいろな思い出、辛い経験をしました。現在、人材育成コンサルタントとして仕事をしていますが、その意味では当時の営業の体験は本当に勉強になりました。
 当時、何がいちばん辛かったかというと、ノルマです。
 業績評価によって報酬が支払われるのですが、社員の成果が課長の机の後ろにグラフで張り出されており、ノルマが達成されるとそのグラフの上に花輪がつけられます。月末近くになり、そのグラフが無言の圧力になり、会社に行くのが辛くてたまりませんでした。たまたま達成した月があっても、一ヶ月はすぐ経ちます。いつも追いかけられているようで気が休まりませんでした。
 目先の数字が欲しくなり、隠語で「タコ足」といっていましたが、タコが自分の足を自分で食べるように、今月の成績が欲しくて自分で自分の金を使って成績が上がったように報告することもありました。
 月末、成績が達成できない時、所長から「今から50件の飛び込みに言って来い」といじめのような仕打ちを受けたこともありました。
 営業社員同士で仕事の取り合いなどもあり、雰囲気も悪く、社員の人間関係も表面的です。仕事をしていないような振りをして、隠れて仕事をしました。成績だけ上げていれば上司は何も言いません。朝から喫茶店に居ろうがパチンコをしていようが、誰も文句を言わない。隠れて、マージャンをしていたこともありました。 ある意味、いい会社でした。
 内勤の事務社員と営業マン、建築の技術者の間にも差別のような雰囲気がありました。社員の資格、呼び名も分かれていました。
 上司は、皆転勤族であり、何年かごとに変わり、指示命令、書類作成が仕事です。そして嫌な上司ほど出世していきました。
 自分にとっていい上司は、会社にとってはダメな管理職として転勤していきます。
 お客を騙しても成績を上げたほうが勝ちみたいな会社の雰囲気があり、収入の面では稼げる会社でしたが、仕事の喜びを感じることは少なかったように思います。お客様に自信を持って自社の住宅を営業することができなくなっていました。
 会社を辞めた時、空しくて悲しかったのですが、なぜか開放感も感じていました。
 その後、この会社は業績も悪化し続け、倒産して別の会社に吸収合併されました。早めに見切りをつけたのは結果的に良かったと思いました。


日本人の特質と日本型経営

Theory of the inner management Section.1-5

 もともと、日本人は、「職場とは収入を得る場であると共に親しい仲間を得る場」という考え方を持っていて、「私生活の延長」であると考えていました。これが、職場での親しい人間関係になっていました。はっきりと言わなくてもわかってくれるという日本独特のコミュニケーションで組織が成り立っており、議論や討論は苦手であり、「全員一致」が当たり前のような不思議な社会です。

 新入社員の重要な仕事に、四月の花見の場所取りというのがありました。夜の宴会のために朝からゴザを抱えて場所を探し、買出しをして夜までその場所にたむろしていました。一番先に歌を歌わなければなりません。忘年会、新年会なども重要な行事です。
 欧米では集団と個が対立関係にありますから、人がなんと言おうと「私は好きなようにする」という生き方が歓迎されます。日本では「集団の中の自分」「みなからどう思われるか」「常識はずれではないか」「和を重視する」と考えて行くほうがうまくいきます。「私が○○する」という事は、なかなか難しいです。
 日本人は上司に対する「甘え」の意識が強く、個人的な相談もします。また、飲み会などの職場のイベントも「全員参加」が原則であり、また、「職場の活動に常に参画していたい」意識も強かったと思います。
 そのことが、戦後の日本型企業経営を支えてきたのですが、「バブル崩壊」を境に効率を優先するアメリカ型のマーケティング理論や「キャリア」とかの個人の自律を強調する風潮、さらに最近では「ヒルズ族」「勝ち組・負け組」といわれるような「マネーゲーム感覚の経営」がもてはやされるようになって来ました。
 その結果「企業自体のモラル」「職場内のコミュニケーション」が崩壊してしまったのです。原因は、ほかにも「教育制度」とか「家族」の問題が言われていますが、いずれにせよ日本人の特質が変化してきたのだと思います。

 このテキストを初めて書いたのは、今から十年ほど前、2006年頃でした。当時と比べると、ずいぶん「成果主義・目標管理」などのアメリカ型経営は流行らなくなりました。日本型経営の良さが見直されてきたのだと思います。長時間労働による自殺の新聞記事などを見ますと、まだまだ・・・とは思いますが・・・。